Organ Works 【 ひび割れの鼓動 】
シアタートラムは好きな劇場。
舞台と客席の位置関係や大きさ、ロビーも好き。
受付を済ませてロビーから客席に入る。
舞台上にもう一つ舞台がある。
1mほどの高さに四角い舞台が斜めに置かれている。
白い布が全体に無造作にかけられている。
高い方の舞台の奥に立っている8本のポールにも白い布が巻かれている。
席につくと音が流れているのに気がついた。
そして客席奥に人が立っている。
登場人物なんだろうか、白い布をかぶっているので誰だかは分からない。
既に始まっている。
というか始まることを予感させるような”企み”を感じる。
少し早めについたので客席で時間があった。
キョロキョロ見回しながら、どんな風になっているのか観察してみる。
舞台上以外は特に何もない。
普通の劇場のままだった。
時間になって照明が落ち。
始まる。
舞台上の舞台に登場人物とダンサーが居る。
雪の積もった白樺林みたいだなぁ。
ひび割れの鼓動と何か関係があるんだろうかと思いながら、舞台装置というか美術というか演出を見ていた。
ダンスは独特。
お芝居というか台詞喋る人と体を動かす人に、基本的には別れている。
衣装も白とグレー。
動きも日常動作的な動きと、言葉にならない動き。
映像的で多層的。
現在的で普遍的。
現実と心象。
ストレートプレイと対極にあるようなパフォーマンスでした。
一つの画面に現実と心の中があるような。
現在と過去があるような。
動きや位置関係やコンタクトの方法が持っている属性が、何か言葉で表現できないものを表現しているような。
なんかそんな感じでした。
舞台上での6人のコンタクト。
そして、下舞台での靖志さんと真帆さんのデュエットと言うのか戦いというのかコンタクトと言うのか交流というのか。
この二人のパートは圧巻でした。
目の前にいるのに見えない。
ぶつかっているのに感じない。
そんなことまで感じるようなパフォーマンスでした。
最近、見たばかりだからか映画ドライブマイカーで感じたような心の動きを感じました。
目の前に起きていることは現実で、実際に起こっていることはそこで起こっていることだけなんだけど、それは大昔から遠い未来まで人が持っていて感じていること。
そしてそれは普遍的なことなのかもしれないと思われるようなことでした。
それを説明的でなく、いや説明では説明できないことを、表現されていたように感じました。
そう言えば「ミステリと言う勿れ」の久能整君が、「事実は一つだけど真実は人の数だけある。」と言ってことも思い出した。
と書いていたら、黒澤明監督の「羅生門」もちょっと思い出したりしてしまいました。
凄かった。
充実した時間でした。
今回は”企み”をあえて解き明かさなくても楽しい舞台でした。