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第三の人生

読了までの目安時間:約 3分

最近、つらつら考える事があります。

どうだったんだろうこの人生は。
どうして行こうこの人生を。

どうだったんだろうこの人生は、はこれまでの人生の事ですね。
どうして行こうこの人生を、はこれからの人生の事です。
そんな事はいつだって考えるだろう。
はい、確かに。
誰だって考えます。
でもこれまでとはちょっと意味合いが違ってきています。
この年齢になると既に人生と呼べるほどの時間を生きています。
そして人生と呼べるほどの事も経験しやって来ています。
だから、これまでどうだったんだろう、と言うのも、今までの延長のこれからを修正する為ではありません。
だってもうそろそろ結果は出ていますから。
うまく行ったのか行かなかったのか。
うまく行くとか行かないではなく、良かったのかそうでもなかったのか。
例えば面白かったのかそうでもなかったのか。
一応の結果は出ています。
出ていて分かっているようなもんですが、どうだったんだろうと考えてみている。
面白いですねそんな感じです。

どうして行こうこの人生を、については、どうやって死んで行こうという事を含んでいます。
いや死ぬ訳じゃありません。
死にゃあしませんまだまだ。
そうではなくて。
死ぬ時にどんな人生だったと思って死ぬように、最後の設計をしようかと言うような意味です。
今からならもう一回人生と呼べるくらいの時間はありそうだから。
まあぎりぎり。
ありそうでしょ。
何事も10年くらいはやらないと、やった感じもしないし結果も出ないし実感もない。
だから、どうして行こうこの人生を、です。

このままの路線で行くのか、全然別にするのか、最後くらいは〇〇してみようかとか。
第二のではなく第三の人生ですな。
定年退職の人なら第二の人生かもしれない。
でも会社を途中で辞めて第二の人生をやってた人なら、第三の人生です。
年齢は同じくらいでも全然違う感覚だろうと思います。
昔の仲間の様子を見てても違うから。
どうとはまだうまく言えません。
でもまあ違う。
それはそれぞれの良さがあるような気がします。
第三の方が若干自由度が高い感じはしますけどね。
選択肢に。
いや選択肢と言うより考え方の自由度かな。
それも個人差なのか。
ま。
分かりません。

考えましょう。
第二や第三のの人生を。

シアター21フェス ”冬編” vol.116

読了までの目安時間:約 3分

神楽坂セッションハウスで行われた【シアター21フェス ”冬編” vol.116】(ダンス公演)で踊りました。
今回はR60 Projectというグループで”KA・N・RE・KI”というダンスでした。
まんまですね。
還暦のダンサーによる還暦ダンス。
こう書くとちょっとアレですけど、長年ダンスを楽しんできた仲間によるその年齢にしか出来ないダンスでした。


R60Project

写真左から2番目の女性が作者の小林さん。
一番左も小林さんで御夫婦です。
左から3番目がうちのオクサンで一番右が荒木です。
両夫婦とも全員が昨年60になりました。
それを記念してということで、10月にスタジオパフォーマンスに出るために作りました。
音楽は森山良子さんのアレ・アレ・アレという曲とレットイットビーのカバー曲。
踊りを言葉で説明しても意味はありませんが、コミカルな作品でテーマはこの年齢のアルアルのようなものです。
あれがないこれがない、あれはどうしたこれはどうした、あれはどこだったっけ、同窓会では先生と生徒の見分けが付かなくなり、誰だったか面影を探すのが大変。
みたいな。


昨年やったTOKYOZAというスタジオのスタジオパフォーマンスで作ってもらい、これは仲間内だけではもったいないと思いました。
自分で踊っていてなんですが、多くの人に見てもらいたい作品だと思ったんです。
世の中には「60も超えて年齢の割に動けますね凄い」という作品や、「その年齢には見えないですね若い人と一緒に踊っていても」みたいな作品は結構あるように思います。
痛いとまでは言いませんが、まあねという感じ。
歳をとってもまだまだやれる感が全面に出ている感じ。
でも、年齢なりに自分たちを表現している作品はあまりないと思っています。
それが出来た。
大げさな言い方をすれば、時代が創った(もちろん創ったのは作者)作品のような感じがします。
例えばラブソングは以前は10代から20代くらいの男女の気持ちだけでした。
ところが最近、斉藤和義さんが出した同窓会に出たら昔のマドンナが未だに美しい、なんてあれは40代のラブソングですね。
例えばサザンオールスターズの壮年ジャンプもそんな唄かもしれません。
そういう年代毎の唄や踊りがあっても良いのかと。


今回は全く見ず知らずの方々からも素敵だと声をかけて頂きました。
一緒に出ていた他の作品のダンサーからも踊りたいと言ってもらいました。
素敵な作品に出会ったと思います。
いつまで踊れるか分かりませんが、なんて言いません。
いつまでも踊ってその年齢なりの踊りを踊りたいと思います。
歳をとったからとか、考えない方が楽しいように思います。

妻のトリセツ

読了までの目安時間:約 3分

朝のニュースショーを見ていたら、「妻のトリセツ」という本があって、その解説的なことをやっていた。
妻(女性)は共感脳で夫(男性)は問題解決脳だとのこと。
養老先生が女性は情動や感情でコミュニケーションして男性は情報でコミュニケーションすると言っていたのを思いだす。
しかしどうして夫のトリセツではないんだろうと思っていたら、夫に不満を持つ妻は75%くらいで妻に不満を持つ夫は50%くらいだとのこと。
不満のある妻が多いと言うことか。
でも、それを夫はたぶん知らない。
知らない人は気にしないから読むことはないだろうなと思っていたら、購読者の1/3は女性だとのこと。
分かってもらえない不満を持った女性が読んで納得しているということのようだった。
本は面白いと思うが、そうやって問題解決脳を持った男性が共感するような言葉を発するとどうなるんだろう。
そこに不満は生まれないんだろうか。
難しい問題だ。
この問題は以前からたまに書いているが、整体院のチラシやセミナー告知などの文言を考える時に利用している。
例えば女性に多く参加してもらいたいセミナーや整体院に女性に来てもらいたい時には、情動や感情に訴えるような表現をする。

「すっきり。さっぱりしたいなら。」
「体がかる~くなる整体」
「もやもやを綺麗さっぱりなくしましょう。」
「どんよりから軽い体へ。」

逆に男性に来てもらいたないなら。

「腰痛の原因は腰だけじゃない。」
「僧帽筋の硬さを取って肩こり解消」
「膝痛は骨盤の歪みと関係しています。」

みたいな表現になる。
男性に「すっきり。さっぱり。」と言っても、どうしてかが分からないので信じられない。
女性に「腰痛の原因は腰だけじゃない。」と言っても、じゃあ軽くなるの?さっぱりするの?と感じてしまう。
そんなことがあります。
それはどちらの方が良いとか悪いとかではなく、脳の構造からそうなってしまう。
と養老先生は言っていた。

伝わりやすい方が良いと思うので、てあて整体院や整体スクールでは少し気にかけながら書いたりしています。

体が硬くなる。

読了までの目安時間:約 3分

阪神淡路大震災から24年。
あの日は月曜日。
会社員時代のことで会議に出ていました。
月曜の朝会議に関西の店長や地区長が連絡もなく来ない。
何やってんだと言っていたのが、もう10時くらいだったと思います。
震災は朝6時前だったというのに、昼近くになっても情報がない状態でした。
インターネットも携帯もまだ普及していない時代で、しかも電話も使えなくなるほどの酷い状態だった。
時間を追うごとに被害者の方々の数が増え、阪神淡路地方の惨状が分かってきました。


東日本大震災の時はもう整体師になっていました。
8年ほど前。
東京での地震の状態と震源地や地震の大きさを聞いて、被災地の被害状況がこんなものじゃないんだろうと考えていました。
結局、その通りで状況はどんどん悪化。
さまざまなことが起こってきました。
震災から1年近く経った時に、福島に手技を届けるボランティアに行きました。
それから半年から1年の間をあけて、数回、仮設住宅の避難所に行くことになります。
体の中から聞こえてくる声は、最初は疲れだったものが怒りになり諦めになって行ったのを覚えています。


体は硬くなる。


ストレスももちろんですが、日常の動きが変わることや。
安眠出来ないこと。
運動不足やゆっくりと風呂に入れないことなど。
原因はいろいろですが体は硬くなる。
それに伴って気持ちも硬くなります。
脳科学や生理学的に説明出来ると思いますが、それよりも実感として分かる部分だと思います。
だから、体から緩めるというのも1つの方法です。
外側を緩めることも大切ですが、芯に残っているものを緩めるのも大切です。


ツィッターやブログで簡単ストレッチを書いてます。
出来るだけ毎日書いているので、参考にしてみて下さい。
宣伝も載ってるので、関係ない人は読み飛ばして下さい。

ツィッター : https://twitter.com/teateseitai

ブログ : https://ameblo.jp/teate-seitai/

骨盤は脚なのか胴体なのか。

読了までの目安時間:約 4分

浅草にある待乳山聖天さまにお参りに行ってきました。
珍しく和服で出かけました。
思い出してみると5年以上前に一回着たきりです。
帯は何とか結べます。
貝の口って結び方、ネットで調べればすぐに出てきます。
男の帯は意外に簡単です。
ホント。


和装・てあて整体スク-ル

その帯のことです。
和服の帯は腰に締めるといいます。
実際にはお尻の上の方、骨盤の上半分にかかっています。
洋装した時のパンツ(ズボン)の腰はウェストで、骨盤のと肋骨の間です。
だから洋服を着た時と和服を着た時では、腰の位置が違うことになります。
ま同じ体なんですが、腰の認識が変わるとでも言いましょうか。

それで、帯を締める腰(骨盤)は脚なのか胴体なのかと言う問題です。

今日は浅草から原宿に行って帰ってきたので、1万歩くらい歩きました。
男性の歩幅は70センチくらいで計算出来るので、約7キロです。
2時間近く歩いていたことになります。
疲れは殆どありません。
歩きにくい感じもない。
風があったので裾がはだけそうになるだけで、歩くのには問題がない。
着物を着ていると、歩幅は少し狭くなっていると思います。
でも歩くのは疲れない。
割合と合理的に出来ているんじゃなかろうかと思います。

洋服で歩いていると、骨盤は脚の一部の感じがします。
ベルトを締めている腰(ウェスト)から下を脚と認識しやすい。
これは動き的にも見た目的にもです。

和服を着ていると、骨盤は脚の一部でもあり胴体の一部でもある感じがします。
骨盤全体が脚と胴体の重なった部分になっている。
腰と言う字は肉月(にくづき)に要(かなめ)と書くので、体(肉体)のかなめになっている部分だと捉えられていたのではと思います。
実際、腸腰筋と言う脚を動かす筋肉は、鳩尾(みぞおち)の奥から始まって、太ももの付根についています。
だから腰(ウェスト)辺りも実は脚の一部とも考えられます。
でも、骨盤の中には内蔵もあります。
腸や膀胱や子宮などの重要な臓器が容れられています。
まさしく胴体。
だから骨盤は脚の一部でもあり胴体の一部でもあるというのは間違いではないと思います。
しかも大きくて硬い。
なので要(かなめ)として土台のような働きをしていると言うことでしょう。
下半身の土台でもあり上半身の土台でもある。

和服は日本の風土にあっているということもあり、日本人の体型にあっているということもあると思います。
たまに着ると体の発見があります。
今年は何度か着てみて、いろいろと感じてみたいと思います。
てあて整体スクールでは症例別の授業で「晒しの巻き方」を教えたりもします。
最近はあまり巻く人がいないようですが、どんな人にもフィットするし腰痛にも普段の体の調子を整えるのにも良いのでやっています。
和服とはまた違いますが、帯と同じように腰に巻くものなので、生徒さんにも教えていきたいと思います。

ところで待乳山聖天さまでは何故か大根をお供えします。


和装2・てあて整体スクール

整体師ってどんな人

読了までの目安時間:約 2分

整体師と言うと白衣を着た先生。
白い壁の施術室にベッドが並び、壁には経絡図や骨格の絵がかけられている。
そんなイメージかもしれません。
でも。
最近の整体師はそんな人は減って来ている。
ここ10年くらいで随分イメージが変わって来ました。
それは見た目だけでなくライフスタイルについてもです。

白いBDシャツにジーンズ。
半袖Tシャツに短パン。
ランニングやトレーニング用ジャージの上下。
カジュアルシャツにチノパン。
デザインTシャツにタイパンツやサルエルパンツ。

こんなイメージの整体師が沢山います。
普段着!?と思われるかもしれません。
もちろん普段着の先生もいますが、多くの先生は着替えています。
それはお洒落だからということもあるかもしれませんが、それよりも本人にとって動きやすいから。
白衣が動きやすい先生もいますが、Tシャツやジーンズの方が自分の手技を使うのに楽だということがあります。
ベッドや床を使う場合、器具を使う場合もそうです。
ピラティスやヨガインストラクターの方で整体の技術を学んで、クライアントさんの体を見ている人もいます。
パーソナル・トレーナーの基礎的な技術として学ぶ人も。
兼業が良いということでもありませんが、主婦やOLをしながらという女性はかなり増えています。
男性はなぜか少ない印象ですけど。。

自分のなりたいことを、やりたいことで実現する。
そんな人たちが増えています。
過去の形態や形は関係ない。
自分らしさを追求している先生が増えています。

現代舞踊公演を観て。

読了までの目安時間:約 4分

【新進舞踊家海外研修員による現代舞踊公演】を観てきた。
横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール。
池田素子さん、小松あすかさん、内田香さん。


赤レンガ倉庫1

「 Do not fear. 」 池田素子作品

何が始まったのか。
舞台上のことが分からなかった。
ダンサーの動きに意味を感じようとしていたのかもしれない。
何かが始まったことだけは分かった。
しだいに動きはピースになりパーツになり。
何か意味を持つような動きに見えてきた。
ただそれでも意味ではなかった。
ある瞬間。
突然、意味の萌芽が見え始める。
それは観る人個人で違うんだろうと思う。
ああそうだ。
そうだったんだ。
情景が少しずつ。
風景が少しずつ見え始める。

東京の唄が聞こえてきた。

突然、一気に世界が開け色が見え始める。
凄い。
ただのパーツでしかなった動きが情景を創り風景を見せ始める。
凄い凄い。
人と人のいるところの関係性、関係と関係の関係生。
それまでのピースやパーツが交錯し情景となりパーツ同士が関係を持ち出す。
世界が勝手に動いている間に、自分は自分で一人の世界がつながっていく。
それぞれの物語がぶつかり並走し交錯しながら展開していく。

とにかく素晴らしい作品。
現代舞踊展でこの作品が見られるとは思わなかった。
横浜の夜。
赤レンガ倉庫を最大限に利用し。
ダンサーも構成も振り付けも音楽・音響も衣装も舞台小物も照明も。
とにかく素晴らしい。


「 みち 」 小松あすか作品

セピア色の照明の中、踊るダンサー。
面白い照明だと思う。
衣装の色を変える照明。
身体能力とテクニックの高さも見える。
様々に構成され突き進んでいく舞台。
でもまてよ。
何だろうこの違和感は。
言いたいことは分かるような気がする。
たぶんこういう世界が見せたいんだろう。
でも。
何かが違う。
何だろう。
そうだ雑なんだ。
構成も振り付けも照明も衣装も表情もフォーメーションも。
全てが雑に見える。
少しずつ抜けている印象。
穴が見えてしまう。
残念。
もうちょっと詰めれば良いのにと思う。
デッサンのようなものが見せたいのであれば、デッサンを見せるような造りに出来るんじゃないか。
デッサンにはデッサンの良さがある。


「 note 」 内田香作品

黒いドレスを着た長い髪の女性。
上手に椅子が4脚、下手に2脚。

圧巻のダンスが続く。
椅子を使った展開がある。
美しいフォーメーション
素晴らしいテクニック。
音楽の盛り上がりにつれて盛り上がっていく舞台。

しかし。
どうしてドレスなのか。
どうして黒なのか。
どうして長い髪なのか。
どうして椅子なのか。
ここ横浜で。
赤レンガ倉庫で。
この空間で。

最後まで分からなかった。
これは見ている自分の問題なのか。


赤レンガ倉庫2

三作品とも力のある作家が創作した舞台で見ごたえがあった。
ただ、上にも書いたように個人的には池田作品が抜群だったと思う。
二作品にはいろいろと気になる部分が多かった。
好みの問題もあるかとは思うが、同時代のコンテポラリーダンスや現代美術・現代芸術・現代音楽と並列に並べてみるとはっきりするような気がする。
ダンスに時代は関係ないと思うが、時代を関係ないと言うのなら、時代に関係のないダンスを観たいと思う。
そういう作品を作ってもらいたいと思う。

関係者の方が見ていたら失礼しました。
良い作品を観たいと思う個人の感想です。



治らないことで安心する患者さん

読了までの目安時間:約 3分

整体を受けた後に質問を受けたとします。
「受ける前の痛みが10だとしたら今はどれくらいですか?」
答えとしてはざっくり二種類に分かれます。
例えば痛みが半分の5になったとしたらどうでしょう。


「もう半分になりました。(ありがとうございます。)」
「まだ半分も残っています。(どうしましょう。)」


これ例えば痛みが3になっても同じことです。


「もう殆ど痛くなくて3くらいしかありません。」
「まだ3の痛みが残っています。」


結局、痛みが軽くなって喜ぶ人と、残っている痛みにフォーカスして残念がる人に分かれます。
もう3しか痛みがないんだから良かったじゃないですか。
普通は一回の施術では半分くらいにしかならないですよ。
これを何回か続ければ、どんどん痛みは減って行きますよ。
というような言葉は通じません。
いや通じてはいるんですが、納得がいかないというか喜べない。
どういうことなんでしょうか。


治らないことで安心する。


ちょっと極端な書き方ですが、こう言うことです。
良いことが起こっていても、良くないことにフォーカスしてしまう。
それはネガティブな心と言うよりは、良くないことを確認して安心していると言うことです。
これ、痛みだけでなく悩みについても同じことが言える場合があります。
悩んでいることで安心してしまう。
結果が出ないことで安心する心情です。
どうしてでしょうね。
そういう人がいます。


こう言う時、それ(この状態)を知ってもらうことがポイントだと思っています。
そういう風に考えるクセがついている。
その上で、先ずは良い悪いという評価をしないで、そのままを認識し受け入れる練習をしてもらう。
痛みが半分になったら、「まだ半分」ではなく「半分になった。」ただそれだけです。
良いも悪いも判定しない。
嬉しいも嬉しくないも判定しない。
ただ半分。
そう思ってみる練習です。
何かで悩んでいるなら、結果ではなく現状を考えてみる。
そういう練習です。
そうやって現状をそのまま認識し受け止める練習をしていく。
そうすると少しずつではありますが、がっかりすることは少なくなります。

前職では経営計画を立てていました。

読了までの目安時間:約 4分

荒木の話です。
てあて整体院を開業したのが2001年。
てあて整体スクールを始めたのが2004年。
その前は何をやっていたかと言うとサラリーマンでした。

サラリーマン時代は長く紳士服の流通小売業の本社で仕事をしていました。
入社後2年弱で最初に本社に異動した時は、外国部という部署で少量でしたが輸入実務と海外事務所のケアをしていました。
その後に移った部署では商品管理をやりました。
紳士服の流通小売とは要するに全国展開の洋服屋さんのチェーンです。
商品管理とはその洋服屋さんの店舗の商品の在庫や仕入れや売上や値引きやロスなどを管理する部門です。
担当していた部門の店舗は最初は2店舗でしたが、後に別会社として独立し100店舗くらいになり130億円まで売上を伸ばしました。
独立した後は業務推進室という部署に異動、その会社の年間売上や在庫管理などをしていました。

売上や在庫の計画は店舗別商品別月別に積み上げて行きます。
お店毎の収益計画を立ててそれを集計し、そこに本部の経費などを加算して会社全体の計画にします。
計画はコンピュータに入力され、店舗別月別に予算と実績が出て、その管理をしていました。
書いていてびっくりしますね。
そんなことやってたんだと思います。

2001年に開業した時にはだから、自分の店の収益計画を立てました。
収益計画は売上と経費に分かれます。
でもその前に事業計画を立てました。
年度別に今年の目標は何しようと考え、それを達成するためにやることを決め、それを月別に落とし込んでいきます。
その後で売上と経費の計画を立てる。
売上は月別メニュー別に分かれていて、それを積み上げます。
メニュー別とは整体でいくら、セミナーでいくらというような細かい計画です。
整体の売上の計画はコース別に月別に計画して決めました。
経費も同じで月別に項目別に立てました。

毎月終わったら集計して予実の管理をしようと思ってましたが、実際にはそこまではしませんでしたね。
そこまでする時間がなかった。
でも一年間が終わったら集計してみていました。
最初に考えた計画と違っていたのかどうだったのか。
たしか5年位はそんなことをしていた記憶があります。
お恥ずかしながら今はしていません。
今は年間のキャッチフレーズを立てるくらいで、数値計画は立てていません。
どうしてでしょうね。
そういうことをしても良いんですが、もうそうしなくても良い時期なのかと思ったりもします。
もっと規模を大きくしていくのなら必要でしょうけど、今は身の丈にあった仕事をしているので、それほど細かい計画や管理は必要ないのかもしれませ。

でも、これから開業する人は必要だと思います。
開業して数年は計画を立てて実績と照らし合わせる。
それを数年続けていると、自分がどれくらいの規模の売上があって、どれくらいの経費を使っているかが分かります。
そう言えば今も毎月、経費の計算だけは必ずしています。
会計ソフトへの入力を会計士任せではなく自分でやることにしています。
これは自分の仕事の規模(金銭的な)を実感として分かるにはとても良いことです。
個人事業でやっている人は、毎年一回確定申告の時に経費をまとめていると聞きますが、それだとちょっと大雑把すぎるように思います。

事業計画や月次年次の収益計画の立て方は生徒さんにも教えています。
そんなに難しいことではありません。
基本的に足し算引き算だけで出来ますから。
あとは積み上げの方法を知っているだけで大丈夫。
気になる人は聞いて下さい。

安定した体

読了までの目安時間:約 2分

「安定した体」と言われたらどんな体をイメージするだろう。
グラグラしない、どっしりした、落ち着きのある。
そんな言葉が頭をよぎる人が多いのかもしれない。


体は約200の骨と600の筋肉で出来ていると言われます。
生きている人はほとんど常に呼吸をしていて心臓も動いています。
呼吸をすると肋骨と背骨で囲まれた胸郭という、鳥かごのような形をした骨が広がったり縮こまったりします。
呼吸に合わせて横隔膜(という筋肉)や胸の周りの筋肉が動きます。
血液はかなりな圧力でお腹の中を上下に進み、体の隅々まで毛細血管として流れが続き、また集まって心臓に戻ってきます。
血管は柔軟性のある柔らかな組織で出来ています。


生きている人は常に動いている。


呼吸をし血液が流れている体は、沢山の筋肉と沢山の骨で立ったり座ったりの姿勢を取っていたり、歩いたり走ったりパソコンを打ったりご飯を食べたりします。
つまり止まれない
完全に動きがなく止まっているとしたら、その人は死んでいる人です。
「安定した体」はその動いている体が、柔軟にバランスを取って、立ったり座ったり歩いたり走ったりパソコンを打ったりご飯を食べたり出来る体です。
倒れたり転んだり躓いたり、どこかが固くなったり、呼吸がしづらくなったり、血流が悪くなったりしない。
そんな体です。


安定した体や真っ直ぐな体を求めるあまり、体の動きを止めてしまったり、固めてしまったりすると、実はそれは逆効果になります。
常に動いている体を感じることから始めてはどうだろうと思います。


待乳山聖天 写真は本文と関係ありません。