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定年退職

読了までの目安時間:約 3分

自分が社会人になった頃の定年は55歳だったと思います。
その後すぐに60歳に段階的になってきて。
最近は65歳に段階的になっている状況のようです。
大学時代の友人からの年賀状に、同じ職場で再雇用になった、と書いてありました。
彼の会社は60歳定年で、だから再雇用と言うことになったんだと思います。
数年前に同じく大学の別の同級生が定年で退職したとも聞きました。
彼は大学と高校の間で数年勉強期間があったので、他の奴らよりも少し早めに定年が来たようでした。


そう言う年齢かぁ。


そう言う年齢なんだなと思います。
当たり前です。
人間毎日歳をとります。
日々は歳をとっている実感はありませんが、こういう節目の年代になってくるとそう感じたりします。
しかし中身は驚くほど変わっていない。
頭の回り方とか考え方とか、感覚的には30代と似たようなものだと思います。
同じことを30代にも思いました。
30代のころは17・8歳位と変わらないと思っていました。
同じことは17・8歳の頃にも思っていました。
当時は10歳位と変わらないなぁと思っていました。
もちろん知識や経験は増えていますけど、根本的な考え方は変わらない。
そうなると10歳位で考えていたことと、今考えていることがさほど変わらないと言うことになります。
ううむ。
ああああああああん。
と考えてみると、そうかもしれません。
人間進歩がないですな。
知恵だけはつくってやつです。
ま、でもそんなものんでしょう。


定年の時代を迎えて、これからどうするか。
そう考える人もいるでしょう。
今までと違って第二第三の人生を歩むとか。
でも、あまり変わらないように思います。
基本的な考え方は変わらない。
その上で何をしていくか。
今までやりたくてもやれなかったこと、は、やってみようと思います。
やってみたいと思いませんか!?
出来ないと思っていたことも、実はやらなかっただけで出来るのかもしれません。
ようはやるかやらないか。


「センセイ、私、整体師になっていなかったら、もうあと2年位で定年でした。」
整体スクールの卒業生がそんなことを言っていました。
整体師は定年がないですからね。
これからが面白くなります。

手先の器用な整体師。

読了までの目安時間:約 1分

骨格模型が壊れました。
いや。
正確には壊れていました。


骨格模型修理1

しばらく放ったらかしにしていました。
すまぬすまぬ。
出来るだけ見て見ぬふりをしていました。
いけないことです。
針金があれば何とかなる。
とは思っていました。
でも針金がないから。
いや、やっぱりすみません。
ということでステンレスのワイヤーを購入。
修理をしました。


骨格模型修理2

骨格模型修理3

骨格模型修理4

骨格模型修理完成

もうあれですね。
骨格調整。
と言うより。
外科手術。
です。
でもまあ。
手先が不器用な整体師よりは良いか。
ということで。

モーションクオリア

読了までの目安時間:約 3分

アーキタンツで工藤聡さんのクラスを受講しました。
ダンスのクラスです。
工藤聡さんはヨーロッパで活躍するダンサーで振付家。
以前からなんとなく気になっていましたが、昨年春に一度ワークショップを受けました。
男性であり見た目もちょっとごつい感じの工藤さんには何とはなしの親近感を覚えます。
モーションクオリアは二回目か三回目です。
この動きも動画でチェックすると親近感を覚える。
こういうのやりたいなぁと思わせる動きです。





実は工藤さんのクラスは受講するかどうか決めるのに少し気合がいります。
フロアの動きが半端ない訳です。
モウホントにぱねえ訳です。
明日のことを考える訳です。
大丈夫か?
れるのか?
なんてブツブツ言いながら、結局は行く訳です。(笑)
帰りの道すがら写真を撮るとぶれる訳です。
いや嘘ですけど。


田町

エクササイズ的に動いているときは笑いが出ました。
フロアをクロールで背泳で、横になって自転車漕ぎで移動。
立っているところから落ちる。
自由落下に近い動きです。
動きであって運動ではない。
で、そこをコントロールする。
ははは。
振りに入ると突然アレでした。
ひいひいです。
いや。
ひいひいひいひいひいひいふひ~
です。


帰りの電車では既に呼吸筋がきゅうきゅう言ってます。
三角筋や胸鎖乳突筋、横隔膜もそうです。
そして、肋間筋が一気に全部収縮する感じ。
一気に全部です。
呼吸が浅くなるくらい。


いつまで出来るのか。
自分で納得できる動きと筋感覚で。
動くだけならいつまででも出来ます。
歩幅を小さく低くジャンプ、腰を下ろさず、ゆっくり床に寝ていく。
それじゃあ出来たことにはならない。
ジャンプは重いけど、歩幅を広げるのは体験だけど、出来るだけ落ちるように床に入っていく。
そうでないと出来るとは言えない。
それを確認する意味でも、動きを探求する意味でも楽しいクラスでした。

レーゾンデートルとかメメントモリとか自己実現とか

読了までの目安時間:約 2分

レーゾンデートル = 存在理由・存在価値
メメントモリ   = 死を思え
自己実現


自分が大学生の頃に流行っていた言葉です。
たぶん、流行っていたんだと思います。
最近はあまり聞かなくなったから。
でもひょっとして大学生や20代の人たちはこんな話をしているのかもしれません。
どうなんでしょう。
ちょっと今読むと小っ恥ずかしい。
なんて思うんでしょうか。
そんなことより今夜の飯だ。
と言うことでしょうか。
でもやっぱり。
あれです。
自分の存在価値のことや死を思ったり、自己実現てどうなんだろうと、たまには思います。
よね。
いや自分は思います。
そしてそうだからこそ会社を辞めました。
もう20年も前ですけど。


自己実現が出来たのかどうかは知りません。
分かりません。
存在価値があるのかないのか分かりません。
いつも書いていますが、池田晶子さんの言った「人生は意味ではない。」が一番しっくり来ます。
生きてるだけで丸儲け。
存在こそが奇跡だと思います。
だったらまあ、生まれて生きているんだから、出来るだけ好きなことをやりたい。
出来るだけですよ。
出来るだけ。
全部って訳にはなかなかいかないでしょう。
好きなことだけやって生きていくと言う人もいますけど。
自分はそれは難しいような気がしています。
だからダメなんだと言われそうですけど。
自分はそうなんだからそれで良しと思っています。
でもまあ出来るだけ好きなことをやって生きていく。


人に言われる仕事よりも、自分で考えた仕事をして生きられたらと思います。

ヒトにしか出来ない仕事

読了までの目安時間:約 4分

10年経ったらなくなる仕事・残る仕事


最近、よく耳にする言葉です。
自分がいまやっている仕事は残るんだろうか。
AIがもっと進化すれば様々な仕事がとって代わられるかもしれません。
単純作業はロボットに変わってきています。
頭脳を使う仕事は難しいだろう。
でもどうだろう。
本当にそうなんだろうか。
例えば医療はEBMが進んでいます。
エビデンス・ベイスト・メディスン。
証拠に基づいた医療。
検査結果が数値や画像で確認出来るものでなければいけない。
最近はお医者さんが患者さんに触れなくなっていると言われます。
しかたがありません。
だって触診をして触れてお医者さんが感じたことは、エビデンス(証拠)にはならないからです。
数値化出来ない。
主観的な数値化は出来ても、客観的な数値にはならない。
人によって感じ方が違うから。
そのエビデンスに基づいて診断がくだされます。
あなたは何々と言う病気です。
だったら問診票に書かれたこと(患者さんの申告)と、血液検査や画像検査で診断は出来てしまう。(かもしれない。)
としたら。
診断を下すお医者さんは必要なんだろうか。
お医者さんというヒトである必要はあるんだろうか。


例えば判例に基づいて下される判決。
裁判の時の裁判官などはどうなんだろう。
これまでの無数の判例AIに学ばせれば、殆どの判決はAIで済んでしまうんじゃないか。
同じようなことが弁護士にも言えるかもしれない。
あるいは会計士や税理士などもそんなことが言えるかもしれない。
頭脳を使うと言われている仕事をヒトがやる意味はなんだろう。


整体師はどうでしょう。
マッサージチェアがもの凄い進化を遂げています。
とは言えまだまだ。
全然ヒトの手には及びません。
と言えるんでしょうか。
今のところAIを搭載したマッサージチェアは聞いたことがありません。
人の体の硬さや凝りを感知するロボットは出来そうです。
ではそれに対してマッサージ的なことをするロボットは?
脊椎の歪みを調整するロボットは。
例えばAIを搭載したロボットに安全性の高い調整手技を教師有り学習をさせてみたらどうなるか。
それを圧をかけるのではなく、自動範囲と他動範囲の中で調整させたら。
たぶん出来るようになるんだろうと思います。
でもまだそこまで資金をかける時代にはなっていない。


だったらヒトはロボットでも出来る仕事を、今はしていれば良いのか。


そんなのちょっとつまらない。
と思います。
ヒトはヒトにしか出来ない仕事をしたい。
と言うか私はそうしたい。
患者さんとの口頭による会話から、患者さんの心理的な状況を判断する。
患者さんの体に触れることから、患者さんの身体的な状況を判断する。
その中から今すべきことは何なのか。
患者さんが望むことは、患者さんの体には何が必要なのか。
患者さんの気持ちには何が必要なのか。
環境としての治療家として振る舞います。
治療家のヒトとして施術を施します。


そんな仕事が求められている。
と思っています。
それが出来るヒトが全然足りない。
と思っています。

作風

読了までの目安時間:約 3分

東京藝大卒展

東京藝大の卒展を見てきました。
卒展と言うのは卒業制作の作品展示会のことだと思います。
上野の東京藝術大学校内の美術館や研究室のようなアトリエのような場所での展示でした。
お目当ての卒業生がいます。
たぶん大学院を今年卒業する井田幸昌さんです。
彼のことはインスタグラムで知って最近見始めました。
色が綺麗で構図が美しくスタイルのある作品を描いていると思います。
たぶん30歳前後でとても若い作家さんです。
彼の作品もありました。


インスタグラムで見ていたものとは少し印象が違いました。
少し違うだけで全然違う訳ではありませんでした。
もちろん作家なので同じようなタッチの同じような画風の作品ばかりではありませんが、何か少し違った印象があった。
ま、卒展はこれくらいで、みたいなセリフが聞こえてきそうな印象もなくはなかった。
他の卒業生さんの作品を見ていても思いましたが、力の入り方が微妙な作品が多かったような気がしてならない。
全面的に好きなことやってる感じがイマイチ感じられないような印象もありました。
卒展だから仕方がないのかもしれません。
卒論みたいなもんですからね、変なものは出せないんだろうか。
それにしても、と少し思いました。


アートを目指す時にはそうなのかもしれないと思うことがあります。
通過儀礼と言うか、一度は経験しておかないといけないパターンと言うか、若い時期に作って見たくなる作品と言うか作風と言うか、自分のスタイルを創る前に一度はやってみること・考え方・ものの味方、のようなものがあるのではと。
それは、アレに似ているとか、一度は見たことがあるとか、あああアレね、とかそういう作品です。
それは必要なのか。
アートの世界ではもうそれは必要がないかもしれないと聞いたことがあります。
画家を目指すのにデッサンの練習は果たして必要なのか。
ダンサーを目指すのにダンスの練習は果たして必要なのか。
考えすぎると難しいですね。


小説家の開高健さんが「もうこの世には書かれたいないことはないんじゃないか。結局、作家には文体を残すことしかないのではないか。」と言うようなことを言っていました。
内容ではなくて文体・作風です。
それは画家や彫刻家や美術家の人にも言えるのではと思っています。
ダンスにも言えると思います。
では他の仕事ではどうなんでしょうか。
それはビジネスモデルってことなんでしょうか。
でもこれはちょっと違うか。
武術の世界では守破離と言うことが言われます。
これは同じような話なのか。


まとまりがないですね。
でもたまにはこういう文章も暇つぶしに良いでしょう。
藝大卒展でいろいろ考えました。

シミーのやりかた

読了までの目安時間:約 3分

シミー
聞いたことありますか?
ジミーちゃんじゃありませんよ。
シミーです。
ベリーダンスの動きのひとつです。
腰から下や胸を細かく振動させる動きのことです。
荒木が自分でやる訳ではありませんが、この動きが苦手でナントカナラナイカと相談に来る方がいます。
アレクサンダー・テクニーク教師としてだけでなく、ダンス歴35年の整体師としても聞かれているようです。


シミーの動きはプロダンサーが動いているのを見ていると、筋力を使って動いているようには見えません。
もちろん体を動かしているので筋力は使っています。
でも、ことさら使っているようではない。
イメージとしては体の中にある動き・ムーブメントを筋肉で止めないようにして、なおかつ増幅させている印象です。
やっている人にはそうそうそんな感じと言われることもあります。
ではどうやってそんなことをするのか。
何かをしないと言うのは意外に難しいものです。
アレクサンダー教師としてはそこを扱ってはいますが、なかなか簡単ではない。
でもやることは簡単です。
やってることをやらないだけなんですから。
何か出来ない動きをするのではなく、入っている力を入れない。
だから新しく何かをやる訳ではない。
と言われてもねぇ。(笑)


シミーの人には首の付根の力を観察してもらいます。
首の一番上の骨と頭の間の関節(両耳の奥あたり)あたりがかたまっていないか。
先ずはそれを観察。
ぐっと力が入っていたらそこをやめてみる。
先ずはそれです。
それがもし出来たら、首の付根の力を抜いたまま、小さく小さく軽く軽くシミーの動きをしてもらいます。
もう本当にテキトウに軽く軽く。
首の付根の力を抜いたまままです。
それが始まりだと思っています。
紆余曲折はありますが、そこから始まって動きを大きくしていくようにします。


元々、体の中は止まっていません。
関節は固まっていることはなく、微妙な動きがあります。
生きているならね。
それを感じられるようになったり、それを知るようになったり、そうだったのかと気づくようになると、変わってくることがあります。
今までと体の立たせ方が変わったりします。
体はこういう形のものではなくて、ユラユラ揺れながらおよそこういう形に見えている。
そんな感じです。


今日来たシミーなダンサーは、わわわわわわわわっ!全っっぜん感じが違う。
これは何!?
なんて言ってました。
動きは似てますが、質が違うので違う感じがするようです。


シミー
美しい動きですね。

大人バレエな患者さん

読了までの目安時間:約 4分

てあて整体院・荒木です。
てあて整体院は練馬区大泉学園と名古屋市千種にある整体院です。
千種では毎月4日だけ平日に営業をしています。
整体スクールで名古屋に行った時に、授業のあとに整体やアレクサンダー・テクニークをやっています。
てあて整体院には大人バレエな方々が沢山いらっしゃいます。
プロダンサーもいらっしゃいますが、アマチュアで趣味でやっている方や趣味をこじらせた方(笑)が多く来ます。
レッスンや発表会・公演本番での故障や、体の使い方を知りたいと来る方々です。
故障は整体で整えて痛みや動きにくさを調整します。
体の使い方はアレクサンダー・テクニークなどを使ってアドバイスしています。


大人バレエな患者さんにどうやって体の使い方などアドバイスをしているのか。


大人からバレエを始めるといろいろと困ることがあります。
ひとつには先生が言っていることが理解出来ない。
あるいは理解しがたい。
軸を引き上げてとか天井から吊るされるようにとか。
お尻を締めてでも固めないでとか。
腕は胸の中心から繋がっていますとか。
前ももを使わずに脚を上げてとか。
胸は上げて肋骨は締めてとか。
それってドウナノ・・・
みたいな時があります。


大人になるまで自分の体を不自由なく動かしてきていると、自分の体の使い方のプログラムが出来上がっています。
バレエではそのプログラムが違うことがある。
普通に脚を上げるのと、バレエで脚を上げるのでは、実は違うプログラムで動いていたりする。
でも見た目はそんなに変わらない。
だから普通の使い方・プログラムで動かしていると、先生からは理解しがたいような指示が飛んでくる。
ドウシタモノカ。


そこで荒木の登場です。
荒木自身も30代に入ってバレエを始めました。
ダンス自体は26歳からはじめ、30代でバレエ、40代でコンテンポラリーダンスを始めて今に至っています。
その中でけっこう悩んだ。
悩んだことを整体師の勉強を続ける中でいろいろと調べました。
ダンス関係の治療師のセミナーに出たりもしたし、ダンサーの治療も続けて来た。
そこで見つけて来たものがあります。
それを提供しているのが「てあて整体院」であり荒木です。


出来ない理由も分かります。
出来ない感じもわかっています。(自分も出来なかったから。)
それを踏まえてアドバイスをしています。
難しい言葉では説明しません。
体感してもらうことを大切にしています。
頭で理解してそのあと体感。
困ったことがあったら来て下さい。


てあて整体院
東京都練馬区東大泉 5-27-18-A
愛知県名古屋市東区葵 3-14-20
teate@nifty.com
03-3922-7230


バレエカレッジ3

先日のバレエカレッジ講座の写真です。
背中を反らすこととアラベスクについての2時間。
良い講座ができました。

38歳

読了までの目安時間:約 2分

アイドルグループ『嵐』が来年末をもって一時活動休止をするというニュースを聞きました。
リーダーの大野さんが自分の時間を持ってみたい、ということで辞めるしか選択肢はないと話をしたら、辞めなくてもお休みという選択もあるんじゃないかという話になり、結果、来年一杯で無期限ではあるけれどグループとしての活動はお休みに入るということらしい。
大野さんは個人の活動も一旦はお休みするという。


38歳


年齢を見てあああああ~と思った人は多いと思います。
特に男性はあああ~の度合いが強い人が多いかもしれない。
自分自身のことを言えば、38歳は整体の勉強を始めた年でした。
どうしようかと考え始めたのは、その数年前だったと思います。
35歳を過ぎた時に、人生も半分だなぁと漠然と思いました。
そして「来し方、行く末」を考えたりし始めました。
これまでの人生はもちろんアリだったけど、コレしか人生はないのかなぁと思ったりしました。
他の道はなかったんだろうか?
そんな風に思い始めました。
最終的には一回勝負してみたいと思った訳です。
たぶん一回はみんな考えて、やっぱり今のままで行こうと決断したんじゃないかと思います。
それを、ちょっと時間をとってみたい、というのが大野さんの考えなのかと思います。
当然の考えで、一緒に考えられる周りがいて良かったと思います。


人生は一回きり。
これはもうその通りです。
今のままこのままの人生もあり。
ちょっと別の道もありかもしれません。

生涯現役

読了までの目安時間:約 3分

生涯現役という言葉には何かちょっと気になる部分があります。


年をとっても仕事を続けているとか。
定年退職後に何か続けるとか。
普通はリタイアするんだけれども頑張っているとか。
普通はそうではないのに何かをやめないで続けるとか。


きっとそろそろそうではなくなって来ているんじゃないかと思う。
パラダイム変換というかシフトというか。
今までの考え方の延長ではない。
今までの前提ではない。
そういう時期に来ている気がします。


定年退職が65歳になったとして、85歳まで生きれば20年です。
80歳までだって15年。
この時期を頑張って何かを続けるということが生涯現役なんだとしたら、それはちょっと違うのではないか。
ようするに、そもそも80歳くらいまで普通に生きるようになってしまった訳で。
そうなると昔からの仕組みとして65歳で定年はあるけれど、その後も働くことはもう前提されているような気がします。
年金ではやっていけない感じがありるし、そもそも65歳はまだ若い。
昔なら爺さん婆さんで余生だとか隠居だとか。
でも今はそんな風には生きられない。
達観も出来ないし遊んでばっかりじゃつまらないと思うくらいの頭の若さもある。


生涯現役


それはつまり年代別の働き方というか生き方があるということだろう。
今はまだ65歳までは”普通に”会社員として生きていくが、65歳からは別の顔を持って生きていくことになる。
別の顔として余生だとか隠居はきっとないんだろうと思う。
ではどうするか。
再雇用ってのは形だけのこと。
再雇用された時にどんな心持ちで生きていくか。
そこがポイントになってくる。
25歳も45歳も65歳も人生の途中であることは違いがない。
25歳の体力と45歳の体力と65歳の体力と。
25歳の経験と45歳の経験と65歳の経験と。
25歳のお金と45歳のお金と65歳のお金と。
25歳の家族と45歳の家族と65歳の家族と。
それぞれ状況が違うだけで、どの年代にもそれぞれ状況があるということ。
それを25歳の時だけや45歳の時だけが人生だと思うのは、もうかなり時代が変わったように思う。
たしか、自分が社会人になった時、平均年齢は75歳くらいだった。
10年なら余生として過ごせるかもしれない。
でも今はそれより10歳以上上がっていると思う。
20年は余生としては過ごせない。
もう一回くらい人生があるような時間だ。


そもそも生きているうちは現役です。