パラリンピック
このところパラリンピックを見ています。
一昨年、パラ陸上の世界大会を見て、こりゃすごいなぁと思っていたんですが、その比じゃないですね。
いろいろと考えると言うか、頭の中の認識が変わって行っているのが分かります。
パラリンピックの前半で水泳を見ていました。
四肢欠損などの障害がある方々やその他の障害がある方の水泳を見ていて、凄いなぁと、大変だろうに一生懸命がんばっているんだなぁ、みたいな感想を抱いていました。
とにかく凄く頑張っている。
考えてみれば当たり前なんだから。
アスリートな訳ですから。
それが毎日、見ているうちに変わって来ました。
当たり前、というか障害があるのに頑張っているから凄いというのではなく、自分の限界に挑んでいて、毎日努力をしていて、たぶん限界がどんどん描きかえられて行ってというのが見ていて分かるので、その限界に挑戦している姿に凄いって感じるんだなと思いました。
昨日だったかこんなこともありました。
障害が重度の方々だったんですが、隻腕で脚も股関節からほんの少し下までしかない男性が表彰台に乗っていました。
解説をされる方が、障害のある方は陸上では動きに制限があるが、水の中ではとても自由に動けて、皆さん水の中が好きな方が多いんですと、だから危ないからとか心配だからと言うのも分かるが、もっと水泳や水の中に入ることを増やしていって欲しいと仰っていました。
確かに、見たところ片腕しかないような人がプールの中に入るのは心配だし危ないとつい思ってしまいます。
でも、補助があったり水深や階段や入り口を工夫すれば、とても良いリハビリになるだけでなく、機能改善になったり、ストレスの解消や疲れをぬく効果もあるんじゃないかと思います。(素人考えかもしれませんが。)
他にも様々な障害を持つ方々がいて、それぞれが持っている使える機能を目いっぱい使って運動をしています。
カテゴリー分けをすることで競いあうことも出来、競いあうことで自身の機能や限界を上げて行くことも出来るように思います。
陸上競技の走り幅跳びではオリンピックとほとんど同じ記録で優勝をする選手もいました。
ちょっと不思議な感覚になりました。
例えば四肢欠損を障害としてカテゴリー分けをして競技をするのであれば、陸上競技で身長や体重別になっていないのは、どういうことなんだろうなんて考えてしまいます。
伸長170センチの選手と200センチの選手がバーの高さ220センチを飛んだとしたら、同着になるって言うのは本当にフェアなんだろうかなんて考えてしまいました。
カテゴリー分けの考え方は、ひょっとして競技で競う事は何なのかという根元的な問題につながるんじゃないかなとか思ったりします。
何だか何書いているんだか分からなくなって来ましたね。
ま、たまにはこんな回もあります。
パラリンピックはまだ数日続きます。
有観客なら明日の夜、国立競技場で見る予定でしたけど、残念ながらテレビ観戦です。
でも、おかげで沢山の競技を見られるとも考えられます。
それにしても様々な障害があります。
今までこんなに沢山一度に目の当たりにすることはありませんでした。
目にしたことは自分には良かったと思います。
普段から目にしていないと、知らないうちに誤解している事があるかもしれません。
それが減るのはありがたいことです。
水泳各種
陸上各種(義足など)
車椅子 陸上レース
車椅子ラグビー
車椅子バスケットボール
ブラインドサッカー
ゴールボール
シッティングバレーボール
ボッチャ
車椅子テニス
凄かったです。
アーチェリーやカヌーはまだ見ていません。
他にも沢山あるんだろうと思います。
パラリンピックにも賛否や是非があると聞きます。
様々な考えがあると思います。
パラリンピックに出られなくても、出来る範囲で運動が出来れば、それは良いことなんじゃないかと思います。
パラリンピックを見ていて、今、思うこと。
営業自粛で夜は早く帰って来られることもあって、パラリンピックを見ています。
車椅子バスケットボールや車椅子ラグビーが凄い。
正直言うと女子車椅子バスケなどはもう少しアマチュア感があるのかと思っていたけど、全然違っていて見入ってしまう。
何というか考えてみれば当たり前なんだけど、レベルの高さレベチな印象を受ける。
見ていて興奮するし楽しい。
アマチュア感があるのか、と思っていた自分が情けないというか申し訳ない。
水泳競技も凄い。
最初の頃は、ハンデのある体で頑張っていて凄いなぁ、この努力は半端じゃないなぁ的なことを感じたが、ここの所は感じ方もだいぶ変わってきた。
障害が云々と言うより、アスリートが一流になるために努力を積み重ねた結果のパフォーマンスは、見ていて気持ちを鷲掴みにされるような迫力がある。
ハンデや障害があるけど頑張っていると言うのとは違い、ただ本当に頑張っていて、その結果自分の限界に挑んでいて、限界だと思っていたことがどんどん更新されて行っているんだろう、努力を積み重ねる前とは違う自分になっているんだろうという。
どうも何だか上手く言えないけどそんなことを感じるようになって来ている。
以前、「目の見えない人は世界をどう見ているのか。」という本を読んだことがある。
目が見えないなど元々の障害がある人は、4本脚の椅子の1本が無くなった状態なんじゃなくて、元々脚が3本の椅子のようなものなんだ、というような事が書かれていた。
だから途中から障害を持った人と、元々障害を持っている人とは、感覚的にも違うと言うようなことが書かれていたように記憶している。
そうか、そうか、そうか、と思いました。
しかし、自分には3本脚の感覚はある程度想像は出来るけど、分かっているとは申し訳ないけど言えない。
ひょっとしたら、逆に今の自分の感覚と同じようなことなのかもしれないとも思ったりもする。
でも、軽々にそんなこと口にしない方が良いのかもしれないなとも思う。
もう一つ。
パラリンピックはカテゴリー分けがかなり沢山ある。
カテゴリー分をすることで、一人一人の持っている特性に合わせた試合が出来ることになる。
オリンピックだと体重別の対人競技(柔道、ボクシングなど)がそうだけど、記録を競う競技ではそうはなっていない。
パラリンピックのカテゴリーを見ていると、例えばオリンピックや他の世界大会でも身長200センチの人と180センチの人が走高跳びの記録を競うのってどうなの?と思ったりする。
本当にフェアなんだろうかと思ったりする。
オリンピックの大きなカテゴリーとしては、男性女性と言うことになるんだろう。
それだけのカテゴリー分けで良いのかどうか。
競技で何を競うのかと言う本質的な問題まで考えたりしてしまう。
陸上競技も待ち遠しい。
今大会はひょっとして走り幅跳びでオリンピックの記録を抜いてしまうかもしれない選手がいる。
日本人選手も車椅子や跳躍関係で素晴らしい成績の選手のことを聞く。
最後まで怪我なく競技を全うしてもらいたいと思う。
パラ陸上世界選手権
数日前からパラ陸上世界選手権を見ている。
夜中なので全ては見られないが、幾つかの種目の決勝を見た。
男女走り幅跳び
車椅子800メートル、1500メートル
男女100メートル など
中でも男子走り幅跳びT63の山本選手のジャンプには興奮しましたた。
山本選手は片足が義足の選手で、ジャンプは義足側の脚でジャンプする。
他の選手の殆どが踏み切り板を蹴った時に、上体が反っているのに対し山本選手は前傾してロケットのように飛び出していく。
結果、銅メダルを獲得して来年の東京2020に出場が決まったようでした。
走り高跳びに冬季パラリンピックにも出場していた成田緑夢選手が出ていましたが、その横にいた鈴木徹選手を始めて知りました。
ジャンプは見られませんでしたが、現在世界ランキング1位で自己記録を見ると2メートルを超えています!
片足義足ですがジャンプは義足ではない側の脚で飛びます。
それにしても2メートル!
凄いことです。
女子100メートル(視覚障害)は11秒66で優勝しましたが、この記録は今年の日本選手権の記録よりも早い記録だったようです。
パラリンピックをこれだけ多く見たことは始めてでしたが、車椅子のトラック競技などはオリンピックの自転車競技と同じようなイメージでしたし、義足の走り幅跳びや高飛びなどはオリンピックの棒高跳びと同じイメージがしました。
器具を使って自身の筋力や体力と技術を競い合うという意味では全く同じものと感じます。
また、視覚障害の方の走り幅跳びや短距離走などは、人間の可能性を感じるという意味でも勇気を感じるという意味でも素晴らしいものがありました。
遠い将来かもしれませんが、オリンピックとパラリンピックという別々の括りではなく、同じ大会として開かれると良いなと思います。





