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荒木が整体師になった訳。

読了までの目安時間:約 5分

たまに聞かれる事があるので、たまに答えています。
荒木が会社を辞め整体師になった理由です。
今日も患者さんに答えました。

幾つかの理由があります。
一つだけの理由ではなく、いろいろな事が重なって結果的に辞めることになり、整体師になることになった。
順不同で書きます。
どれが最重要だったか分からないので、全部が混ざってそうなったんだと思っています。

35歳になって人生もう半分だなと思いました。
ここまで会社員としてやって来たけど、死ぬ時に雇われただけの人生で満足するのかなと思いました。
いや、ちょっと書き方が違うかもしれません。
自分一人の力で生活して生きていくことって出来るのかなという、気持ちが湧いて来ました。
学生時代は大学に行って就職してサラリーマンになる以外の選択肢は考えたことがありませんでした。
何故だか分かりません。
時代なのかもしれないし、家庭環境なのかもしれないし。
でも、好きだった美術を高校の選択授業で選ばなかったのは、美術では食っていけないと思ったことが半分くらいの理由でした。
世の中には他の選択肢もあるというのを、35くらいになってやっと気がついたという事かもしれません。
挑戦してみたかったんですね。
今思えば若かったし。

バブルが弾けて大リストラの時期が終わった時期でした。
リストラの計画を立てる人でした。
例えばその時の会社の規模を100位だったとすると、それを50位にする計画を立てました。
小売にいたので店長が半分になります。
社員も半分です。
辞めてもらうことになるのかなと思ってましたが、上司は計画を立てている私に「店長の顔を思い描かないようにね。」と言ってくれました。
辛くなるのが分かったからかもしれません。
早期退職優遇制度が導入され、その当日に目の前で同僚が皆んな電話をかけ「辞めます。」と宣言しているのを見ました。
何人も何人もが辞めました。
流石に気持ちが萎えて重く怠くなりました。
それも辞めるきっかけだったかも知れません。

その後も会社の業績は厳しく、新たに提携した大きな会社から天下って来た上司から、毎日のように数字の説明を聞かれました。
叱責されている訳でも、恫喝されている訳でもなく、ただ質問を受けているだけでしたが、とにかく毎日のことで、これもきついなぁと思った記憶もあります。
これもきっかけの一つだったかも知れません。

長男なので実家に帰ることになる可能性があると思っていました。
実家ではそんな風に思っていなかったようですが、時代的には長男は跡取りというイメージが残っていて、親が一人になったら実家に帰って面倒をみるものだと思っている部分があります。
全国どこでも出来て、いつでも移動出来る仕事についた方が良いんじゃないかという気持ちもありました。

そんなこんなで、転職しようかな、脱サラしようかな、自分でやってみようかな、起業しようかなと思ったんだと思います。

整体師を選んだのも幾つか理由があります。
20代から続けていたダンスの関係で、故障の時に整体師の先生に診てもらっていた経験があります。
どの先生のところも繁盛していて、いつも何人かの患者さんがいました。
まだ、1980年代の終わりくらいでクィック整体が流行る前でした。
それに、もっと宣伝を上手くやったり、患者さんの話を聞いて色々な症状に対応し、ストレッチやトレーニング方法を指導すれば、自分でも出来るんじゃないかと思いました。
当時の整体は(自分が言っていた4ヶ所くらいですが)毎回、同じことを繰り返しするだけで、症状に対する対応は少なかったように思いました。
なので、自分の方がもっと出来るんじゃないかと、若気の至りで思ったりしてましたね。

40代になっての転職なので、理由もなく自信がある分野じゃないと難しいんじゃないかと思っていました。
学生時代は体育だけは自信のある生徒だったので、体のことについては普通の人には負けないと思っていました。
感覚的にも運動能力的にも。
だから体のことを扱う整体師なら大丈夫なんじゃないかとも思いました。

そんなことで勉強を始め結果的に整体師になりました。
整体師なる理由は色々あります。
荒木の場合はこんな感じでした。

 

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