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樹木希林さん

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樹木希林さんのことを考えた。
最初に知ったのはもう40年以上前の寺内貫太郎一家の「じゅぅりぃ〜〜。。。」だ。
当時は悠木千帆と言っていた。
いつからなのか樹木希林になった。
名前を売ったとか売らないとか。
昔はどんな人だか知らなかった。
今だって知ってる訳じゃないけど、昔はもっと知らなかった。
離婚話の時もワイドショーを見るような年齢じゃなかったから知らなかった。

後から最近になって。
とは言え15年くらい前から何となく気になりだした。
いちいち言っていることがファンキーと言うかロックと言うか。
内田裕也さんとのことも、漏れ聞くところによれば、私の重しになってもらっているとか。
それはどう言う事なのか。
内田さんの重しに樹木さんがなってるんじゃなくて逆なのか。
それにしても話している事や言動を見聞きしていると、良い人と言う訳ではなかったようにしか思えない。
なのに何故あんなに皆んなが寄ってたかって周りで話を聞きたがりニコニコして驚いたり頷いたり、そして素敵な人だ良い人だ的なことになるのか。

多分、自分で考え自分の言葉で話をしているからではないだろうか。
常識とか普通に考えてとか、良い事とか悪い事とか、規則とか規律とか。
そういう既に決まっている事ではなく、最初から自分の頭で考え自分の言葉で話をしていたからではないか。
だから皆んな反論のしようがない。
だってそこにはどこかから持ってきた、自分で考えたのではない基準がないから。
全て最初から積み上げられているから。
それに聞いていて気持ちがいい。
淀みがなくはっきりと心の中から出てくる言葉だから。

人は死ぬ。
昔は随分と怖かった。
死ぬ事を思うと子供の頃は、暗闇に頭の後ろから吸い込まれるような恐怖があった。
だって死んじゃうんだよ。
自分がいなくなる。
存在しなくなる。
そんなこと考えられない。
と思っていた。
ところが最近はそうでもなくなって来ている。
年を取るとはこういう事なのかと思う。
死を怖がっても仕方がない。
だって皆んな死ぬんだし。
なんて思うようになってくる。
それに死は二人称と三人称で一人称では現実的には語れない。
死ぬのは目の前の人かどこかにいる誰かで、自分ではない。
何故なら自分が死んだときは自分はいないので、自分の死を知る事も感じる事も分かる事も出来ない。
死にそうだってのは分かるけどね。
だからまあ仕方ないか。
そんな風にも思えるようになって来た。

そう言えばこの前、AI(人工知能)についての番組を見ていた。
そしたら自由意志の事を思い出した。
自由意志はやはりないんだろうか。
そうだとしても人は生きていく。
人は自由意志があると信じて生きて行くのか。
もしくはないと信じて生きて行くのか。
どちらを信じるにしてもせっかくだから、人生を楽しめるものであればなと思う。

樹木さんのご冥福をお祈り致します。

 

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