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視覚という習慣、言語という習慣

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手袋を思い出してみて下さい。
手元にあったら机の上に置いて見ても良いです。
手の平と指の部分がありますね。
ミトンだったら違いますけど、手袋には大体ちょっと大きな手の平部分とそこから飛び出た指の部分があります。
この手袋を使う時、どこから曲がるでしょう。
なんとなくですけど、指の付け根から曲がるような感じがしませんか?
手の平部分と指の付け根の辺り。
だって形状が違うから、それぞれが別なんじゃないか。


それ視覚から来る習慣的な見方なんじゃないかと思っています。


実際は手袋をはめて指を曲げると、指の付け根では曲がりません。
手の平の上1/3辺りの部分で折れます。
手相でいう感情線と頭脳線を結んだあたり。
マスカケの辺りで曲がります。
自分の手を見て曲げてみて下さい。
ほら。
ね。
ちょっと不思議です。
なんとなく騙されたような感じがします。
いや、誰にってことではないんですけど、なんか考えてたことと違うって感じ。


視覚情報からなんとなく認識しているコレとコレ(手の平と指)は別物で、その境目の辺りで曲がる感じがする。
のではないかと考えています。
同じようなことが、体の他の部分でもあります。
首とか腰とか脚とか足首とか。
それぞれに見た形と動く場所がちょっと違います。
全く違う訳ではありませんが、ちょっと違う。
その違いが体の使い方に影響して、不調(腰痛・肩こり・膝痛など)が起こったりします。
全部じゃないですよ。
でも原因になることがある。


見ている形から想定する動きと、実際の動き方が違うのに、見ている形のように動かそうとしてします。
もちろん見ている形のままに動く訳ではありませんが、そうしようとすると、ちょっと動きにくくなったりする。


言葉もそうです。
言語っていうのかな。
言葉は何かと何かを区別するものです。
アレとコレを区別するために名前をつける。
そうすると名前がついていると、あれとコレは別々に存在するように思ってしまう。


首は顎の下にあります。(前から見ると)
でも首の骨(頸椎)はもっと上まであります。
大体、左右の耳と耳の間、頭の中心近くです。
頭と首の間の関節はその辺りにあるので、そこが動きます。
左右に首を振る時(顔を左右に向ける)も、上下に振る時も。
でも、顎の下の部分だけで動かそうとすると、顎よりも上に隠れている首の骨は動かしていないことになります。


これも習慣なんだろうと思います。
首は本当は頭の中心から動きます。
でも、首と言う言葉から連想される部分は違う。
だから違う部分から動かそうとしてしまう、かも知れない。
言葉から連想されるイメージに引っ張られてしまって、実際の場所から動かさないことになってしまう。


ちょっと違いますけど、肩もそうです。
肩は腕なのか胴体なのか。
構造から考えると(解剖学的には)、肩は腕の一部です。
でも見た目は胴体にあるように感じます。
もしくは胴体と腕の境目辺り。
肩は胴体の一部で腕とは別物と捉えてしまうと、肩から先の腕だけ動かそうとしてしまうかもしれません。
そうなると本来の動きより動きにくくなってしまう。


厄介ですね。
そんなこと考えなければ良かったのにと思います。
でも別の意味では言葉は便利ですから必要なんですけどね。
言葉も便利で必要なんですけど、言葉にばかり引きずられてしまうと、体の本来の動きを忘れることになりかねません。


「視覚という習慣、言語という習慣」は現代人だから仕方がないのか。
ナンカ養老先生の唯脳論みたいなのかな。
でもこれ、体を使うことで少しは解消できるんじゃないかと思っています。
自分の体を使うこと。
自分の体を感じること。
ますます大切になってくるんだろうと思います。

 

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