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整体師への道

あら木は1998年に整体師になりました。
整体の勉強を始めたのはその1年半位前になります。
整体の勉強をする前には整体学校を探しました。
整体学校を探す前には整体師を目指すかどうか考えていました。
いろいろとありますねぇ。
と言うことで、あら木がどうやってどうして整体師になったのか、少しずつ書き足していきたいと思います。
開業後しばらくして書いた文章が残っていますが、サイトも新しくなったことだし15年以上経った今また書いてみようと思います。

開業前


転職ってどうなんだろう・・・
(2017/03/09)

大学を卒業したのが1981年。
新卒で紳士服流通小売に入って2年で本社に異動、以来ずっと管理部門で仕事をしていました。
1990年代に入ってバブルが弾け、大リストラ大会が始まりました。
管理部門の中でもリストラの計画を立てるような部門にいて、それまで展開して来た店舗を半分くらいにし、社員の人数も半減させるような計画を立てました。
約3ヶ月くらいだったか、当時の常務と二人で小部屋に篭って店別の業績を試算し、店舗別に残す店舗と撤退させる店舗、店舗毎の人員数(給与総額)などを計算しました。
それらを合計してリストラ後の売上がどれくらいになるか、人件費を含めた経費がいくらいになるか、収支はいくらになるのかを計算しました。

「店の社員の顔を思い出すなよ。」

常務からそんな言葉をかけられたのを覚えています。
社員が半分くらいになる。
てことは、誰がいなくなるんだろう。
そう思わない訳にはいきませんでした。
当時30歳代の半ばくらい。
入社して10年余り経っていて、会社のことも世の中のことも仲間(社員)のことも少しわかって来た時代でした。
その5年くらい前からダンスを始めていました。
ジャズダンスが流行っていたと言うこともあって、けっこう厳しいスタジオでレッスンしていました。
毎年一回は試演会(発表会)と呼ばれた舞台に出ていました。

希望退職や早期退職を初めて導入した日のことは忘れません。
それまで仕事をしていた社員が席を立って電話をかけにいきます。
早期退職を受け付けている総務課に電話をかけるためです。
自分の席から電話をかける猛者もいました。

何というか殺伐とした景色でした。
白黒の動画を見ているような。
味を感じなくなるような感じでした。

そんな時期が終わったら、会社は次の時代・ステージに入りました。
日本を代表する流通グループが資本参加をします。
同時に役員が入ってきました。
会社で使う言葉が違う役員に対して、毎日、その説明をしたり資料の説明をしたりするようになりました。
彼の会社では普通のことが、こちらではそうではない。
そんなことの説明に明け暮れました。

疲れ始めましたね。
そして35歳になります。

35歳になって思ったことは「半分まで来た。」でした。
じいさんになってからの数年を省けば、人生の半分が終わったと思いました。
折り返しだと思いました。
で、考え始めました。

このまま会社員で一生過ごすのかな。
自分の裁量で食っていくってのは難しいのかな。
転職ってどうなんだろう・・・と思い始めました。

そうは言っても35歳前後は働き盛りです。
役職ももらっていたので、やめるなんてことはありえないなぁと自分も思ってました。
でもなぁ。
と、思ったりしてたのは、今思うとリストラ後の殺伐した景色や、外から来た役員に説明するみたいなことがあったのかもしれません。


探してみるか。
(2017/03/20)

きっかけは二つあったと思います。
一つは人材登録会社。
もう一つは中期計画。

何となく転職のことを考え始めました。
当時、ヘッドハンティングや人材登録会社と言う言葉が出始めていました。
ヘッドハンティングは無理なので、人材登録会社に登録をしてどこか別の会社に入ることはあるんだろうか。
自分の価値ってどんなものなんだろうか。
そして人材登録会社に電話をしたことがありました。
「荒木さんのスキルだと今の給料と変わらないですよ。」
そう言われた記憶があります。
ナンダソンナモンカ。
同じころ会社で中期計画を立て始めました。
上司に言われたからではありません。
部下から言われて始めました。
管理部門で何人かを使って仕事をしていた時期です。
「荒木さん中期計画立てませんか、今のままじゃダメですよ。」
そう部下に言われ、本社の管理部門の20代から30代のメンバー4・5人を横断的にピックアップして打ち合わせを始めました。
打ち合わせは定時の6時が終わってから、毎日11時位までやっていました。
約半年間そんなことを続けて、最終的には当時の専務が役員会を開いてくれて、会社の方針とは別に作った中期計画を発表しました。
「面白いね。」
社長はそう言いましたけど、それで終わり。
その計画が会社の計画に乗ることはありませんでした。
直後から計画を立てようと言い出した部下が会社を辞めると言い出し、結局、一人を残してメンバー全員が辞めることになります。
ちょっと疲れちゃったと言う感じでしょうか。
血気盛んな頃だったのに肩透かしをくらったと言うのもあったかもしれません。


探してみるか。


人材登録会社のことや中期計画のこと、その前のリストラのことや年齢のこと。
そんなこともあって考え始めました。
転職をして別の仕事で、自分一人で食べて行くってどうなんだろう。
少しずつそんな風に思い始めました。
三重県出身の長男なので、将来的には実家に帰らなければいけない、とも思っていました。
そこで思いついたのがカイロプラクティックです。
学生の頃は運動ばかりやっていて、体のことにだけは自信がありました。


40歳を過ぎて転職するなら、意味もなく自信があるものじゃないと勝負出来ない。


そんな風に思っていました。
意味もなく自信があるのは体のことだけ。
運動のことだけです。
ならば運動選手は無理なので、それをケアするカイロプラクティックや整体が頭に浮かびました。
当時、整体に通っていたこともあるし、学生時代に見た代々木あたりにあったカイロプラクティックの学校を思い出したりしました。
先ずは資料集めからと整体学校やカイロプラクティックの学校に電話をしては資料を送ってもらいました。
実は資料集めをするまでにも、年単位でいろいろと考えていた時期があったと思います。
意外に決断力がないんだなぁってのは、その頃に感じたことでした。(お恥ずかしい・・・)


勉強を始める
(2017/04/08)


資料を集め色々見ていると、学校を見たくなります。
何校か連絡して見に行くことにしました。
条件は通えること。
仕事は普通にしていたので、休日と授業が合うかどうかでした。
見学に行って勉強を始めることになります。


整体学校やスクールには何校か見学に行きました。
実際に見てみないと自分に合っているかどうか分からないと思ったからです。

一つは渋谷にあるカイロプラクティックの学校でした。
見学して説明を聞いて、とても良いと思いましたが、そこには通いませんでした。
通学がちょっと厳しかった。
平日に3日位通学しなければ行けなかったと思います。
夜の7時からでしたけど、仕事が7時に終わることは稀だったので、泣く泣くやめた記憶があります。
元々はカイロプラクティックを勉強したいと思っていました。
ちょっと不謹慎ですけど、骨格調整って格好いいみたいな気持ちがあったと思います。

次に行ったのは同じく渋谷のカイロプラクティックの学校でした。
ここは通学は出来ましたけど、行く気にはなりませんでした。
3ヶ月・6ヶ月・9ヶ月のコースがあって、どのコースでも整体師になれると言っていました。
どういうことだろう!?と思いましたね。
だって3ヶ月でなれるなら9ヶ月通う必要はない。
9ヶ月必要なら3ヶ月では無理です。
なのにどのコースも整体師になれると言うのは不誠実なような気がしました。

最後に行ったのが当時池袋にあった整体学校です。
そこで面接の担当の方と話をして、あっここだと思いました。
決めてとなったのは、マーケッティングの話でした。
それまで資料を集めたり見学したりしていましたが、開業する時のマーケッティング的な話は皆無だったと思います。
池袋の学校の担当だけがそんな話をしていました。
考えてみれば営業トークだったんだろうと思います。
それでも他の学校のように技術だけを学ぶと言うイメージでなかったのが良かったのかもしれません。
今だったらホームページを作るセミナーもやってますみたいなことでしょうか。
手技は整体とカイロプラクティックが学べること、通学が土日でも大丈夫と言うことなどで、ここにするかと思った記憶があります。


そこまで行って考え込みました。
本当に通うのか?
大丈夫なのか俺!?
そんな感じです。
新卒で入社して15年以上が経っていて、会社以外の世界を知りませんでした。
それなのに他の世界に踏み出して大丈夫なのか?みたいに考えていたと思います。
勉強して整体師になって、整体師になったら会社をやめて開業して・・・
そこで思考が止まることが多かったと思います。
大丈夫なのかな。
そんな風に悶々としていた時、カミサンの一言で通うことを決めました。


別にまだ整体師になれるって決まった訳じゃなし、勉強だけでしょ。
勉強ならすればイイじゃん、したいんだったら。


なるほど確かに。
そうだ。
そうだよな。
勉強をするだけで整体師になってもいないのに、会社を辞めることや開業することを悩んでもしかたない。
先ずは整体師になれるかどうか。
勉強してみないと分からない。
そう思って申込をしました。
そうやって毎週土曜日に授業に通うことになります。



整体の勉強
(2017/05/07)

入学して毎週整体の勉強を始めました。
好きなことの勉強だったので結構楽しんでやっていた記憶があります。
土曜に整体の授業に行き、帰ってきてノートをまとめました。
通っていた整体学校は解剖学や生理学が終わった後に、整体やカイロプラクティックの実技を受けられると言うシステムでした。
なので、最初はずっと解剖学や生理学の授業を受けていました。
教科書は薄い印刷されたものと、各講師の先生がコピーしたり手書きで作ったテキストでした。
それらの教科書やテキストと授業中に話をされたことをメモし、家に帰ってから別のノートとしてまとめました。
新し教科書を作っているような感じです。
今でも残っていますが、それはけっこう頑張ってたなと思います。
そして自分でスクールを始めた時の参考にもなりました。
もちろんコピペしたり解剖図を使ったりはしてません。
整体師になって知りたいと思っていることで書かれていない内容は何かとか、どんな順番で説明していくかなどの参考です。


座学が終わったら実技が始まります。
実技は楽しかったですね。
やっと整体が勉強出来てるって感じでしたから。
先生にも恵まれていたと思います。
忘れられない先生が何人かいます。
大変失礼な言い方で申し訳ありませんが、一人は本当に手がイイ先生。
生まれ持った手なのか作り上げた手なのか、今となっては分かりませんが、とにかく良い手でした。
実技の練習をする時に、たまに台になって手技を受けることがありました。
その時背中に手を置かれただけで、背中がとろけるようになった記憶があります。


こんな手になりたい!


今でもそう思います。
もう一人はカイロプラクティックの先生。
この先生はテクニックがとにかく凄い。
ベーシックな調整をされる先生で、一般にはボキボキ音がなるような調整法なんですが、その先生が調整するとポキッと一箇所だけ音がなるような調整でした。
狙った関節だけを選択的に最小限の力で調整する。
だから安全です。
そして今でもそうですが、頚椎・胸椎・腰椎の調整は見聞きしたり受けたこともありますが、肘・股関節・膝など四肢のアジャスト的な調整はこの先生の手技でしか見たことがありません。
あまりにも洗練されて素晴らしい技術すぎて、カイロプラクティックの調整はやめようと思ったのはこの先生のおかげです。
その代わり再現性が高く安全で効果の高い、MET(マッスルエナジー・テクニック)を使うようになり指導するようにもなりました。



仕事を変わる

勉強を始めて一年位経った時に仕事を辞めました。
開業のためでした。
ところが実際は開業せずに整体学校に就職することになりました。
その話はまた次にしたいと思います。