医療と現生人類
病気になると病院に行きます。
整体師の私だって病院に行きます。
行かない整体師もいますが、行く整体師もいます。
コロナの時期に考えた事があります。
ワクチンを多くの人が打ちましたが、それはワクチンでコロナウィルスに対する抗体を創るということでしょう。
人がその人個人の免疫反応として抗体を創るのではなく、人為的に作られたモノを外から入れて抗体を創る。
ワクチンが悪いという事は全くありません。
それでその人が生き延びる可能性が最大化される訳ですから。
ただ、その個人が抗体を創れなくても、生き延びられる可能性が大きくなったという事です。
抗体を作れない人が次の世代を残せる可能性が増えたという事になります。
薬というのは、何かの病気に対して創られます。
その薬で病気が治れば、その病気で死ぬ人はいなくなります。
それはつまり、その病気にその個人が打ち勝てなくても、薬によって生き延びるという事です。
病気に勝てない人が、生き延びて次の世代を残せる事になります。
進化という考え方があります。
何かに適応するように変化していくと考える人もいますが、少し違います。
その環境に適応できるような順応できるような生き延びられるような資質を持った個体が、次の世代を残していけるという事です。
それが何世代何万世代何十万世代と続くと、直近の環境を生き延びられる資質を持った個体の子孫が残って来ているというように考えられます。
ところがです。
薬を飲むようになると、その個体ではなく薬で生き延びられる個体が次の世代を残します。
人類はホモサピエンスは進化しているんでしょうか。
環境に対して強くなっているんでしょうか。
新しいウィルスに対して、個々の個体は耐えられるようになっているんでしょうか。
また少し違う話。
手術をします。
さまざまな臓器を切ったり取り替えたりします。
新しく人工の造作物を入れたりもします。
入れ歯は普通にある事ですが、人工股関節となると大変なようにも感じます。
メガネとコンタクトレンズと人工膝関節はどれくらい違うのかと思ったりします。
心臓の弁が狭くなったとか形成不全だった場合、それを入れ替えたり人工物を入れたりします。
20代30代40代50代であれば、状態が改善し、日常生活も普通に戻ると思います。
これが80代90代になるとどうなのか。
母が心臓のことで医者に行った時に、100歳で大動脈弁の手術をした人がいると聞きました。
ご本人の意向もあり、周りの意向もあり良かったんだと思います。
ただ、90代80代で心臓だけが元気になって活動したとして、脚力や腕力や内臓臓器の働きは、その手術後の心臓と同じようなレベルになるんだろうかと思います。
どうなんだろうと、個人的には思ったりします。
自分だったらどうするだろうと考えます。
年をとるのも大変やね。
母と朝の散歩をしながら話たことが何度かあります。
歩くのが大変で面倒になる、体も思うように動かなくなる、でもこうやって生きている。
母の場合は手術をしないと決め、状況がなるべく変化しないようにとだけ薬を出してもらっていた。
どうやって医療と付き合っていくのか。
人生を考えるようになりました。
平原慎太郎クラス ダンス専科トリプルビル公演を観た。
神楽坂セッションハウスで行われた、【平原慎太郎クラス ダンス専科トリプルビル公演】を観た。
3つのチームで5シーンを踊る作品になっていた。
一つは平原さん率いるOrganWorks(ゲスト作品)で、あとの二つがセッションハウスで行われているクラスの人たち。
木曜のクラスと昨年から始まった180Daysという二つのクラスの人たち。
木曜クラスはいつも出ているクラスなので、馴染みの顔もあり、自分がそこに居ない事に少し違和感を覚えるようだった。
全体を通して”美しい”作品だったと思う。
いつもの平原作品に自分が感じる”引っかかり”が少ない。
その分、流れるように見やすい作品になっていた。
流れるようにと言っても、目の前を通過していくのではなく、一つ一つにある色がクリアに見えるというような印象。
楽しんでいるだろうなと思わせられて、そこが観る時の楽さに繋がったのかもしれない。
OrganWorksの三人によるコンタクト(パートナリングと当パンにはある)の作品は、緊張感の中に息の抜ける笑える部分もあり、また高いスキルも観られる重曹的な作品だたっと思う。
タマラさん凄いよね。
発想が面白く、どこまで展開していくのかの期待感で、観続けられるものだったと思う。
そしてここで展開されたナニカが、作品全体に通底するものを見せてくれていて、バラバラになりそうな作品群を一つの世界に繋げているものだったような気がする。
まあね、三人とも素晴らしいダンサーでそれを見ているだけで楽しめました。
180Daysの作品は本当に個人的に好みというか好きな作品。
動きの質も動きの展開もテンポもリズムも、空間の使い方も流れも見え方見せ方も好きだった。
衣装も照明も舞台も。
舞台はいつもは客席がある側にあって、天井が低くなっていて、その低い天井で仕切られた横線というか、狭さの広がりが面白く見えた。
普段使っている鏡が収納されているところに、照明がチラチラ当たって反射しているところまで美しい。
昔、こんなテイストというか雰囲気のダンスを作りたくて、幾つか創ったけど、全くこうはならず、ああこういう表現があったのかと思ったり、やっぱり美しいと思ったり。
この作品のテンポやリズムや拍の取り方・作り方が、前後の作品たちにまで聞こえるような感じでした。
一つだけ引っかかりがあったのは、キュー(きっかけ)を出すような仕草というか目線や首の傾けがあり、それが意図的なのかそうでないのか、少し考えてしまいました。
ダンス専科作品はそれぞれの個性が見える作品になっていて、たぶん本人はそうでもないかもしれないが、そこがこの人の面白いところというのを引き出していた。
それぞれ少しずつ体が違うので、ユニゾンがユニゾンに見えないことまで、たぶん計算されているような気分になった。
随所に遊びもあり、楽しくみられた。
それにしても、個性が光る作品。
踊る側に立ってみると、これはかなり難しいのかなと思う部分もあった。
構成というか世界観を作りに行くのか、自分が出るだけで世界観に繋がるのかみたいな。
クリエイションどうやってんだろうと思ったりもした。
全員での最後のパートは、東京2020オリンピック閉会式のパリ側のパフォーマンスが頭にチラッと思い浮かびましたね。
ちょうどパリオリンピックが終わりパラリンピックが開催されているタイミングで、ひょっとして頭の片隅にあるのかなとちょっと思ったりしましたが、ま、それは下衆の勘繰りなんだろうと思います。
この最後も大好きで、こういう作りの表現として、まだこんなのがあったのかと思わせられました。
この上質の舞台作品をリアルで観る人が、現場では少なかったのだけが残念だったな。
良いものを見せてもらいました。
ありがとうございます。
来年は出るぞぉ!
8月が知らない内に過ぎていく
8月25日になりました。
もう今月もあと1週間で終わり。
知らん内に過ぎている感じです。
何ででしょ。
良くわかりません。
まああの、7月も同じような事を考えたのがつい昨日のようです。
もう7月も終わるのか、ナンモしてないなぁ。
みたいな感じです。
整体学校やってる先生がこんな事言ってて良いのかどうか。
でもまあそんなこともあるでしょう。
一つには母との同居があるように思います。
3月から始めて半年が経ちました。
5月くらいまでは同居って感じでしたが、6月くらいから介護って感じになりました。
仕事して家に帰ってって感じでしたが、母の様子見て仕事に来てって感じに反転しているような印象がたまにあります。
仕事はもちろんしっかりやってます。
整体スクールも整体も。
8月入ってインスタライブ始めました。
12日から今朝で10回やっています。
少し慣れてきて、30分くらいの話が出来るようになっています。
主に体関係の話をしてますが、ゲリラ的にやっている時は整体スクールの説明をしたりもしています。
出来ればやっぱり、整体スクールに入学してもらいたいですからね。
良い整体スクールだと思います。
手技も良いし座学も良いし、かなり面倒見の良い整体学校です。
今時、何回通っても追加授業料がないなんてないですよ。
最近の普通は必要な授業に出たら卒業、です。
てあて整体スクールは手技が身につくまで居てもらいます。
変な卒業生出したくないですから。
28日から夏休みの予定です。
台風が歓迎してくれそうで、28日に三重県に移動するのは難しいかもしれません。
でもまあ、夏休みは満喫したいと思います。
とここまで書いて、31日にはクラニオアドバンス・セミナーやることになっているのを思い出した。
夏休みじゃないね。
でもまあ、仕事も休みも関係ないです。
全部、自分の生活です。
9月はどんな月になりますか。
そろそろ秋になってくれると良いですが、今日、患者さんと話をしていて10月くらいまで暑いそうですよと聞きました。
秋が好きなんですけどね。
・インスタアカウント >>> https://www.instagram.com/teateseitai/
フォローお願いします。
ライブでは体についての話してます。
久しぶりのレッスンで足裏が攣った話
まあいろいろありまして、久しぶりにダンスレッスンに行きました。
約一ヶ月ぶりのセッションハウス松本クラスです。
20分くらい前には着替えをして、ウォームアップを入念にというか出来るだけやってレッスンには臨みました。
最初はフロアでのエクササイズ。
さまざまな関節や筋肉を動かし、コーディネートするように出来ています。
途中、仰向けに寝て両膝を天井に向け、足先を伸ばします。
そこからフレックス(足首を曲げ)して踵を押し出すようにします。
フレックスのままターンアウトをしたら、そこから足先を伸ばしてポアントにしてく。
ここで攣ります。
足先を伸ばしていくと、足裏が攣る。
以前は左足裏でした。
ほとんど必ず攣るようになっていました。
たぶん、10年くらい前までは攣らなかった。
ここ10年くらいの事だと思います。
アラフィフが過ぎた頃からですかね。
いや、歳のせいとは言いません。
ストレッチ不足だと思っています。
それが、今回は両足裏でした。
まいりました。
両脚裏が攣ると使えなくなる。
指を曲げたり伸ばしたり、ポアントを緩くしたり伸ばしたり。
レッスンは進んでいくので仕方ないです。
左足裏が攣るようになっていた時は、左脚裏(ハムストリングス)などが硬く短く伸びない状態でした。
股関節も開きづらい。
若い時に故障した事があるのが遠因かと、屁理屈つけて言い訳したりしています。
今回は久しぶりだった事もあり、両脚がストレッチ不足で硬く短く伸びない状態だったんだろうと思います。
気をつけないとね。
ご同輩。
がんばりましょう。
トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代
映画を観てきました。
トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代
小学校の時に「帰ってきたヨッパライ」
中学で「あの素晴らしい愛をもう一度」
高校生で「タイムマシンにお願い」
どの曲を聴いた時もびっくししたような、聞き惚れたような、グッと心を持って行かれたような気持ちになった。
で、口ずさむ。
小学生が口ずさむ帰ってきたヨッパライは、相当に面白い。
酒は美味いしネェちゃんは綺麗だっ! っふあ ッふあ っふぁふぁ〜 🎶
テレビや雑誌で見る加藤和彦さんは恐ろしく格好良かった。
最先端の先を行くような、今見てもおしゃれで、しかもそれが身についていて普通に見える。
普通に格好良い。
そういう生まれというかそういう人のように見えた。
60代になってアルフィーの坂崎さんとなんかフォークソングみたいな事またやってる、と思っていた矢先だったと思う。
自殺。
あああああぁぁぁぁぁぁ
って感じだった。
残念というか、どうしてなんだろうと思った。
60代で自死を選ぶというのは、アフラフィフの自分には理解出来なかった。
今でも本当に残念で、悔しい。
マイケルジャクソンもそうだけど、80代になった時を見たいと思う人が亡くなる。
ああ、寂しい。
その加藤和彦さんの映画です。
インタビューが多く映画としてはどうなのかなと思う部分もありますが、この時代を生きたものとしてはとても面白く観ました。
もう一度観るかもしれない。
泉谷の(失礼、どうしても敬称つけて呼べない)「春夏秋冬」の後ろに加藤さんが居たのは聞いたことがありましたが、そのほかの歌も後ろにいたとは知りませんでした。
結局、加藤さんの世界が好きだったんだと思います。
そしてサディスティックミカバンド最高です。
・トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代
https://www.tonoban-movie.jp/#modal
メイドインジャパンがまだ粗悪品の代名詞のように言われていた時代、1ドル300円の時代にUKツアーを成功させた加藤さん。
当時のUK音楽番組での映像が恐ろしく格好良いので、貼っておきます。
久しぶりに最近の話など
4月24日で整体スクールの名古屋教室を閉めました。
翌々日の26日、部屋を引き渡しました。
名古屋教室の最初の授業は2008年だったので、16年間は通っていた事になります。
最初は父が他界して一人になった母のところに、月に一回くらいは顔を出すもんだと思って名古屋に仕事を作ろうと始めました。
始めてみると名古屋の生徒さんは東京とは少し違う印象がありました。
月に一回だけ集中してという授業の受け方も影響しているのか、それとも地域性なのか分かりません。
開業率で言えば東京の倍近い開業率だと思います。
整体院だけではないですけど、ピラティスインストラクターやパーソナルトレーナーなどのスキルとしても使ってもらっています。
いや、今日はそういう話じゃなかった。
寂しいかなと思ってましたけど、そんなにすごく寂しくはありませんでした。
部屋を引き払っても、来月以降も継続して名古屋にいくからかもしれません。
それとも元々、感情があんまり昂らない性格なのかもしれません。
部屋の片付けも淡々とやってました。
卒業生が毎日来てくれて、掃除や中のものを引き取ってくれたり、お土産まで頂いたりして、助かりました。
ありがたい。
石川県から日帰りで来てくれた人までいて。
いや、今日はそういう話じゃなかった。
2月3月とかなり大きな事件というか事が起こっていて、母の入退院の後に、埼玉に引っ越しをして一緒に暮らすようになり、名古屋教室を引き払いました。
思い出してもどんな風にやってたんだか、いつ決断したんだか良く分かりませんが、いろいろと決断して行動していたようです。
どうも人ごとみたいな感覚がありますが、それは気持ちが膨張して手に余る事がないように、そんな風に頭が対応しているのかもしれません。
人の頭は面白いもので、大きな怪我をしたら痛みを感じない事があったり、嫌なことは積極的に忘れるようになっていたり。
私の場合は感情の起伏を少なくするような何かが働いている気がします。
幼稚園の頃から落ち着いた子供だったみたいなところがあります。
ただ良くないなと思う部分もあります。
感情の起伏が少ないためか、実感が伴いません。
最近は特に実感が伴わないので、時間を作って実感する時間を作ったりしています。
ちょっと間を置いて、音を聴いたり、体を感じたり、歩いてみたり。
つい、日々のタスクをこなす事を優先して、考えるのをやめて体を動かす時間が多くなりがちです。
連休が始まります。
連休は予約があまりありません。
時間があるので、溜まった経理仕事をしようと思っています。
それと、来月以降に始まる事になった、インストラクター向けの解剖学講座の内容を考える。
解剖学は解剖学なんだけど、インストラクターの方々に必要で聞きたいであろう事を交えたいので、何を取り上げるか考えておきます。
こういうのは楽しい作業です。
それと、散歩。
久しくゆっくり散歩が出来ていないので、時間をとってどこかに行きたいと思っています。
でも混んでるから連休が明けてからかな。
動画も撮らないと、というか編集しないと。
1年以上毎日上げていたので、ちょっとネタ切れな部分もあります。
もう少し軽い内容の話を毎日上げられればと思うんですけど、つい考えてしまいますね。
それと体を感じる講座を企画したい。
ダンス忘れてた。
セッションハウスのダンス学校で平原さんのクラスを受けます。
これは楽しみ。
ちょっと落ち着いた。
少しずつ落ち着いて行きます。
よろしくお願いします。
” processing and tuning “
" processing and tuning "を観てきた。
ダンサー 仁田晶凱(にたあきよし)さん
ジャグラー 目黒陽介さん
小説家・デザイナー 山本浩貴さん
三人による公演でした。
素敵な作品でした。
仁田さんのダンスは以前”シシオドシ組曲”を観たが、その時の印象とは違い新鮮で不思議で安心で納得の時間空間でした。
シシオドシの時の仁田さんは洗練された体が作り出す美しく儚く力強い動きを全面的にコントロールしながら、現代音楽の生演奏で動いていました。
今回はダンス作品というジャンルからはみ出て、試みの世界観を見せてくれました。
仁田さんには演出意図があり、それが具体化されたんだろうと思う。
リハーサルは打ち合わせの時間が多く取られ、話し合いの中で少しずつピースが出来てきたような事をおっしゃっていました。
だから、三人三様の仕方で、それぞれの共通する今回の世界観や雰囲気や意図や方向に向かっていたように思います。
それとは別に私が感じたのは、今回の公演は、今の時代・現代を表象しているように感じました。
創ろうとして出来たのではないと思いますが、今までのダンスや劇やジャグリングや芝居や公演や作品を、意図的に分解し解体して、再構築していっているような印象を受けました。
それが端的に現れている部分もあり、また全体がそうなっているような気がしました。
似たようなアプローチの作品の”部分”は観た事がありましたが、全体を眺めてそれが思われる作品に出会ったのは始めてでした。
このスタイルとかこの演出とかこの構造と言えませんが、そういうアプローチが今の時代を見ているようでもありました。
完成されていると思われていたものが、実はそうでなくても成立する可能性がある。
今までとは違う組み合わせや取り合わせもあるみたいな事で、新しい業態や方法や制度が試行錯誤されている。
processing and tuning という題名がそれを表しているんだろうかと、終わってからグーグル翻訳で意味を知って思いました。
なんちゃって。
帰り道にいろいろ考えました。
考えながらニヤニヤ出来るのは、好きな作品で良い作品だなと思います。
仁田さんのダンスはやっぱり洗練されていてクリアで雑味がない。
格好良いなぁと思います。
目黒さんは声が素敵でした。
ジャグリングが本業との事でしたが、声の仕事もやってるのかと。
山本さんの紡ぎ出す言葉は、言葉の持っている意味だけでない世界を見せてくれました。
テキストが生身の人間と対峙していました。
4月14日までやっているそうです。
三鷹の駅から3分のSCOOLという場所です。
時間がある人は観ると良いですよ。
・processing and tuning >>> https://scool.jp/event/20240409/
船越桂
ふなこしかつら
彫刻家
昨日、3月29日に72歳で亡くなられたらしい。
ご冥福をお祈りいたします。
船越さんの作品を見たのはもう、20年近く前になります。
確か清澄白河にある東京都現代美術館でだったと思う。
初期からの作品が並んでいる中を、ゆっくり歩いて見ていくと、ちょっと振り返りたくなる事があった。
「 おいっ。 」
???
声をかけられるような不思議な感覚のある彫刻たちだった。
椅子に座ってピアノを弾いている人や、マフラーをした女性の胸像など。
初期の奥様を彫ったものも良かった。
途中から最近の作品につながるような、肩に小さな家が乗っている作品などもあり。
微妙な違和感が良い印象だった。
10年近く前になって松濤美術館でも見た。
その時は他の作家さんたちも作品を出していて、三沢厚彦さんなども出ていたと思う。
ここではスフィンクスのシリーズがあって、これは個人的にはあまり・・・という印象。
その少し前に練馬区美術館でお父様の船越保武さんの展覧会を見たことがあり、桂さんの作品に保武さんの影響があるんだろうと思ってしまいました。
それにしても72歳は若い。
スフィンクスの次の展開を見て見たいと思っていました。
志ぐれは蛤ではなくアサリ派です。
三重県四日市の出身です。
でも高校は桑名高校に行っていました。
「その手は桑名(の焼き蛤)」の桑名です。
志ぐれ=時雨煮という食べ物がありまして、佃煮的なもので、ひょっとして同じなのかもしれませんが、東京の佃煮とは全く違う、と個人的には思っています。
中でもアサリ志ぐれが好きです。
でも実はもっと好きなのがありまして。
しばくら
です。
しば+くら=しばくら
しば漬け+キクラゲだと思います。
これが好きですね。
そして、伽羅蕗(きゃらぶき)も好きです。
最近は塩分を気にして、食べる量が気になりますが、好きです。
高校生の頃はご飯を何杯も食べていましたので、最後の方はおかずがなく、伽羅蕗や志ぐれでお茶漬けってのが多かったです。
毎月、実家のある四日市に帰ると、貝新さんで志ぐれを買います。
新左衛門さん。
貝新さんは幾つかあるようで、先代だか先先代だかは同じだっものが分かれたようです。
東京でも買えますが、若干味が違うような気がしています。
佃煮に似せているんだろうかと思いますが、私は三重に売っている貝新の志ぐれが好きです。
名古屋に来ています。
正確には三重県四日市に来て名古屋に来ています。
四日市は実家です。
昨夜、実家につきました。
帰ってきたと言うんでしょうか。
最寄駅から実家に向かう道すがら、不思議な感覚になりました。
2月末に実家から母を埼玉の自宅に連れてきました。
なので実家には今は誰もいません。
誰もいなくなった実家に最寄駅から向かっていると、実家に”帰って”来たのか、実家に”行く”のか分からなくなりました。
いや、同じ事でしょう。
帰るも行くも。
でも帰るだと、誰かがいるような感じがします。
今は誰もいない。
誰もいない家に行くのは、帰るのか行くのか。
ま、どってことないですね。
そんなこと。
でも、意外に気になります。
気になって、なんだかなと思います。
なんだかなは、特に悲観的でも楽観的でもない感覚です。
なんだかなです。
今日から名古屋で整体スクールと整体院の仕事です。
これもまた不思議な感覚です。