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その手技に感動したことはありますか?

読了までの目安時間:約 3分

てあて整体スクールの授業には卒業生がよくきます。
開業前の人なら手技の練習に。
開業した後の人なら手技の確認とチェックや患者さんの症例の相談など。
また、久しぶりに顔を出すという人もいます。
開業している卒業生が来ると、在校生に仕事としての整体の話や症例の話、手技のアドバイスなどにも来てくれます。

その手技に感動した事ありますか?

今日、卒業生が在校生に聞いていました。
良い響きの言葉だなと思いました。
在校生は別の手技も勉強したことのある方で、その別の手技に感動した事がありましたか?という質問です。
感動したのであれば、それを患者さんに伝えれば良い。
色々考えずに、自分の感動した事を覚えておくことが良い。
というような話だったと思います。
それは、別の手技の事でもあり、指針整体の事でもありました。

そうだよなぁ。

指針整体は不思議な整体です。
軽くトントンされているだけみたいに感じるのに、終わるとだんだん体が軽くなります。
翌朝起きると新たに軽くなっているのを感じる事もあります。
それは荒木自身が初めて受けた時の感覚でもありました。
ちょっと言葉では言い表せないような感覚でした。

荒木が最初に指針整体を受けた時の話をちょっとします。

もう25年くらい前の話です。
青山にあるスクールで指針整体を初めて受けました。
トントン軽く指で背中や脚や腕や頭に刺激が入ります。

ナニコレ?
こんなんで効くの?
ぜんぜん入ってこないじゃん。。。
(実際には入っては来ていたんですが)
これは効かない、どうしよう。
ダメかな。
ダメだな。

というものでした。
それまで押圧系の手技と骨格調整を学んでいたので、手技は深く押すものだと思っていたし、自分自身も深い所に効かせるような手技をマスターしていました。
ダメかも、ダメだろ、と思って最初の授業が終わり、青山通りと表参道の交差点から原宿駅の方に歩いていました。
そしたらだんだん体が変わって来ました。

あれっ!
体が軽くなってきた。
脚が軽い。
呼吸も楽に入る。
体が軽い。
どうなってんだこれ!

と思いながら、ニヤニヤしだしました。
人間、体が急に楽になるとニヤニヤするみたいです。
笑みが顔の中から外に出てきた感じです。
感動でしたね。
確かに。

これ使おう!
開業する時はコレだ。
コレを身につけて、軽くなってもらおう!

そう思いました。
あの時の感覚は本当に忘れられません。
同じような感動はアレクサンダーテクニークを初めて受けた時にもありました。
だから今まで続いているんだなと思います。

今日はちょっとそんなことを思い出しました。

荒木はどうして整体師になったのか。

読了までの目安時間:約 7分

たまに聞かれる事があるのでたまに話をしています。

先生(荒木)はどうして整体師になったんですか?
整体師になる前は何をしていたんですか?

整体師になった時と、開業当初と10年くらい経ってから、そして現在20年を過ぎてみると、少しずつ考えに変化があります。
自分が考えていた事が変わるなんて変ですが、でも良く考えると少し変わってきているように感じます。
だから今、どうして20数年前に整体師になったのか、今の考えを書いておきます。

整体師になる前は会社員をしていました。
1980年代90年代を会社員として生活していたので、バブルの時代を知っています。
バブルはあまり面白い時代ではなかったという印象ですが、毎年、給料は上がっていったのでありがたい時代ではありました。
給料上がってるのに何が面白くなかったのかは上手く言えませんが、なんだか中身がないような感じがしていたのかもしれません。
中身なんてなくても良いのに、ある方が好きなのかもしれません。
それは会社を辞める理由にも関係しているかもしれません。

会社を辞めたのには幾つか理由があります。
サラリーマンを20年近く続けてきて、雇われて生きる事が出来るのは分かりました。
というか証明出来た。
雇われれば生きていけるくらいの能力はあるんだろうと言うことです。
だったら一人で生きていくことは出来るのか。
結婚しているので一人ではありませんが、自分の才覚で自分のやることだけで生きていけるのか。
サラリーマン当時たまに考えていたのは、パソコンに詳しいよりも川に潜って魚取りが出来る方に憧れる、ということでした。
バカみたいです。
馬鹿みたいだと言うことは分かっていて、でもそんなことを考えていました。
35を超えたいい大人が何考えてんだかと思ってましたよ。
思ってましたが、やっぱりそう言う事が頭にありました。
一人で仕事作ってやってみて生活出来るんだろうか、生きていけるんだろうか。

もう一つはたぶん会社が嫌になったというのもあったと思います。
バブルが弾けてリストラがありました。
リストラは全社員が対象で、つまり希望退職を募りました。
目の前で同僚が退職の連絡電話をしてました。
何人も何人何人も。
ちょっと肩が凝って息が詰まって胸が締め付けられて、でも仕事は毎日あって続けていました。
大きな会社に資本参加してもらい、ついでに役員や部長さんが沢山やって来ました。
とても面倒でした。
会社によって違う風土や言葉やシステムを、役員や部長さんに説明したりする仕事もやっていました。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
くる日もくる日もくる日もくる日もくる日もくる日も
あらきくん荒木くんアラキくん
これどうして?あれはどうして?どうしてこんなことやってるの?
みたいな事でした。
まあ、ちょっと疲れたというか詰まったというか。

整体師にしたのは何故かというのも幾つか理由がありました。
出来そうだったから。
これは一番大きかったと思います。
ダンスをやっていた関係で、整体はよく受けていました。
吉祥寺や渋谷や池袋で受けていました。
その先生方のやり方を見ていて、これなら自分でも出来ると若気の至りでしょうね。
思いました。
少なくとももう少し個別に合わせた施述が出来そうで、もう少し上手く宣伝できそうでした。

もう一つは自由に実家に帰れるということでした。
サラリーマンだと自分で時間が管理出来ません。
ある程度は出来たとしても完全には難しい。
整体師みたいな個人で仕事をしていれば、自分で自分のスケジュールは管理出来ます。
長男なので将来的に実家に帰るかもしれないと思っていた。
あるいは帰れるような状況にしておこうかというのもあったと思います。

ダンスをやっていて昔から運動が好きで、せっかく独立するならダンスと舞台の側の仕事が良いなと思ったというのもあったかなと思います。
ダンス仲間もいたし。
それと、ダンサーという人種が近くにいたのも大きかったかもしれません。
会社組織に属していないフリーランスの友人がいました。
フリーランスでも生きていけるかもと思ったのかもしれません。
学生時代はフリーランスで仕事をしているのは、変な人たちで自分とは違う人種だと思っているようなところがありました。
会社に属すること以外は、ちょっと想定出来なかった。
今、新卒だったら会社に勤めるかどうかは分かりません。
フリーランスと組織に属する事を並べて考えられるかもしれません。

もう一つ、大きかった事がありました。
運動に自信があった、体の事に自信があったというのがあります。
学生時代、運動だけは自信がありました。
体育の成績は中学二年の二学期以外は、全て一番上(5段階なら5、10段階なら10)でした。
体の感覚の説明なども上手く出来る自信があった。
40歳を超えて仕事を変えるなら、根拠なく自信があるものが良い、と思いました。
根拠がなければ、自信がなくなることはない。
根拠があると、根拠が崩れた時に自信がなくなる可能性があります。
今でもそれは思いますね。
体の感覚は悪くないと思います。

どうして整体師になったのか。
だいたいこんな感じです。
話出せば他にもあるかもしれませんが、あとは些末なことだと思います。

だから、整体師になる前は会社員でした。
全国展開の洋服屋さん。
紳士服の流通小売業でした。
店頭でセールスマンを1年半やったのち、本社に移動しました。
本社では商品管理部門や業務推進、経営企画的な部門にずっと居ました。
そうだ、スタッフ部門に長くいたのも転職をした理由の一つかもしれません。
10年以上過ぎてくると、ライン部門と違って実態がない、と自分では感じるようになりました。
事業計画や損益計算、経費管理など、今とは全然違う仕事ですね。
でも、役には立っています。
数字の把握だけはしてますから、リスクヘッジというか今の会社としての自分の仕事の状況は分かります。

これ読んでる人はどうなんでしょう。
ここまで読んだ人は転職考えてるんでしょうか。
転職や開業を考えている人に最後に一言。

転職や起業は。
考えている以上に大変ですが
考えているよりは何とかなると思います。

荒木が整体師になった訳。

読了までの目安時間:約 5分

たまに聞かれる事があるので、たまに答えています。
荒木が会社を辞め整体師になった理由です。
今日も患者さんに答えました。

幾つかの理由があります。
一つだけの理由ではなく、いろいろな事が重なって結果的に辞めることになり、整体師になることになった。
順不同で書きます。
どれが最重要だったか分からないので、全部が混ざってそうなったんだと思っています。

35歳になって人生もう半分だなと思いました。
ここまで会社員としてやって来たけど、死ぬ時に雇われただけの人生で満足するのかなと思いました。
いや、ちょっと書き方が違うかもしれません。
自分一人の力で生活して生きていくことって出来るのかなという、気持ちが湧いて来ました。
学生時代は大学に行って就職してサラリーマンになる以外の選択肢は考えたことがありませんでした。
何故だか分かりません。
時代なのかもしれないし、家庭環境なのかもしれないし。
でも、好きだった美術を高校の選択授業で選ばなかったのは、美術では食っていけないと思ったことが半分くらいの理由でした。
世の中には他の選択肢もあるというのを、35くらいになってやっと気がついたという事かもしれません。
挑戦してみたかったんですね。
今思えば若かったし。

バブルが弾けて大リストラの時期が終わった時期でした。
リストラの計画を立てる人でした。
例えばその時の会社の規模を100位だったとすると、それを50位にする計画を立てました。
小売にいたので店長が半分になります。
社員も半分です。
辞めてもらうことになるのかなと思ってましたが、上司は計画を立てている私に「店長の顔を思い描かないようにね。」と言ってくれました。
辛くなるのが分かったからかもしれません。
早期退職優遇制度が導入され、その当日に目の前で同僚が皆んな電話をかけ「辞めます。」と宣言しているのを見ました。
何人も何人もが辞めました。
流石に気持ちが萎えて重く怠くなりました。
それも辞めるきっかけだったかも知れません。

その後も会社の業績は厳しく、新たに提携した大きな会社から天下って来た上司から、毎日のように数字の説明を聞かれました。
叱責されている訳でも、恫喝されている訳でもなく、ただ質問を受けているだけでしたが、とにかく毎日のことで、これもきついなぁと思った記憶もあります。
これもきっかけの一つだったかも知れません。

長男なので実家に帰ることになる可能性があると思っていました。
実家ではそんな風に思っていなかったようですが、時代的には長男は跡取りというイメージが残っていて、親が一人になったら実家に帰って面倒をみるものだと思っている部分があります。
全国どこでも出来て、いつでも移動出来る仕事についた方が良いんじゃないかという気持ちもありました。

そんなこんなで、転職しようかな、脱サラしようかな、自分でやってみようかな、起業しようかなと思ったんだと思います。

整体師を選んだのも幾つか理由があります。
20代から続けていたダンスの関係で、故障の時に整体師の先生に診てもらっていた経験があります。
どの先生のところも繁盛していて、いつも何人かの患者さんがいました。
まだ、1980年代の終わりくらいでクィック整体が流行る前でした。
それに、もっと宣伝を上手くやったり、患者さんの話を聞いて色々な症状に対応し、ストレッチやトレーニング方法を指導すれば、自分でも出来るんじゃないかと思いました。
当時の整体は(自分が言っていた4ヶ所くらいですが)毎回、同じことを繰り返しするだけで、症状に対する対応は少なかったように思いました。
なので、自分の方がもっと出来るんじゃないかと、若気の至りで思ったりしてましたね。

40代になっての転職なので、理由もなく自信がある分野じゃないと難しいんじゃないかと思っていました。
学生時代は体育だけは自信のある生徒だったので、体のことについては普通の人には負けないと思っていました。
感覚的にも運動能力的にも。
だから体のことを扱う整体師なら大丈夫なんじゃないかとも思いました。

そんなことで勉強を始め結果的に整体師になりました。
整体師なる理由は色々あります。
荒木の場合はこんな感じでした。

どうして整体師になったんですか問題 ~ 整体あるある

読了までの目安時間:約 5分

どうして整体師になったんですか?
というのは本当によく聞かれる質問です。
整体の先生としても整体スクールの先生としても聞かれます。
個人的な話はもう何度もしてますが、かいつまんで自分の話をした後に整体スクールに入学された方々の理由を少し書いてみようと思います。


荒木のケースです。
35歳を過ぎて、人生半分だなぁと思ったのが最初です。
長男だったので、いずれ実家(三重県)に帰ることになるかもというのがありました。
企業に勤めて転職だと、自分の都合で名古屋(愛知)や四日市(三重)に転勤は難しいだろうと思っていました。
(当時はまだそういう時代でしたね。)
バブルがはじけ不況がやってきて、リストラがありました。
リストラと言っても希望退職や早期退職制度の導入みたいなことでしたけど、会社が荒涼としていたのを強く覚えています。
それが辞める切っ掛けの一つになっていました。
そしてもう一つ。
人生一回なんだから、自分の力だけで生きていくことなんて出来るんだろうか。
ちょっと試してみたい。挑戦してみたい。みたいな気分がありました。
かなり色々と悩み、長い期間考えてばかりの後に、整体を学び、学んだ後も退職や転職や開業については、迷ってました。
でも、なんだか決めた。
それはやっぱり人生一回なんだから、ってのが強かったかもしれません。


別の人の話。


人に直接喜ばれる仕事がしたい。
というのも多い理由です。
会社の中の一部門で仕事をしていると、直接、お客さんやクライアントさんとやりとりしない部門もあります。
整体師は目の前で喜ばれ、ありがとうと言われる仕事です。
そういう直接的に仕事をしている実感があるような仕事をやってみたい。
そういう人は結構います。


人の健康に携わる仕事に就きたい。
という人もいます。
女性に多いように思います。
自分自身の調子の悪さ、家族や友人知人の身体をなんとか出来れば、というところから、健康に興味がわき、仕事につながればと思う人。
整体だけでなく様々なセラピーなども考慮に入れて、結局は受けてみて自分が納得いくようなものをやりたいと探している人がいます。


家族の調子が悪い、家族の健康をなんとかしたい。
という人は一定数います。
そういう人たちはたいてい、マッサージが上手だったりします。
家族に上手いと言われたとか、自分で得意のような気がするとか。
それはとても良いことだと思います。
人に触れる仕事なので、触れることに慣れていたり躊躇がなかったりしますから。


パーソナルトレーナーやピラティスインストラクターの方も一定数来ています。
パーソナルトレーナーで個人で独立している人やこれからするという人は、痛みのあるクライアントさんを何とかしたいというところから始める人が多いようです。
ピラティスインストラクターの方はスキルアップや、自分のサロンのメニューに整体を入れたいという方が多かったように思います。
ピラティスなどの指導系のワークと整体は相性が良いようです。
ヨガのインストラクターの方も何人かいらしています。
骨盤ヨガなど開発されたりしている人もいました。


整体師になる理由は様々です。
ただ、てあて整体スクールで少ないのは、整体でで儲けようという人たちです。
ちょっと不思議ですね。
独立開業するのに儲けるために職種を選んでいない。
儲からない訳ではありませんが(笑)、儲けよう!と思ってくる人は少ないようです。
儲けたいというマインドは悪くないんですが、意外に少ないですね。
心の底に持ってるのかもしれないですけど。(笑)
理由はなんであれ、整体師はこれからどんどん需要が増えてくると思っています。
身体の調整が出来るというだけの整体師ではダメですが、身体のプロとして様々なアドバイスや指導や調整の出来る人材は必要になってくると思っています。


てあて整体スクール
東京都練馬区東大泉 5-27-18-A
teate@nifty.com
03-3922-7230

整体師への道

読了までの目安時間:約 2分

あら木がどうして整体師になったのか。
以前のサイトにもありましたけど、開業して16年目に入ったことだし、新たに書いてみようと思いました。
少し長めになると思うので、何回かに分けて書きます。
連載!
興味がある人は読んでみて下さい。


整体師への道 >>> https://teate.co.jp/waytoseitaishi





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