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華樓

読了までの目安時間:約 2分

てあて整体スクールと大泉学園駅の間に『華樓』(かろう)という甘味処がある。


華樓看板

いや、実際にはあった。
けっこう年配のお父さんとお母さんがやっていて、以前に一度か二度入ったことがある。
今日、前を通ったら閉店の張り紙が貼ってあった。
数週間前に前を通った時には、中にお客さんがいたような気がしたので、まだまだ頑張ってんなと思っていたが、あれはクローズド記念かなにかで人が来ていたんだろうか。
8月30日での閉店だったらしい。


華樓閉店

寂しいね。美味しかったのに。
ってのは、たまにしか行かなかった冷たい客が言ってはいけないことだ。
店に存続して欲しかったら、毎週のように顔を出すことしか応援する手立てはない。
旨いよと人に言ったって仕方がない。
結局はその人が行かなければ、売上にはつながらない。
だから閉まってしまったのは、私のように寂しいなとだけ言っている、冷たい客が原因だと思う。
だけどやっぱり寂しい。
申し訳ないけど、そうは思う。


このところ閉店する店が増えている。
倒産や閉店が多いのは、飲食店、衣料品店、旅行関係(宿泊等)だと言う。
寂しいなぁ、もっと頑張って欲しい。
美味しかったのに、センスの良い服が売っていたのに、いつか行こうと思っていたのに。
どうして閉めちゃったんだろう。
というのは意味のない言葉です。
あなたが。
私が行かなかったのが、閉店の理由です。
そろそろ、感染対策を十分して、店に顔を出さないといけない時期なんだろうと思います。
そうしないと、暮れから来年にかけてはバタバタと閉店が増えて行くんだろうと思います。

ウィスキーはストレート。

読了までの目安時間:約 2分

実は夏バテしないように結構気を使っていて、特にアルコール消費に気を使っております。
水分補給はかなり多量にしなければいけない訳ですが、飲みすぎると腹の調子が悪くなり、水分が足りないと頭が痛くなるという板挟み。
腹の調子と言っても下すというよりは、腎機能が落ちている雰囲気で疲れが取れにくくなったりする。

ビールは特に翌日に頭痛の種みたいなものが残ることがあり、今年はかなり控えている。
週に1・2日しか飲んでない。
あの荒木が。
週に1・2日くらいしかビールを飲まないなんて、どうなってんだと思う。

飲みたくない訳ではなく、飲むと翌日のうっすら頭痛が面倒で、飲まない選択をしてしまうという。
でも飲みたい。
野みたいが翌日のことを考えると面倒で飲むのやめてノンアルにする。
みたいな日々。
しかしやっぱり飲みたいということもあり、患者さんの予約のない日の前日にたまに飲む。
飲むがビールはやっぱりやめてウィスキーになる。
ウィスキーはストレート。
オンザロックでも水割りでも、最近はウィスキーソーダでもない。
ストレートが一番翌日が楽。
なんなんでしょうね。
あれは。
でも確実に翌日に残らないのはストレートです。

家ではジェムソン(JAMSON)。
最近はスーパーなんかでも売ってます。
アイリッシュウィスキーってんですかね。
これをストレートで頂きます。
日本のウィスキーは水割り用だと思ってるんです。
山崎や竹鶴くらいだとストレートも旨いんですけど、お手頃価格の日本製は水割り。
なのであまり飲みません。

何だ何の話だ。
まあそういうことです。

エリーゼのために

読了までの目安時間:約 5分

実は荒木。
7月後半からピアノの練習をしています。

本当はインベンションというのが弾きたかったんですが、ピアノの先生をやっている患者さんに聞くと、思っているより難しい。
それより、プレインベンションと言うのがあるよと教えられ、CD付き楽譜を買って練習を始めました。
何も考えずに1番から始めたところ中々進まず、聞くと普通1番からではなく練習する順が書いてあるとのこと。
とは言え始めてしまったものは続けないとと1番の練習は続け、なんとか繋がったところで、練習順の最初にある34番を始めました。
最初に曲を聞いた(CDがある)時には、これは無理と思ったが1か月もやっていると何とかつながるようにはなって来た。
片手がメロディーの時に反対が伴奏になっているので、実は意外にやりやすいことになっているのではと踏んでいる。
そうこうしているうちに34番が繋がるようになってくると、当時に練習を続けている1番も弾けると言える位にはなって来た、そこで次の曲11番を始めた。

これはダメ。

曲を聞いてもさっぱり分からず、片手ずつ練習するがそれも酷い。
そもそも何故だか分からないが、3の倍数のテンポの曲は踊るのも苦手だったりしてリズムが取れない。
と思いこんでいる。
思い込んでいるものを出来るようにするのは、これは意外に至難の業なんですね。
だって、思い込んでいる事が出来てしまうと、頭の中で整合性が取れない。
自分が信じている「出来ない」ということが、覆されてしまう訳です。(出来ないはずの事が出来てしまうと、頭の中で整合性が取れません。)
実は脳は整合性を取ろうとする(辻褄を合わせる)ので、出来ないと思っていることをやろうとすると、出来ないように身体が動く。動いてしまう。どんなに努力しても、知らないうちに動きにくくなっている。
それは知らず知らずのうちにそうなっている。

なので、ダメだとか弾けないとか思わず、気にしないことにして練習を続けているが、やっぱり心のどこかに”出来ない・苦手”が潜んでいて、練習してても嫌な感じになる。
困ったね。
とは言え練習は嘘つかないはずなので、出来ようが出来まいが、左右の手を別々に練習してみて、その後に左右同時に一音一音確認しながら音を出してみる。
ま、筋肉の練習、筋肉と神経をつなぐ練習、脳の中にピアノを弾く指の動きの連続という神経回路を作る練習。
たぶん、はたから見ると(聞くと)、ピアノの練習には聞こえないと思う。
音が別々にバラバラにゆっくり確認さてている感じだから。

でまあ、あまりに出来ない11番の練習だけだと嫌になって来たので、40年以上前に一度だけ弾けたことがある「エリーゼのために」の練習を始めた。
(何故か高校生の2年半、ピアノを習っていました。)
これがまた大変。
指が動かない。
8月中くらいから始めたが、やっぱりダメかと思いましたね最初。
それが続けているうちに少しずつ音が繋がるようになってきた。
不思議なもんです。
一度弾けたものは身体が覚えてますと言われますが、覚えてはいません。
身体は完全に忘れてます。
ただ、一度覚えたという記憶がよみがえって来た感じ。
うっすらと。
昔の記憶が、遠い過去の写真を見ているような、誰だか分からないけどイメージだけは頭に残っているような。
全く初めてなら無理だろうけれど、やっているうちに指の形がよみがえってきて音(和音)が出たりする。
後は指の練習ですね。
運指の練習。
やっぱり弱い。

始めて一か月くらいで曲に聞こえるように少しなって来たので、年内位にはエリーゼは弾けるようになりたいと思っている。
その前にプレ・インベンションの11番をどうするのか。
いや、続けていくしかないんだろうけど、難しいよなぁ。
難しそうだけど好きな曲やるか?
いやどうしよう。
なんて思っている今日この頃です。

整体を引退するという事

読了までの目安時間:約 2分

先日、久しぶりに連絡を取った整体の先輩から、「僕は整体は引退しました。」と言われました。
聞くと他の事業を進めて行くことにしたと。
彼は整体だけでなく、他の事業も幾つかやっていて、今はそちらに移行したんだとのことでした。
彼は素晴らしい手の持ち主でした。
英語で言うなら、タレンテッド・アンド・ギフテッド。(Talented and gifted)
「才能を持って生まれ、選ばれた者」です。

選ばれた人の手に触れられると、体がそれだけで反応します。
それは説明のしようのないものです。
継承しようとして努力をしても、実は伝わらない継承されないものです。
しかしその才能を持って、選ばれて生まれた人がやっていることの外形(形だけ)は継承出来ます。
そうやって、誰でも出来るようにマニュアル化された手技は、始めた人のやっていたことの半分位が伝わります。
半分くらいでも大きな結果や効果が出ます。
その半分の結果が出る形を、自分のものにし、もっと大きな結果や効果を出そうと努力しているのが我々です。
だから、残念。
彼のようなセラピストはなかなか出ません。
だから残念。

とは言え、人生は選択です。

彼は自分の手ですることよりも、別の事を選びました。
その別のことでも大きな結果を残すことだろうと思います。

まあしかしちょっとやっぱり残念ですね。
最近は上手い人が減っていく。

ライブ配信におけるカメラのスィッチングについて

読了までの目安時間:約 4分

昨日、ダンスフェスのライブ配信を見ました。
コンテンポラリーダンス作品ばかり6作品。
3作品は群舞で3作品はソロ。
カメラが幾つか入っており、正面で全体を写すものと上手下手それぞれからで合計3台はあったと思う。
カミシモから狙っているカメラは、手持ちのようで寄ったり弾いたり、上半身だけだったり下半身だけだったりを少し移動しながら映しているようでした。

カメラワークとスイッチングというんだろうか、カメラの切り替えが気になりました。
映像作品として見る分には、カメラワークやスイッチングによって、全体を見たり大写しになったり、足だけだったり上半身や顔だけのショットがあるのはとても良いと思いました。
思いましたが、群舞だとそうでもない場面も多々ありました。
群舞だと数人が上手下手に分かれて踊っていたり、客席近くで踊っている一人に対してホリゾント側を数人が移動していたりという場面が良くあります。
また、立っている位置も、一人が舞台上のどこに立っているのか、群舞がどこで群れているのか。
舞台上の構成だったり、高さや人数やそれぞれの人同士、人と人のグループ同士の関係性などが、とても大切な作品の要素だったりします。
作者は人を舞台のどこに位置させるかで悩みます。
どこで止まっているのか、何人と何人が群れているのか。
動いている人と動いていない人の関係性はどうなっているのか。
そこにストーリーがあるのか、ストーリーではなく状況や情景を見せたいのか。
あるいは暗喩として人を使うのか、そのままなのか。

それがカメラワークが多く、スイッチングが多いと、作者の意図がそこに反映されているのかどうかが気になりました。
特にダンサーがカメラかれ消える瞬間。
カメラの下に消えるのか、カメラの横に消えるのか。
ダンサーが消えたと思った時に、舞台上は全て暗転しているのか、どこかに照明が残っているのか。

先月、自分自身が出たパフォーマンス作品を後でアーカイブを見た時に、若干気になりました。
ストーリーのある作品だったので、どこにカメラを向ければ良いのかは分かっていました。
そういう意味ではとても上手くカメラのスィッチングをしてもらったと思います。
ただ、作者とスイッチングをする人の間には相談も提案も依頼もなかったように思います。
ここはコッチを写して下さいとか、ここは絶対に全体をとか、俯瞰で始まって欲しいとかなんだとか。

たぶんこれからの課題なんだろうと思います。
何台かのカメラアを入れてライブ配信をする時に、ダンス作品などの場合は作者がカメラアングルやカメラワークそして、どの映像を使うかとうスイッチングまで指示が出せるようになると良いなと思います。
ま、良いなとは思いますが、そこまで頭が回るようになるには、まだかなりの時間を要するんじゃないかと思いますが。
その前にカメラワークやスイッチングのプロが現れるのかもしれない。
いや逆に、見ている人が何台かのカメラのうち好きなアングルを選べるようになるのかもしれない。
それはそれで面白いようにも思う。

しかしやっぱりライブは良いね。
オンラインでも迫力がありました。

自分の言葉で話すということ

読了までの目安時間:約 4分

市役所に行ってマイナンバーカードの申請をしてきました。
こんなものいらねぇなんて思っておりましたが、高齢家族が遠くにいるといろいろと手続きが面倒になったりする可能性もあり、あまり拘ったところでメリットもないと思って申請することにしました。

申請窓口でけっこうメタボなおじさんに声を掛けられ、簡易テーブルに腰かけて説明を受けました。
マスクをしているものの、置いてあったアクリル板を外したのは何故なのか謎でしたけど。
で、説明が始まりました。
早い。
とにかく早口でまくし立てる。
パンフレットのようなものを開いたかと思うと、項目に指を当てると立て板に水で言葉が出てきます。
話をしているというより、暗唱したマニュアルととにかく口から出している。
指とシンクロして説明はきっと正しく発語され、後になって瑕疵のないようになっているんだろうとは思いました。
しかし言葉が何を言っているのかが分からない。
別に自分の頭が悪くなって理解出来ないということではないと思います。
とにかく暗唱マニュアルを口から音として出している感じ。
それが少し早口になっていると、意味が伝わって来ません。
意味ではなく音をぶつけられている感じになりました。

とは言え大人ですから、一生懸命聞いていると、どうも説明が飛んでいる部分があるように思い二度ほど聞きなおしました。
聞きなおしてみると、説明を省略している部分と、パンフレットに記載されていないことを自明のこととして説明されている部分がありました。
ということで再度、意味を確認。
おじさんは面倒な顔を皮膚の下に隠しつつ、サイト暗唱マニュアルを繰り返そうとしましたが、飛んでいる説明があったため、私の確認言葉に、ええそうです、とマニュアルにない言葉を発しました。

最初から自分の言葉で話をすれば良いのにと思います。
一日に何人も説明するのは分かります。
大変なのは重々承知です。
でもね、あれだけ意味のない音(暗唱マニュアル)を聞かされると、途中から、もういいや全部OKですと、彼のマニュアル通りに答えてしまう人が増えるんじゃないか。
そうすると後で、話が違ったどうしてくれる、いえいえそれは確認しています、ええええええええあれが確認、ええそうなんです、的な話になると思うんですよね。
まあ、仕方がないけど。

以前なら少し深呼吸をして、もう少しゆっくりご自分の言葉で説明されてはどうかとアドバイス的な注意的な聞かされた方にとってはたぶん単なるクレーム的なことを言ったこともありましたが、もうやめました。
二度ほど聞きなおした後も、はいはいと頷いておりました。
拘りって疲れるしね。
隣にいたおじ(い)さんは、写真撮るなら普通はネクタイするでしょこういう証明証的なものだったら、なんて憤慨して言葉を発しておられました。
これはクレームか。
でも、あの年齢なら言いたくなる気持ちも分からんではない。
何を言っても、こんな風に聞こえるんだろうな、それに暗唱マニュアルを読むのは変わらないだろう。
と思って、そそくさと帰ってまいりました。

マイナンバーカードは来月位に来るそうです。

※SNSに上げた駄文ですが、こちらにも載せておきます。
整体になにか関係があるのかないのか。
自分の頭で考えて行動するというのは大変で大切だとは思います。

夏の闇

読了までの目安時間:約 5分

開高健さんの「夏の闇」を読んだ。
読むのは3回目だったかなと思って読み始めたら、100ページ目くらいに来てこの本は読了していないなと思い始め、そのまま読み進めていくと、やっぱり読んだかもしれないと思い始め、最終的には通して読んだことがあるのかないのかが分からなくなってしまいました。
読んだようでもあり最後までは読んでいなかったようでもあり。

20年くらい前の一時期、たぶん10年くらいの期間、開高さんにはまった時期があって、続けて彼の本を読み漁った時期がありました。
小説だけでなく、「オーパ」のシリーズなど釣りの話や、言葉の断片を集めたアフォリズムと言ったもの、エッセイなども読みました。
言葉が圧倒的で、特に小説での表現はとにかく独特。
普通の小説や文章で使われているようなものではなく、例えば「悲しい」という感情を表すのに、悲しいと書かれることは多分ほとんどなく、天気の表現だったり朝ベッドから抜け出るまでの表現だったり、立って何かを取りに行く時の足裏の感覚や脚の進め方だったり。
その時の空気感や音や匂いや肌触りなどなど。
積み重なり折り重なって見え聞こえ感じられるものが表現されることになります。

「夏の闇」のストーリーは大したことがありません。
男と女が出会って、場所を変え、最終的には分かれる。
ただそれだけのことです。
ところがそこでは、女や男や食べ物や釣りや戦争が表現されます。
女と食事が書けたら一人前と言われているが自分はまだ半人前、みたいなことをどこかで書いていましたが、女と食べ物と釣りと戦争を描くことで、自分の表現を残したいと思ったのではないかと思う部分もあります。

彼に嵌っていた頃、小説の面白さもさることながら、アフォリズムなどで書かれている一言一言にもグッと来ていました。
有史以来、既に殆どのことは書かれてしまい、小説家が新しく書くことは残されていないんじゃないか、だから今後残っていくのは「文体」なんじゃないか、と言うようなことを書いていたのを記憶しています。
そういう意味でも「文体」に挑んでいる部分も感じます。
とは言え文体だけではもちろんない。
女や男や食事や釣りや戦争を言葉で表現することで、言葉で空気感や肌触りや感情の揺れなどを表現しているように思いました。
少なくとも自分が読んだことのある小説では、こういったタイプの表現をされているものは一つもないように思います。

一つだけ少し気になったことがありました。
20年前の一時期に彼の文章を読んで思っていたのは、こういう大人になれたら良いなということでした。
自分自身の子供さかげんが気になり、世の中にはこんな大人がいるんだろうか、もしなれるものならこういう大人を目指したい。
それは、幾つかの小説を読んでいて、ストーリーとは関係なく、こういう重厚な折り重なった深い考えや表現が出来る人間になりたいと思っていました。
それが、今回読んでみて、少し子供っぽい印象を受ける部分がありました。
こういう大人になりたいと、作者自身が思っていたのではないか。
小説は作者がたぶん40代に書いたものだと思います。
以前、遺作となった「珠玉」を読みました。
その時は自分は30代。
今回もう一度「珠玉」を読もうと思います。
彼が60代後半に書いた作品です。
20年以上前に読んだ時は、開高さんにしては面白くないと思った記憶があります。
内容は全く忘れましたが、ナンデこんな作品書くんだろうと思った記憶があります。
その印象がどう変わるのか、楽しみです。

平成生まれの人が読むとどんな感想になるんだろうと思います。
ただのエロ小説じゃないか、って人もいるかもしれない。
文章が重厚すぎて読みずらいという人もいるかもしれない。
ゼンゼン面白いという人もいるんだろうか。
昭和の時代、アナログでマニュアルでリアルしかなかった時代の小説です。

自分で考える

読了までの目安時間:約 1分

本を読んだり映像を見たり。
新しい情報を得るには様々方法があります。
今まで知らないことを知るようになると、新しい自分になったようになる。
今までとは違う自分。
昨日は知らなかったことを知っている。

でも。

知ることと分かることは違う。
聞いたことがあるということと、それを分かっているということは違う。
今まで知らないことを知っただけでは、新しい自分にはならない。
今まで分かっていなかったことを分かるようになると。新しい自分になる。

自分で考えること。

知ることは簡単に出来るが、分かることは自分で考えないと出来ない。
本を読んだだけ、話を聞いただけ、映像を見ただけ、説明を聞いただけでは、単に知っただけ。
それを自分で考える、感じる。
体感する。

それがないと、幾ら勉強しても面白くないですよ。
自分が変わらないから。

プレ・インベンション 小フーガ1番

読了までの目安時間:約 4分

先月末くらいからピアノの練習を始めました。( 詳しくは >>> )
ブルグミュラーの練習を始めていたんですが、名古屋のピアノの先生の患者さんと話をしていて状況が変わりました。


荒木さん プレ・インベンションが良いですよ。


プレ・インベンション!?
初めて聞きました。
インベンションの楽譜を買ったと名古屋の生徒さんに聞いた後でした。
だからインベンションは聞いたことがあるけど、プレ・インベンションは初めて。
インベンションを調べたら、なんとグールドが弾いているのをいつも聞いていることに気が付きました。
こんなのが弾きたい。
と思っていたところです。
プレ・インベンション。
良さそうです。
CD付きの楽譜を買いました。
そして練習です。
今のところだいたい2週間位練習していることになります。
これが全然。
最初の8小節のところまでで止まっています。
難しい。


ここでふと思いました。
あああ、あの高校の時の先生は上手い具体にいたいけな青年をおだてて調子に乗らせて教えてくれていたんだ。
そんなことも露知らず、いい気になって、弾ける!俺ピアノを弾いている!なんて思っていたようでした。
エリーゼのためには入門としてはとても良く出来た曲だということに気が付きました。
右手と左手がおよそ交互に出てきます。
和音を弾く時は左右とも和音が多い。
右、左、右、と別々に弾いているような感覚。
それがプレ・インベンションの小フーガ1番は全く違います。
左手の旋律(メロディー)が終わらないうちに右手が入ってきます。
左右同時に弾くのはエリーゼと一緒なんですが、左と右でテンポが違ったりします。
例えば


右手 : タン・タン・タン・タン
左手 : タン・タタ・タアアアン


みたいな。


右手 : タン・休止・タン・タン
左手 : タン・タン・タアアアン


みたいな。
分かります!?
分かる人には分かると思いますけど。
違うんです。
左手と右手が。
当たり前だということは重々承知している訳ですが、そこがなかなか納得いかないのが、おじさんの悲しい性な訳です。
だってエリーゼ弾けてたんですよ。
あのベートーベン作曲の曲を一曲いっちょ前に弾けた訳です。
それが、プレ(!?)・インベンションの一番最初の曲「小フーガ1番」の8小節目まで、何となくつながるのに2週間です。
なんかこう情けないというか、笑えるというか。
まあ、この歳になるとこういうことが意外に面白くなるのが面白いんですけどね。


8小節に2週間。
19小節くらいある曲なので、だいたい倍くらい時間が掛かるとして、1か月。
プレ・インベンションは56曲ある楽譜なので、4年半位かかるのではないかと思っております。
ま、全部やらなくても良いとは思うんですけどね。
小フーガが弾けるようになって、見せられるようになったら動画でも撮ろうかしらん。

8月8日踊ります。

読了までの目安時間:約 4分

神楽坂セッションハウスで開催されるシアター21フェスというダンスパフォーマンスがあります。
今週末、そこで踊ります。




R50 Projectというユニット名で出ることにしました。
今回は企画構成などは任せて、踊ることだけにしました。
もちろん作品創りには協力して、自分自身のソロパートや位置や関係性などについては意見を出しました。
男が二人で踊ります。
そこに男性がパーカッション(カホン)で参加。
生の臨場感と緊張感が出たら良いなと思っています。


それにしても。
と思いますね。
カンレキを超えたのは数年前。
客観的に見てこの年齢で踊っている人がいたら、変な人と思うかもしれません。
同年代からはそう見られるのが普通でしょう。
自分がやっているから、これが普通だなんて言えませんね。
でも、もっと若い年代から見ると、変な人というよりはスゲエなというイメージかもしれません。
そこの微妙なところが時代の変化なんだろうと思っています。


ダンスにかこつけて言う訳ではありませんが、5年位前から少し時代が動いていると思います。
大きく。
大きく変わっています。
色々なことを聞いたりもします。
例えば有史以来、西暦2000年までの間の情報量と、2015年くらいまでの情報量は同じくらいだと言う話。
似たようなことを別のところでも聞きます。
AIやロボット技術の革新進歩で、人がやらなくても良い仕事が増えて来ると言われてきました。
今までは言われてきたと過去形で話が出来ましたが、今は既に変わっている時代だと思います。
知らないうちにレジ打ちは人ではなくなりつつありますし、労働集約型の仕事も機械化がどんどん進んでいます。
LGBTや性差による人権の問題。
人権の問題は人種だけに留まらず、仕事や年齢などでも変わって来ているように思います。
今まで普通、と思っていたことをよくよく考えてみると、こりゃおかしい変だということが増えてきました。
昔々、家にはお母さんがいて、お父さんは外で仕事をしてお金を稼ぐ人でした。
この価値観は既に変わってしまったことは、周知ですね。
同じように、どんどん価値観や現実は変わっています。


ナンカ話がでかくなってしまいました。


ずいぶん時代が変わったなと思ったって話です。
でもそれって、本来の姿に戻りつつあるとも考えられます。
皆、やりたいことをやらなかったりやれなかったりするのは、常識と思われていたことのせいだったりするかもしれません。
でもその常識っていつまで常識なんだろうと疑った方が良いと思います。
そんなのすぐに陳腐になる。
やりたいことはやれば良いと思います。
もちろん人に迷惑を掛けないように。
てことで踊ります。
年なんて関係ない。
いや関係はある。
体は年を反映してますからね。
でも、頭で描いていたような老人の体かどうかは分かりません。
現実の今の自分の体がどうなっているのか、実感をしながら動かすことが大切だなと思ったりします。


今日は何の話か分からなかった。
まいいか。

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