性格は筋肉に現れる
すぐには役に立たないカラダのハナシという動画シリーズを撮ってまして、今日はそこで話した内容です。
性格は筋肉に現れる。
性格というかその時その時の状況は筋肉に表れています。
整体師やアレクサンダーテクニーク教師として20年以上も人の体に触れて来ました。
痛みや症状や何か困っている事や悩んでいる事がある人が多かったですが、整体スクールの授業やアレクサンダーテクニークの練習などでは、特に何もない人にも触れて来ました。
その中で感じたのがこれでした。
体の硬さと言っても十人十色です。
深層筋が硬い人もいれば、表層の筋肉が硬い人もいます。
関節が動きにくい人もいれば良く動く人もいます。
張っている筋肉やふにゃふにゃの筋肉もあります。
整体をやっていると、すぐに解れる事もあり全然解れない事もあり。
また筋肉の質や状態も様々で、重く粘るような筋肉があるかと思えば、極々細かいビーズクッションのようにクリーミーな柔らかさで軽い筋肉もあります。
それらを性格や気持ちの状態になぞらえて考えると、結構当たっています。
筋肉占いなんて言って、患者さんと話をする事もありました。
表面上はニコニコしていても、芯は硬く自分の考えを曲げない人だとか。
時間を掛けてためた疲れがなかなか抜けない人だとか。
疲れは溜まっているけど、意外にすぐに抜ける人だとか。
頑固なんだけど、柔軟に考えを対応させる人だとか。
でっ?
て感じですかね。
でもこれ自分のケアには使えます。
自分の性格はなんとなく知っていると思います。
その性格はもう変えられません。
でも、行動や対応は変えられます。
真面目にきちんと性格に寸分の違いなくやりたい人は、体を硬く使いがちです。
そんな人は、真面目にきちんと性格に寸分の違いなくやる気持ちはそのままに、体を柔かく使ってみる。
それが出来ないのであれば、使った後に体を緩めてみる。
そんな風に対応出来れば、体を楽に使っていけると思います。
すぐには役に立たないカラダのハナシ
何となく知っていると、いつか役にたつかもしれない。
すぐには役に立たないけど、どこかで思い出すと良いかもしれない。
そんなカラダの話を少しずつ動画にしています。
コスパとかタイパとか。
大切だとは思います。
時間は有限だしお金も有限。
だけどそればっかりじゃ世知辛いとも思います。
面白くないでしょ。
今すぐにどうこうではないけど、知っておいて損はないかもしれない話を、これからも話ていこうと思います。
今まで上げたものを貼っておきます。
このシリーズに先立って「カラダのハナシ」ってシリーズもあるんですが、ちょっと役に立ちそうな事に拘ってしまって、ちょっと鼻につくんですよね。
我ながら。
ということで
すぐには役に立たない(かもしれない)カラダのハナシ。
宜しくお願いします。
体は固まらない
股関節はどこにある
手首は捻れない
背骨の前側
体全体
足の指の話
悪い気は貰わない。
整体の勉強をしている頃から良く聞くことがありました。
開業してからも良く聞く話です。
悪い気を貰う。
整体をやっていて患者さんから、悪い気を貰うというんです。
具体的には、自分の調子が悪くなったり、腰痛の患者さんを見ていて腰痛になってしまったり。
患者さんと同じ部位が痛みだしたりする事があるようです。
聞いた話ですが、息が止まってしまう(ずっとじゃないと思いますが)というのを聞いた事があります。
どういう事なんでしょう。
ミラーニューロンという神経細胞があります。
自分が目にした相手の表情やしぐさを、自分自身の表情やしぐさに重ね合わせる機能です。
人の動きを見ると、その相手と同じ筋肉に微細な電気信号が送られると聞いた事もあります。
子供が動きを学習していくのにも必要だし、コミュニケーションをする時の共感したりするのにも役立ちます。
ただ、これが痛みのある姿勢を(知らず知らずに)模倣していたり、相手の痛みに共感したりする事につながるのではないかと思っています。
だから、共感力の高い優しい先生などがそうなったりする事もあるようです。
これに対してどう対処するかという話もよく聞きました。
整体が終わったら水を一杯飲む。
手に水をつけて頭の上で払って、水滴を少し頭に受ける。
休日に川や池や海に行って時間を過ごす。
大きな木に抱きつく。(木は水を吸い上げて上に流しているので)
ただ、荒木自身は全く貰いません。
一度も貰った事がない。
開業当初はそんな風に思いませんでしたが、たぶん貰わないようにしているんだと思います。
感覚的には「受け流す」です。
受け取って、流してしまう。
最近は生徒さんにも説明するので少し違う言い方もします。
自分を整えておく。
整体をする時に、患者さんに向かう前に、自分自身がどうなっているかを把握しておく。
その上で出来れば自分を良い状態にしておく。
自分をコントロール下に置いておく感覚です。
知らないうちに⚪︎⚪︎な姿勢や⚪︎⚪︎な状態になっている、ということがないようにします。
そうすれば、悪い気を貰うことはなく、自分の気を相手に渡す事が出来ます。
「気」という言葉を使いましたが、自分の姿勢や居姿を情報として相手に渡すという事です。
患者さんの方が整体師に影響されて、患者さん自身のミラーニューロンで患者さんの体に変化を起こすということでしょうか。
だから、患者さんから悪い気は貰いません。
整体師の良い気を渡すようにしましょう。
開業して自分が調子悪くなっては仕事が続きません。
それに、悪い気を貰うなんて、患者さんに失礼ですよね。
良い患者さん良くない患者さんという考え方
以前、SNSを見ていたら手技療法の先生がこんなことを書いていました。
良い患者さんは治療に協力的。
良くない患者さんは治療に協力的ではない。
もうずっと前にも、本当に治りたい人じゃなければ良くならない、的な事を言う手技療法の先生がいました。
信じられません。
なぜそう言う考え方になるのか。
確かに生活習慣に対するアドバイスだったり注意だったりを、きっちり守ってくれる患者さんは治りやすいという事はあります。
どんな症状でも、睡眠時間を確保し、湯船に浸かり、適度な運動をして、アルコールを抜き、食事も腹八分目、また必要なストレッチなどをしてくれる。
しばらくそう言う生活を続けてくれれば、治るのが早いのは間違いありません。
腰痛なんて、何もしなくても、それだけでほとんど良くなってしまうかもしれません。
でも、だからと言って、そう言うアドバイスや注意をやってくれない患者さんを、良くない患者さんと言うのはおかしい。
そもそも患者さんに良いも悪いもない。
治りたくて来院されている訳です。
わざわざ他の治療院ではなく、ここに来てくれている訳です。
なのに、良い悪いなんて失礼極まりないと思います。
同業の仲間と話をしていて、そんな話になるのかもしれません。
そう言う患者さんが来院されると難儀する事はあります。
上手く行かない事もある。
でもそれは違う。
症状が変わらなかったり良くならないのは、治療家の問題です。
治療に協力的かどうかは関係ない。
協力的でない患者さんは良くない患者さんというのは、施述している側の言い訳です。
上手くいかなかったら、我が身を見直す必要があると思っています。
整体師のアクセサリーやお化粧について
先生は指輪はしないんですか?
ちょっと別の意味もあって聞かれたのかもしれません。
荒木は普段仕事をしている時は、結婚指輪もアクセサリーとしての指輪もつけていません。
指輪が患者さんに当たって怪我をさせたり、洋服を引っ掛けて破損したりさせないためです。
そんなこと、殆どありませんが、でも可能性をなくしておくのがプロとしての仕事だろうと思っています。
同じような理由でやらない方が良いものが幾つかあります。
アクセサリー全般(指輪、ネックレス、ブレスレッド、イヤリング、ピアスなど)
化粧
香水
化粧については最近は取れないものが増えてきているようなので、患者さんにファンデーションなどつけてしまわないようにと言う意味では、つけても構わないのかもしれません。
ただ、これについてはちょっと他の意味もあって考えてもらいたいとは思います。
香水は香りのきついものは、患者さんにうつってしまわないように付けない方が良いと思います。
化粧の別の意味については、昔の考え方なので紹介だけ。
整体師やセラピストは患者さんと一対一になります。
女性整体師やセラピストが男性と一対一になることも普通です。
そんな時に化粧をばっちりしていると、男性が変な気持ちにならないか、と言うことで、昔はしない方が良いと言われていました。
セクハラの責任が女性にもあるような考え方みたいにも思えますが、危険を回避すると言う意味では考えておいても良いかもしれません。
整体師やセラピストは多くの場合患者さんと一対一になります。
他の人の目がない、ということを意識しておくと言うのは大切だと思います。
ちょっと、意味合いは違いますが、患者さんのメガネやアクセサリーを手で預からないと言う事もあります。
患者さんがメガネやアクセサリーや財布をどこかに置く時、整体師やセラピストが手で預からないようにします。
もし後でメガネやアクセサリーが壊れていたり、財布の中身が減っていたりした時に疑われないようにです。
更衣室や施述テーブルの横にアクセサリー置きなどを配置して、こちらにどうぞと案内するようにするのが良いかと思います。
整体やセラピー以外の話ですが、開業したり独立した時には意外に大切な事かなと思います。
開業年齢
荒木が整体院を開業したのは43歳でした。
厄が明けたらみたいなことをほんのちょっと考えた記憶があります。
早いか遅いかと言われれば、少し遅いかなと思います。
これから整体師を目指す人なら30代で開業するのが良いと思います。
40代50代でも悪くはないですが、出来るなら30代で開業起業を考えてみてはどうでしょう。
気持ち的なものもあります。
体力的なものも知力的な事もあります。
社会人になって10年以上が経過して、世の中のことが自分なりに何となく分かったと思っていて、何となくの自信が持てる。
上の年代の人たちのやって来た事も分かるし、自分より若い世代の事も分かる。
40代50代と比べれば身軽で動きが早い。
20年経ったら50代で、相当なキャリアを積んだ事になり、次のステップも考えやすい。
情報収集も最先端の方法を知っているし、昔ながらの情報ソースも持っている。
30代はまだお金がないかもしれません。
でも気力もあるし体力もあるし行動力もある。
お金は政策公庫の開業資金や自治体の助成金など、探せば貸してくれるところはあります。
借りるのが嫌なら、ほとんどお金を掛けずに副業から始める方法もある。
いずれにしても30代くらいで開業出来れば道は広いと思います。
整体やセラピーの勉強もすんなり頭に入りやすいし、技術を身にるつけるのも早いような気がします。
40代50代がダメだという事では全くありません。
40代50代で開業される人も多いし成功している人も沢山います。
でも、上に書いたような理由で、30代はより良いなかと思います。
逆に40代50代で開業を考えた時に、気をつけておくことが少しあります。
自分の常識です。
それまでの常識をそのまま全部全く変えずに開業するのは難しいかもしれません。
何がというのは具体的に思いつきませんが、日常的な事がずいぶん違うように思います。
そして体のことや手技の事についても、常識は少し変わるかもしれません。
整体師の見方、セラピストとしての見方や捉え方というものがあります。
40代50代になると人生経験も長く、自分の持っている常識を変えるのは意外に難しいところがあります。
荒木の経験で言うと、独立して5年10年経ってやっと分かったと言うようなこともあります。
具体的に思いつかなくて申し訳ありませんが、気持ち的なものだったり考え方の基本だったりです。
体力的なものも少し気を付ける部分があるかもしれません、。
30代と比べると明らかに落ちます。
整体やセラピーが出来ないほどではありませんが、ある程度は疲れると言うことは織り込み済みにしておく必要があると思います。
技術的な面については、自分で思う事と指導者が言っていることが違ったら、指導者の言うことを聞くことです。
これも意外に難しいかもしれない。
指導者は理に敵わないことを言うかもしれません。
でもそれは経験知なので間違いはないと思います。
荒木はもう60代になりました。
40代50代で開業する時の心配事や勉強する時の注意点なども教えてます。
引き出しを多く持つことについて
整体師を長く続けていて、以前、良く聞いた言葉があります。
引き出しを持つ。
あるいは
引き出しを沢山持ちたい。
患者さんの症状を目の前にした時に、一つの手技しか知らないと対応のしようがないから、色々な手技や方法を持つ、あるいは沢山持ちたいというような事です。
勉強を始めたばかりの頃や、整体師としてデビューし始めの頃にはそう思った事もありました。
もっと沢山、いろいろな考え方やいろいろな手技があったらなぁ。
でも、しばらくするとそう思わなくなりました。
引き出しなんて別になくても良い。
きちんと使える手技が一つあって
軸となる芯となる考えがあれば
それで良い。
実際、10年以上続けている先生を見ていると、色々な種類の手技を身につけた先生は殆どいません。
一つの手技か一つの考え方を持って施述をしている人ばかりです。
困らないのかと思う人がいるかもしれません。
たぶん最初は少し困るかもしれません。
経験がない訳ですから。
技術的にも自分が思っているよりは未熟です。
それに目の前の患者さんがどうなっていくか分からない。
その状況で患者さんの体や痛みや症状が変わらなければ、どうしようと心配になったり困ったりします。
それは誰しも仕方がないことだろうと思います。
熟練した手技を一つ持っていて、芯となる核となる考えがあれば、その場でいろいろと工夫することが出来ます。
普段やっている事で効果が出なかった場合、芯となる核となる考え方を元に、別のアプローチを考えられます。
考えたアプローチをやるための手も出来ています。(技術を使うための体も出来ているし、使い方も熟練している。)
そうなればその場でいろいろと試す事も出来ます。
それは引き出しではなく、自分の技術を持っている身に付いていると言う事だと思います。
開業して3年は一つの手技をメインにやると良い。
と、卒業生には言うようにしています。
新しい技術を身につけるのがダメだとは言っていません。
新しい技術を身につけるにも、自分の手が出来ていないと中途半端な技術になるし、芯となる考えがぶれるようだと、後からいろいろと考えられなくなります。
芯や軸がないと、目の前でやってみた手技や技術に効果がないと、羅針盤を失った船みたいに、次に何をやれば良いか分からなくなってしまいます。
整体の勉強をするなら、基本の手技を、基本となる考えの元に教えているところが良いと思います。
てあて整体スクールもその一つです。
機嫌の悪い患者さん
整体院に来る患者さん。
なんとなくぶっきらぼう。
言葉少な。
俯きがち。
積極的というより消極的。
どちらかと言うと機嫌が悪い印象。
そんな風に感じる人もいます。
当たり前です。
調子が悪いんです。
痛みがあったり悩みがあったり上手く行かないことがあったり。
絶好調なら整体になんか来ません。
ま、たまに遊びに来てくれる人もいますけど。
本来はというか普通はあまり調子が良くない時に整体に来るものです。
その調子を良くする、あるいは整える、普通に戻す、というのが整体師の仕事です。
だから機嫌が悪くて当たり前。
だと思います。
まあ、機嫌が悪くて怒っている人はあまりいませんけど、上に書いたように言葉少なで俯きがちという人はいます。
ちょっと頑張って話をしてくれていると思う人もいます。
治りたい、何とかしたい、と積極的に治療に参加してもらえるのが一番ですが、そこまで頭が回らないと言うこともあります。
痛みや調子の悪さが先に来て、自分で何とかまで頭が回らないと言うこともあります。
そこを何とかするのが整体師と思っています。
そんな調子の悪い患者さんを見ていて、”貰わないですか?”と聞かれることがあります。
患者さんの”悪い気”を貰わないかという話です。
幸運なことに荒木は貰いません。
全然、受け付けないというのではないですよ。
調子が悪い事を、受け止めて流してしまうようにしています。
昔のお笑い芸人さんじゃないけど、受け流す。
ちゃんと受けるので安心して下さい。
それに、貰うくらいなら患者さんに荒木の調子良さを渡せば良いと思っています。
どちらか一方向ではなく双方向がコミュニケーションの基本ですから。
整体院に来る患者さんにも様々な人がいらっしゃいます。
どんな方でもお待ちしています。
来院時と帰り際の顔
整体院に来る患者さんは調子が良くて絶好調という人は、まあいません。
痛みがあったり辛かったり・
調子が崩れていたり困っていたり。
どちらかと言えばイマイチかそれ以下という時にいらっしゃいます。
それで、整体が終わり、てあて整体院の場合はお茶でも飲んで、少し話をして、玄関までお送りします。
お疲れ様でした。
ではまた。
その時、帰り際の顔が、来院時の顔とどれくらい変化があるか。
というのは一つのアレです。
ちょっと俯きがちに来られた人が、顔を緩め口角も少し上がって。
上気したような頬で帰られると。
ああ、良かったなと、胸を撫で下ろします。
喜ぶというより、ホッとする感じ。
これはまあ整体師としての一つの喜びでもある。
と言うような事も言われますが、喜びというよりは安堵という感じですかね。
結果が全く出なければそうはいかない訳で、そうなんて少し安心するというようなところです。
患者さんも少し肩が落ち(力が抜けて)呼吸が深くなって、明日に向かおうという気持ちが5度くらい上がってもらえたら良いなと思っています。
来院時と帰り際の顔は、チラッとですが実はチェックしています。
触診は何かを探している訳ではない。
触診は骨を探したり歪みを探したりしている訳ではありません。
以前も書いたことがありますが、触診では何かを探さない。
手や指で患者さんの体に触れて、触れた手や指で感じることをイメージや言葉にする作業です。
手も指も何かに触れれば触れたことが分かります。
でも、触れた何かを意識に上らせなければ、何に触れたのか分かりません。
そんなバカなと思われるかもしれませんが、人の脳はそう言う風に出来ています。
例えば普段、外を歩いている時には目の前にある物は全て見えています。
そこにあるのは分かる。
でも、どこに何があるのかは確認しないと分かりません。
通勤している時、駅を降りて歩いている時、たくさんの店が並んでいるのは見えています。
でも、そこに何の店があるのかは、そこにその店があると確認するまでは、殆どの場合分かりません。
この分からないという感覚が、触診では触れてもどうなっているか分からないという感覚につながります。
分からないのではなく、まだ確認していないという事です。
触れてはいる訳ですから。
ここで、探さないということがポイントになります。
骨やズレを探してしまうと、今まで自分が知っている(認識している)骨やズレと違うと、骨やズレと認識出来ません。
だから探さない。
探さずに、触れたモノ触れたコトを、こんな感じ、とイメージや言葉にして意識化させます。
そうすることで、触れたモノやコトが自分の知っている何かになります。
すみません。
ちょっとややこしい書き方になりました。
手や指で触れたら、触れた時の感じがどんなものかを、言葉にしてみることです。
う〜んちょっと硬いかも、とか。
ザラザラしてる、とか。
凸っとしてる、とか。
ここだけふにゃふにゃしてる、とか。
右だけ指に当たる、とか。
引っ込んでいるとか。
何でも良いんです。
骨だ!とかズレてる!と思わなくて良いんです。
自分が感じたことを言えば良い。
何も感じないというのでも良いですが、何も感じないというのはよく考えるとちょっとアブナイですけどね。
触れてる感覚はある訳ですから。
机と畳と土の地面とコンクリートに触れたら、それぞれちょっと違う感じがすると思います。
それを机だ!とか、畳だ!とか、地面だコンクリだと思わなくて良いんです。
ツルツルだとかザラザラだとか湿ってるとかゴツザラしているとか。
そんな言葉やイメージで良いんです。
そうやっていると、だんだんと自分の感覚を言葉に出来るし、ココとソコの違いが何となく分かるようになって来ます。
違いがわかったら、それがどういうことなのかは、解剖学など勉強しながら自分で想像していきます。
触診は何かを探している訳ではありません。
触れたままを言葉やイメージにする作業です。