整体学校・スクール 東京/名古屋で整体師になるなら|てあて整体スクール » アーカイブ

頂き物

読了までの目安時間:約 1分

整体院や整体スクールをやっていると頂き物をします。
意外に多くて数えてみると1週間に2個くらい。
どうしてこんなに頂き物が多いのか?と生徒さんやカミサンに問いただされます。
いや、聞かれます。
何かあるんじゃない!?と上目遣いに見られたりします。
いや、そう見えます。

知りません。
ホントウです。

ひょっとして欲しそうな顔をしているのかもしれません。
何か渡さないと可哀想な顔をしているのかもしれません。
ひもじそうにしているのかもしれません。
でも、こちらから何かくれと言ったことはありません。
ホントウです!

いつもいつもありがとうございます。
美味しく頂いています。
そう言えば口に入るものが多い。


頂き物1901

頂き物1902

まるごと一人で踊る

読了までの目安時間:約 3分

神楽坂セッションハウスのダンスクラスの企画で、松本大樹さんの「まるごと一人で踊る」と言うレッスンに出ている。
全7回のクラスの中でソロ作品の振り付けを頂き、毎回、動きの確認や練習はもちろん、様々な指摘を受けたり話たりしながら、最終回にショーイング(見せる)をするというものです。
今日のレッスンが練習の最後で、次回は最終回のショーイングと言う段階に来た。


普通のダンスレッスンではエクササイズ(準備運動的なもの)の後に、少しステップなどの練習があり、最後にそれらを組み合わせたシークエンスを作って踊る。
踊ると言ってもダンス作品ではなく、ダンス作品を創る時の材料や素材となる動きの連続と言うイメージで、それ自体を踊りとして表現することもあるが、表現するための体や心持ちのトレーニングというイメージが強い。
そうやって練習をすることで、体が鍛えられ動きが出来るようになり、作品を踊れる状態に自分を変えていく。


ところが今回はショーイングが最後に待っている。
最初から作品としての振り付けをもらう。
作品の意味や振り付けの意図するところも伝えられる。
その上で表現を任される。
表現!?
振りの意図や見え方や見せ方など、毎回さまざまな話をもらい色々なことを考える。
こんなに考えて踊ることは滅多にない。
前半はとにかく話をする時間が長かった。
振り付けは?と思うくらい。
そしてまた考える。


踊る時に頭の中に浮かぶ思いがある。
見ている観客には見えない。
観客が見ているのは動き。
その動きを見て表現されたものを見て、何が表現されているのか感じ考える。
言いたいことが伝わる訳ではなく、頭の中に浮かぶ思いが伝わる訳でもない。
伝わるのは見えている動きから観客の頭に浮かぶことになる。
自分に出来る動きがあり、出来ない動きがある。
自分が思っている動きと見える動きには差異がある。


浮かぶ思いに引きずられるのは危険という話があった。
でも、身体(しんたい)の求めるところに従うことで見えるものもあるという話もあった。
見えているものから何かを感じるのは観客という話も。


表現って何なんですかね。
身体の求めるところはどれなんですかね。
自分の思いは何なんでしょう。
伝わるものは何でしょう。
本番までもう少し考えます。

常識とは、18歳までに獲得された偏見のコレクションだ。

読了までの目安時間:約 3分

常識とは、18歳までに獲得された偏見のコレクションだ。


アインシュタインの言葉だそうです。
獲得したではなく獲得された、と言うところもポイントですね。
そして偏見のコレクションと言うところもポイント。
自分から能動的に獲得したものではなく、自然に知らず知らずのうちに獲得されたものなら、そこに自分の意思はありません。
それがそういうものだという前提で自分の身みになってしまっているもの。
そして、コレクションは持っていて見ていると楽しいものです。
それがあれば安心していられる、それに囲まれていれば不安が少なくなる。
そんなイメージでしょうか。
考えられた言葉です。


この言葉を聞いて、整体師の開業や普段やっているアレクサンダー・テクニークのことを考えました。
整体師の開業や起業について、常識だと自分で思っていることがありました。
それは知らず知らずのうちに身についているものでした。
事前に計画を立てるとか、部屋は借りるものだとか、1時間はこれくらいだとか、整体と言えば手を使って調整するものだとか。
でもそれ本当にそうなのかと思ったりするようになってきています。
先日も「しょぼい起業で生きていく」と言う本を読んで、最近の若者がストレートに考えやっていることを知って、あああ常識に縛られていたなと思いました。
常識に縛られず自由な発想で、出来ることをやっていこうどんな形でもイイじゃないかと思っていましたが、それでも常識みたいなものが身についていたような気がします。


アレクサンダー・テクニークはまさにこのことを言っています。
習慣的になってしまった行動や考え方から一旦離れる、と言うのは以前大先輩のアレクサンダー教師から聞いた言葉です。
アレクサンダー・テクニークは魔法にかけるんじゃなくて、魔法を解いているんだ、と言うようなことを言った教師もいました。
確かに今までこうだと思っていたことから離れて、しがらみのない滞りのないクセや無駄な力のない状態で動いてみる。
何かをするんじゃなくて、何もしないと言うアプローチ。
簡単ではないんですけどね。
でも必ず出来る。
なぜなら今までやったことのないことをするんじゃなくて、やっている何かをやらないだけなんだから。


それにしても常識ってやっかいだなぁと思います。

モーションクオリア

読了までの目安時間:約 3分

アーキタンツで工藤聡さんのクラスを受講しました。
ダンスのクラスです。
工藤聡さんはヨーロッパで活躍するダンサーで振付家。
以前からなんとなく気になっていましたが、昨年春に一度ワークショップを受けました。
男性であり見た目もちょっとごつい感じの工藤さんには何とはなしの親近感を覚えます。
モーションクオリアは二回目か三回目です。
この動きも動画でチェックすると親近感を覚える。
こういうのやりたいなぁと思わせる動きです。





実は工藤さんのクラスは受講するかどうか決めるのに少し気合がいります。
フロアの動きが半端ない訳です。
モウホントにぱねえ訳です。
明日のことを考える訳です。
大丈夫か?
れるのか?
なんてブツブツ言いながら、結局は行く訳です。(笑)
帰りの道すがら写真を撮るとぶれる訳です。
いや嘘ですけど。


田町

エクササイズ的に動いているときは笑いが出ました。
フロアをクロールで背泳で、横になって自転車漕ぎで移動。
立っているところから落ちる。
自由落下に近い動きです。
動きであって運動ではない。
で、そこをコントロールする。
ははは。
振りに入ると突然アレでした。
ひいひいです。
いや。
ひいひいひいひいひいひいふひ~
です。


帰りの電車では既に呼吸筋がきゅうきゅう言ってます。
三角筋や胸鎖乳突筋、横隔膜もそうです。
そして、肋間筋が一気に全部収縮する感じ。
一気に全部です。
呼吸が浅くなるくらい。


いつまで出来るのか。
自分で納得できる動きと筋感覚で。
動くだけならいつまででも出来ます。
歩幅を小さく低くジャンプ、腰を下ろさず、ゆっくり床に寝ていく。
それじゃあ出来たことにはならない。
ジャンプは重いけど、歩幅を広げるのは体験だけど、出来るだけ落ちるように床に入っていく。
そうでないと出来るとは言えない。
それを確認する意味でも、動きを探求する意味でも楽しいクラスでした。

作風

読了までの目安時間:約 3分

東京藝大卒展

東京藝大の卒展を見てきました。
卒展と言うのは卒業制作の作品展示会のことだと思います。
上野の東京藝術大学校内の美術館や研究室のようなアトリエのような場所での展示でした。
お目当ての卒業生がいます。
たぶん大学院を今年卒業する井田幸昌さんです。
彼のことはインスタグラムで知って最近見始めました。
色が綺麗で構図が美しくスタイルのある作品を描いていると思います。
たぶん30歳前後でとても若い作家さんです。
彼の作品もありました。


インスタグラムで見ていたものとは少し印象が違いました。
少し違うだけで全然違う訳ではありませんでした。
もちろん作家なので同じようなタッチの同じような画風の作品ばかりではありませんが、何か少し違った印象があった。
ま、卒展はこれくらいで、みたいなセリフが聞こえてきそうな印象もなくはなかった。
他の卒業生さんの作品を見ていても思いましたが、力の入り方が微妙な作品が多かったような気がしてならない。
全面的に好きなことやってる感じがイマイチ感じられないような印象もありました。
卒展だから仕方がないのかもしれません。
卒論みたいなもんですからね、変なものは出せないんだろうか。
それにしても、と少し思いました。


アートを目指す時にはそうなのかもしれないと思うことがあります。
通過儀礼と言うか、一度は経験しておかないといけないパターンと言うか、若い時期に作って見たくなる作品と言うか作風と言うか、自分のスタイルを創る前に一度はやってみること・考え方・ものの味方、のようなものがあるのではと。
それは、アレに似ているとか、一度は見たことがあるとか、あああアレね、とかそういう作品です。
それは必要なのか。
アートの世界ではもうそれは必要がないかもしれないと聞いたことがあります。
画家を目指すのにデッサンの練習は果たして必要なのか。
ダンサーを目指すのにダンスの練習は果たして必要なのか。
考えすぎると難しいですね。


小説家の開高健さんが「もうこの世には書かれたいないことはないんじゃないか。結局、作家には文体を残すことしかないのではないか。」と言うようなことを言っていました。
内容ではなくて文体・作風です。
それは画家や彫刻家や美術家の人にも言えるのではと思っています。
ダンスにも言えると思います。
では他の仕事ではどうなんでしょうか。
それはビジネスモデルってことなんでしょうか。
でもこれはちょっと違うか。
武術の世界では守破離と言うことが言われます。
これは同じような話なのか。


まとまりがないですね。
でもたまにはこういう文章も暇つぶしに良いでしょう。
藝大卒展でいろいろ考えました。

38歳

読了までの目安時間:約 2分

アイドルグループ『嵐』が来年末をもって一時活動休止をするというニュースを聞きました。
リーダーの大野さんが自分の時間を持ってみたい、ということで辞めるしか選択肢はないと話をしたら、辞めなくてもお休みという選択もあるんじゃないかという話になり、結果、来年一杯で無期限ではあるけれどグループとしての活動はお休みに入るということらしい。
大野さんは個人の活動も一旦はお休みするという。


38歳


年齢を見てあああああ~と思った人は多いと思います。
特に男性はあああ~の度合いが強い人が多いかもしれない。
自分自身のことを言えば、38歳は整体の勉強を始めた年でした。
どうしようかと考え始めたのは、その数年前だったと思います。
35歳を過ぎた時に、人生も半分だなぁと漠然と思いました。
そして「来し方、行く末」を考えたりし始めました。
これまでの人生はもちろんアリだったけど、コレしか人生はないのかなぁと思ったりしました。
他の道はなかったんだろうか?
そんな風に思い始めました。
最終的には一回勝負してみたいと思った訳です。
たぶん一回はみんな考えて、やっぱり今のままで行こうと決断したんじゃないかと思います。
それを、ちょっと時間をとってみたい、というのが大野さんの考えなのかと思います。
当然の考えで、一緒に考えられる周りがいて良かったと思います。


人生は一回きり。
これはもうその通りです。
今のままこのままの人生もあり。
ちょっと別の道もありかもしれません。

生涯現役

読了までの目安時間:約 3分

生涯現役という言葉には何かちょっと気になる部分があります。


年をとっても仕事を続けているとか。
定年退職後に何か続けるとか。
普通はリタイアするんだけれども頑張っているとか。
普通はそうではないのに何かをやめないで続けるとか。


きっとそろそろそうではなくなって来ているんじゃないかと思う。
パラダイム変換というかシフトというか。
今までの考え方の延長ではない。
今までの前提ではない。
そういう時期に来ている気がします。


定年退職が65歳になったとして、85歳まで生きれば20年です。
80歳までだって15年。
この時期を頑張って何かを続けるということが生涯現役なんだとしたら、それはちょっと違うのではないか。
ようするに、そもそも80歳くらいまで普通に生きるようになってしまった訳で。
そうなると昔からの仕組みとして65歳で定年はあるけれど、その後も働くことはもう前提されているような気がします。
年金ではやっていけない感じがありるし、そもそも65歳はまだ若い。
昔なら爺さん婆さんで余生だとか隠居だとか。
でも今はそんな風には生きられない。
達観も出来ないし遊んでばっかりじゃつまらないと思うくらいの頭の若さもある。


生涯現役


それはつまり年代別の働き方というか生き方があるということだろう。
今はまだ65歳までは”普通に”会社員として生きていくが、65歳からは別の顔を持って生きていくことになる。
別の顔として余生だとか隠居はきっとないんだろうと思う。
ではどうするか。
再雇用ってのは形だけのこと。
再雇用された時にどんな心持ちで生きていくか。
そこがポイントになってくる。
25歳も45歳も65歳も人生の途中であることは違いがない。
25歳の体力と45歳の体力と65歳の体力と。
25歳の経験と45歳の経験と65歳の経験と。
25歳のお金と45歳のお金と65歳のお金と。
25歳の家族と45歳の家族と65歳の家族と。
それぞれ状況が違うだけで、どの年代にもそれぞれ状況があるということ。
それを25歳の時だけや45歳の時だけが人生だと思うのは、もうかなり時代が変わったように思う。
たしか、自分が社会人になった時、平均年齢は75歳くらいだった。
10年なら余生として過ごせるかもしれない。
でも今はそれより10歳以上上がっていると思う。
20年は余生としては過ごせない。
もう一回くらい人生があるような時間だ。


そもそも生きているうちは現役です。

第三の人生

読了までの目安時間:約 3分

最近、つらつら考える事があります。

どうだったんだろうこの人生は。
どうして行こうこの人生を。

どうだったんだろうこの人生は、はこれまでの人生の事ですね。
どうして行こうこの人生を、はこれからの人生の事です。
そんな事はいつだって考えるだろう。
はい、確かに。
誰だって考えます。
でもこれまでとはちょっと意味合いが違ってきています。
この年齢になると既に人生と呼べるほどの時間を生きています。
そして人生と呼べるほどの事も経験しやって来ています。
だから、これまでどうだったんだろう、と言うのも、今までの延長のこれからを修正する為ではありません。
だってもうそろそろ結果は出ていますから。
うまく行ったのか行かなかったのか。
うまく行くとか行かないではなく、良かったのかそうでもなかったのか。
例えば面白かったのかそうでもなかったのか。
一応の結果は出ています。
出ていて分かっているようなもんですが、どうだったんだろうと考えてみている。
面白いですねそんな感じです。

どうして行こうこの人生を、については、どうやって死んで行こうという事を含んでいます。
いや死ぬ訳じゃありません。
死にゃあしませんまだまだ。
そうではなくて。
死ぬ時にどんな人生だったと思って死ぬように、最後の設計をしようかと言うような意味です。
今からならもう一回人生と呼べるくらいの時間はありそうだから。
まあぎりぎり。
ありそうでしょ。
何事も10年くらいはやらないと、やった感じもしないし結果も出ないし実感もない。
だから、どうして行こうこの人生を、です。

このままの路線で行くのか、全然別にするのか、最後くらいは〇〇してみようかとか。
第二のではなく第三の人生ですな。
定年退職の人なら第二の人生かもしれない。
でも会社を途中で辞めて第二の人生をやってた人なら、第三の人生です。
年齢は同じくらいでも全然違う感覚だろうと思います。
昔の仲間の様子を見てても違うから。
どうとはまだうまく言えません。
でもまあ違う。
それはそれぞれの良さがあるような気がします。
第三の方が若干自由度が高い感じはしますけどね。
選択肢に。
いや選択肢と言うより考え方の自由度かな。
それも個人差なのか。
ま。
分かりません。

考えましょう。
第二や第三のの人生を。

シアター21フェス ”冬編” vol.116

読了までの目安時間:約 3分

神楽坂セッションハウスで行われた【シアター21フェス ”冬編” vol.116】(ダンス公演)で踊りました。
今回はR60 Projectというグループで”KA・N・RE・KI”というダンスでした。
まんまですね。
還暦のダンサーによる還暦ダンス。
こう書くとちょっとアレですけど、長年ダンスを楽しんできた仲間によるその年齢にしか出来ないダンスでした。


R60Project

写真左から2番目の女性が作者の小林さん。
一番左も小林さんで御夫婦です。
左から3番目がうちのオクサンで一番右が荒木です。
両夫婦とも全員が昨年60になりました。
それを記念してということで、10月にスタジオパフォーマンスに出るために作りました。
音楽は森山良子さんのアレ・アレ・アレという曲とレットイットビーのカバー曲。
踊りを言葉で説明しても意味はありませんが、コミカルな作品でテーマはこの年齢のアルアルのようなものです。
あれがないこれがない、あれはどうしたこれはどうした、あれはどこだったっけ、同窓会では先生と生徒の見分けが付かなくなり、誰だったか面影を探すのが大変。
みたいな。


昨年やったTOKYOZAというスタジオのスタジオパフォーマンスで作ってもらい、これは仲間内だけではもったいないと思いました。
自分で踊っていてなんですが、多くの人に見てもらいたい作品だと思ったんです。
世の中には「60も超えて年齢の割に動けますね凄い」という作品や、「その年齢には見えないですね若い人と一緒に踊っていても」みたいな作品は結構あるように思います。
痛いとまでは言いませんが、まあねという感じ。
歳をとってもまだまだやれる感が全面に出ている感じ。
でも、年齢なりに自分たちを表現している作品はあまりないと思っています。
それが出来た。
大げさな言い方をすれば、時代が創った(もちろん創ったのは作者)作品のような感じがします。
例えばラブソングは以前は10代から20代くらいの男女の気持ちだけでした。
ところが最近、斉藤和義さんが出した同窓会に出たら昔のマドンナが未だに美しい、なんてあれは40代のラブソングですね。
例えばサザンオールスターズの壮年ジャンプもそんな唄かもしれません。
そういう年代毎の唄や踊りがあっても良いのかと。


今回は全く見ず知らずの方々からも素敵だと声をかけて頂きました。
一緒に出ていた他の作品のダンサーからも踊りたいと言ってもらいました。
素敵な作品に出会ったと思います。
いつまで踊れるか分かりませんが、なんて言いません。
いつまでも踊ってその年齢なりの踊りを踊りたいと思います。
歳をとったからとか、考えない方が楽しいように思います。

現代舞踊公演を観て。

読了までの目安時間:約 4分

【新進舞踊家海外研修員による現代舞踊公演】を観てきた。
横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール。
池田素子さん、小松あすかさん、内田香さん。


赤レンガ倉庫1

「 Do not fear. 」 池田素子作品

何が始まったのか。
舞台上のことが分からなかった。
ダンサーの動きに意味を感じようとしていたのかもしれない。
何かが始まったことだけは分かった。
しだいに動きはピースになりパーツになり。
何か意味を持つような動きに見えてきた。
ただそれでも意味ではなかった。
ある瞬間。
突然、意味の萌芽が見え始める。
それは観る人個人で違うんだろうと思う。
ああそうだ。
そうだったんだ。
情景が少しずつ。
風景が少しずつ見え始める。

東京の唄が聞こえてきた。

突然、一気に世界が開け色が見え始める。
凄い。
ただのパーツでしかなった動きが情景を創り風景を見せ始める。
凄い凄い。
人と人のいるところの関係性、関係と関係の関係生。
それまでのピースやパーツが交錯し情景となりパーツ同士が関係を持ち出す。
世界が勝手に動いている間に、自分は自分で一人の世界がつながっていく。
それぞれの物語がぶつかり並走し交錯しながら展開していく。

とにかく素晴らしい作品。
現代舞踊展でこの作品が見られるとは思わなかった。
横浜の夜。
赤レンガ倉庫を最大限に利用し。
ダンサーも構成も振り付けも音楽・音響も衣装も舞台小物も照明も。
とにかく素晴らしい。


「 みち 」 小松あすか作品

セピア色の照明の中、踊るダンサー。
面白い照明だと思う。
衣装の色を変える照明。
身体能力とテクニックの高さも見える。
様々に構成され突き進んでいく舞台。
でもまてよ。
何だろうこの違和感は。
言いたいことは分かるような気がする。
たぶんこういう世界が見せたいんだろう。
でも。
何かが違う。
何だろう。
そうだ雑なんだ。
構成も振り付けも照明も衣装も表情もフォーメーションも。
全てが雑に見える。
少しずつ抜けている印象。
穴が見えてしまう。
残念。
もうちょっと詰めれば良いのにと思う。
デッサンのようなものが見せたいのであれば、デッサンを見せるような造りに出来るんじゃないか。
デッサンにはデッサンの良さがある。


「 note 」 内田香作品

黒いドレスを着た長い髪の女性。
上手に椅子が4脚、下手に2脚。

圧巻のダンスが続く。
椅子を使った展開がある。
美しいフォーメーション
素晴らしいテクニック。
音楽の盛り上がりにつれて盛り上がっていく舞台。

しかし。
どうしてドレスなのか。
どうして黒なのか。
どうして長い髪なのか。
どうして椅子なのか。
ここ横浜で。
赤レンガ倉庫で。
この空間で。

最後まで分からなかった。
これは見ている自分の問題なのか。


赤レンガ倉庫2

三作品とも力のある作家が創作した舞台で見ごたえがあった。
ただ、上にも書いたように個人的には池田作品が抜群だったと思う。
二作品にはいろいろと気になる部分が多かった。
好みの問題もあるかとは思うが、同時代のコンテポラリーダンスや現代美術・現代芸術・現代音楽と並列に並べてみるとはっきりするような気がする。
ダンスに時代は関係ないと思うが、時代を関係ないと言うのなら、時代に関係のないダンスを観たいと思う。
そういう作品を作ってもらいたいと思う。

関係者の方が見ていたら失礼しました。
良い作品を観たいと思う個人の感想です。



1 2 3 22