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周辺視野!?

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名古屋で整体スクールの授業に行く電車で座っていた時、目の前に座っている人の靴を見ていました。


視線を向けて見ているモノに集中していた意識を、視線はそのままで周辺に見えているモノ(見ているものではなく)に意識を向けると。
視線を向けているモノの「意味」がなくなる感じがする。
視線を向けているモノは何かではなく、単にそう言う形をしただけのハリボテに見えてくる。
例えば目の前の靴は、靴の形状をしたモノにしか見えなくなり、履いて歩くためのモノとは思えなく、写真に写っている単なる映像と同じになる。


これって何!?


つまり、見えてくるモノ(受動)と見るモノ(能動)の違いなのか。
処理している脳の部位が違う感じがする。
聞くについても同じ感じがする。
聞こえてくるの聞くのとでは、頭に入った音に意味が出来たり出来なかったりする。
自律神経系と運動神経系の違いで、脳に入った後の処理部位が違って、意味のあるなしになるんだろうか。


確かに人は意味に反応する。
そして意味に対する反応は習慣性があることが多い。
目を瞑って手にゴキブリの模型を置かれたとしても反応はない。
目を開けたとたんにギャッと言って手放す。
落ちたゴキブリの模型を見て、なんだ模型かびっくりしたと手に持つ。


そのものではなく意味によって反応が変化する。
アレクサンダー・テクニークを考えるのに何か参考になるかもしれない。
首を自由に。
すると意味が希薄になり、目の前に存在するものが均等にアルガママに感じられる気がする。
そうすると、起こるべきこととして、本来の姿に向かう(背骨が長く背中が広く)。
でも何かを始めようしようとすると、意味が生まれいつもの反応が起きやすくなる。
そこでディレクションを思うことで、意味を意識に乗せず均等な存在を確認し続ける。
みたいな。

とは言え、結論は急がない方が良い。
面白い考え方かもしれない。


と、ここまでの文書をFBに書いたたら、幾つかのコメントを頂いた。
ゲシュタルト崩壊とかルビンの壺とかネッカーキューブとか周辺視野とか。
ルビンの壺はちょっと似た感覚がした。
そして周辺視野と焦点のあっている見えているものについては色々と考えるきっかけになりそうだ。

でっ!?
て話ですかね。
でも面白い話だと思います。

 

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