場踊り
先週の金曜日6月29日。
池袋の東京芸術劇場前広場に田中泯さんの【場踊り】を見に行った。
田中泯さんの踊りを生で見たのは2回目。
もう15年近く前に夏の夜の井之頭公園の林の中でだった。
招聘した5人の外国人ダンサーと作った作品だったと思う。
照明は木の上から一本だけ。
地面に御座を敷いて見た。
暑い夜だった。
泯さんは10メートルほど先から手前数メートルまで、1時間かけて動いてきた。
ほとんどを地面に寝ての動きだったと思う。
他のダンサーは前後に行ったり来たりしてた。
他に映像でも1度見ている。
今回は踊っていた。
最初は軽快な音楽に合わせて。
ステップと言うか舞っていた。
影像作品は昨年だったか一昨年だったか。
フランシス・ベーコンの展覧会の時のもの。
松本だったかの美術館で全裸で踊っているものだった。
他に土方巽とフレデリック・フォーサイスの踊っている影像もあった。
フォーサイスは自身が踊っていた。
田中泯さんを初めて知ったのも15年位前。
知合いが泯さん振り付けの舞台に出ると言うので、東京国際フォーラムに見に行った。
当時既に何十年も日本を出ていた泯さんに、現代舞踊協会が依頼して作品を作ったと言うことだった。
とても大きな舞台で今とは全く違う作品だったと思う。
日本で踊っていた時の話を少し聞き、早くに外国に行った方だと知った。
その後、井之頭公園が先だったか映画『たそがれ清兵衛』が先だったか。
なんとなく知るようになった。
『たそがれ清兵衛』では小さな村はずれの家の中で切られる役。
切られた後にありえない方向にありえない姿勢で崩れていくのを見た。
もう70歳を超えている体とはとても思えない。
別に体がどうだからと言って踊りが良いとか、そんなことを言うつもりはないが、憧れてしまう存在である。
それは体も踊りも。
クラシックバレエやジャズダンスとは全く違う踊り。
というか舞。
今回ももの凄いものを見た。
言葉にすれば当たり前のことだが、全身が全てを表現している。
あるいは表現していないのかもしれない。
表現ではなく存在を表現として見るものが見ているだけなのかもしれない。
そう捉えたいと言うことなのかもしれない。
それは見ていて楽しくもあり。
我が身を省みて身を引き締めた時間だった。