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歩く影たち

読了までの目安時間:約 3分

開高健さんの本を読みました。
30代の頃には随分読んだ記憶がありますが、最近はあまり手にしていませんでした。

『歩く影たち』

この本は再読です。
30代前半にはダンス作品を創る時の題名にしました。
そして40代後半でも別にこの題名でダンスを作りました。
思い入れのある本です。
とは言え内容をそんなに覚えている訳ではありませんでした。

ベトナム戦争に従軍した辺りの短編を集めたものです。
あとがきを読むとこの内容で集める必要があったようです。
集まった短編を通して読むと伝わってくるものがあります。
一つ一つの短編では伝えきれないものがあるように思います。

開高健さんの文章は忘れられないものがいくつかあります。
もう既に書かれるべきことは全て書かれてしまったのではないか、小説家に残されているのは文体を残すことくらいしかないんじゃないか、と言うようなことを書かれたことがあったと思います。
この短編集には開高健さんの文体があります。
この文体でしか表現出来ない表出出来ないものがあるように思います。
この文体が好きです。
他にはない濃密なみっちりつまった粒だった、土や空気や風や壁や木や人の肌や焦や血や地や渇きや乾きや乾燥や湿潤や濡れそぼりや内蔵や筋肉や骨や人や陽光や音や音の流れや鳴き声や闇などが体に迫って来ます。
紙の本を手指でめくりながら目で追い頭に浮かべることでしか伝わってこないことがあるように思います。
巻末の日野啓三と言う方の書いた解説の一番最後の一文にこうあります。
「これはベトナムものではなく、文学そのものである。」
確かにそう思います。

それでも一つ感じたこと考えたことがありました。
戦争についてです。
戦争と言うものはどこにもないと言うことです。
そこにあるのは、目の前の誰かに向かって銃を撃ち手榴弾を投げロケット弾を飛ばすことだけです。
そこにあるのは、銃や手榴弾やロケット弾で打たれ裂け割け飛び散り砕けた人や牛や馬や壁や地面や水や池や木々があるだけです。
撃つ側も撃たれる側も相手のことは知らず相手に憎しみもなく、ただ後ろの方からの命令で前を向いて撃っているだけだと言うことです。
行為と結果があるだけです。
極論すれば知りもしない誰かを殺していると言うだけのことです。
それを集めてひとかたまりにして、後ろの方で意味付をしたものが、戦争と呼ばれているだけです。
だからソノモノはありません。

会社と言うものはなく社会と言うものもなく。
あるのは人だけ、いるのは人だけと言うことです。

だから戦争ソノモノには意味がない。
始めるのは簡単、でもやめるのも簡単。
そんなことを感じ思いました。

 

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