第三の人生
最近、つらつら考える事があります。
どうだったんだろうこの人生は。
どうして行こうこの人生を。
どうだったんだろうこの人生は、はこれまでの人生の事ですね。
どうして行こうこの人生を、はこれからの人生の事です。
そんな事はいつだって考えるだろう。
はい、確かに。
誰だって考えます。
でもこれまでとはちょっと意味合いが違ってきています。
この年齢になると既に人生と呼べるほどの時間を生きています。
そして人生と呼べるほどの事も経験しやって来ています。
だから、これまでどうだったんだろう、と言うのも、今までの延長のこれからを修正する為ではありません。
だってもうそろそろ結果は出ていますから。
うまく行ったのか行かなかったのか。
うまく行くとか行かないではなく、良かったのかそうでもなかったのか。
例えば面白かったのかそうでもなかったのか。
一応の結果は出ています。
出ていて分かっているようなもんですが、どうだったんだろうと考えてみている。
面白いですねそんな感じです。
どうして行こうこの人生を、については、どうやって死んで行こうという事を含んでいます。
いや死ぬ訳じゃありません。
死にゃあしませんまだまだ。
そうではなくて。
死ぬ時にどんな人生だったと思って死ぬように、最後の設計をしようかと言うような意味です。
今からならもう一回人生と呼べるくらいの時間はありそうだから。
まあぎりぎり。
ありそうでしょ。
何事も10年くらいはやらないと、やった感じもしないし結果も出ないし実感もない。
だから、どうして行こうこの人生を、です。
このままの路線で行くのか、全然別にするのか、最後くらいは〇〇してみようかとか。
第二のではなく第三の人生ですな。
定年退職の人なら第二の人生かもしれない。
でも会社を途中で辞めて第二の人生をやってた人なら、第三の人生です。
年齢は同じくらいでも全然違う感覚だろうと思います。
昔の仲間の様子を見てても違うから。
どうとはまだうまく言えません。
でもまあ違う。
それはそれぞれの良さがあるような気がします。
第三の方が若干自由度が高い感じはしますけどね。
選択肢に。
いや選択肢と言うより考え方の自由度かな。
それも個人差なのか。
ま。
分かりません。
考えましょう。
第二や第三のの人生を。
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