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東横線代官山駅下り先頭車両のドアの話

読了までの目安時間:約 3分

学生時代に東横線沿線に住んでいました。
もう50年近く前の話です。
1977年に大学入学のために上京して来て、最初に住んだのが目蒲線(現目黒線)の下丸子駅徒歩10分の四畳半の下宿でした。
その部屋は普通の家の間借りという、今で言うルームシェアに似たような借り方で、普通のご家族(3人家族だったと思う)の住む家の二階の一室を借りていました。
廊下にドアではなく襖のような戸があり、扉の上は襖で下はガラスがはまっていて、小さな鍵をチョコチョコ回して締めていました。

次に住んだのは東横線元住吉駅から15分の下宿で、こちらは昭和の下宿のイメージそのまま。
二階建ての二階の六畳一間でした。
同じフロアに4室あって、廊下を挟んで向かい合った部屋でした。
トイレは共同で風呂はなく、近所の銭湯を使っていました。
おしどり荘という名前でお寺の敷地内、お墓と本堂の間にあるという、ちょっと不思議なロケーションの部屋でした。
静かで窓の外を遮るものがなく(窓の下はお墓でしたから)、快適な下宿でしたが、遊びに来る友人たちには、こんなとこ大丈夫か?と聞かれたりしていました。
僕としては全く全然気にならないんですが、気になる人には気になるんだろうかなと思いました。
この下宿の話は別に書こうかなとちょっと思い始めました。

当時、東横線の渋谷駅は今のように地下ではなく、地上2階にあり、JR線渋谷駅のヒカリエ側に隣接していました。
渋谷駅を出発すると、地上を走って山手線の上を通過し、代官山の駅に着きます。
ところがホームの長さが電車の長さよりも短かったのか、先頭車両がトンネルの中に入ってしまいます。
調べると今もあるようですが、代官山駅の先頭車両はドアが開かなかった記憶があります。
学生時代、代官山で降りる機会はほとんどなかったので、困った事はありませんが、不思議な感じだなと思っていました。

当時の代官山はとても静かで、今のような賑わいはなかったと思います。
駅を降りると公団住宅を抜けないと、ハリウッドランチマーケットに行けないし、お店のあるエリアにも行けなかった記憶があります。
とは言え、ハリウッドランチマーケットにいくようなお洒落な大学生ではなかったので、困る事はありませんでした。

上京という言葉が既に懐かしい感じの言葉になりました。
1980年代の東京と今はずいぶん変わりました。
どっちが良いのか分かりません。
というかどっちも良いんだろうと思います。
今の方が好きな部分もあるし、昔の方が好きな部分もあります。

また、どこかの話を書こうかと思います。

 

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