久しぶりのレッスンで足裏が攣った話
まあいろいろありまして、久しぶりにダンスレッスンに行きました。
約一ヶ月ぶりのセッションハウス松本クラスです。
20分くらい前には着替えをして、ウォームアップを入念にというか出来るだけやってレッスンには臨みました。
最初はフロアでのエクササイズ。
さまざまな関節や筋肉を動かし、コーディネートするように出来ています。
途中、仰向けに寝て両膝を天井に向け、足先を伸ばします。
そこからフレックス(足首を曲げ)して踵を押し出すようにします。
フレックスのままターンアウトをしたら、そこから足先を伸ばしてポアントにしてく。
ここで攣ります。
足先を伸ばしていくと、足裏が攣る。
以前は左足裏でした。
ほとんど必ず攣るようになっていました。
たぶん、10年くらい前までは攣らなかった。
ここ10年くらいの事だと思います。
アラフィフが過ぎた頃からですかね。
いや、歳のせいとは言いません。
ストレッチ不足だと思っています。
それが、今回は両足裏でした。
まいりました。
両脚裏が攣ると使えなくなる。
指を曲げたり伸ばしたり、ポアントを緩くしたり伸ばしたり。
レッスンは進んでいくので仕方ないです。
左足裏が攣るようになっていた時は、左脚裏(ハムストリングス)などが硬く短く伸びない状態でした。
股関節も開きづらい。
若い時に故障した事があるのが遠因かと、屁理屈つけて言い訳したりしています。
今回は久しぶりだった事もあり、両脚がストレッチ不足で硬く短く伸びない状態だったんだろうと思います。
気をつけないとね。
ご同輩。
がんばりましょう。

トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代
映画を観てきました。
トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代
小学校の時に「帰ってきたヨッパライ」
中学で「あの素晴らしい愛をもう一度」
高校生で「タイムマシンにお願い」
どの曲を聴いた時もびっくししたような、聞き惚れたような、グッと心を持って行かれたような気持ちになった。
で、口ずさむ。
小学生が口ずさむ帰ってきたヨッパライは、相当に面白い。
酒は美味いしネェちゃんは綺麗だっ! っふあ ッふあ っふぁふぁ〜 ?
テレビや雑誌で見る加藤和彦さんは恐ろしく格好良かった。
最先端の先を行くような、今見てもおしゃれで、しかもそれが身についていて普通に見える。
普通に格好良い。
そういう生まれというかそういう人のように見えた。
60代になってアルフィーの坂崎さんとなんかフォークソングみたいな事またやってる、と思っていた矢先だったと思う。
自殺。
あああああぁぁぁぁぁぁ
って感じだった。
残念というか、どうしてなんだろうと思った。
60代で自死を選ぶというのは、アフラフィフの自分には理解出来なかった。
今でも本当に残念で、悔しい。
マイケルジャクソンもそうだけど、80代になった時を見たいと思う人が亡くなる。
ああ、寂しい。
その加藤和彦さんの映画です。
インタビューが多く映画としてはどうなのかなと思う部分もありますが、この時代を生きたものとしてはとても面白く観ました。
もう一度観るかもしれない。
泉谷の(失礼、どうしても敬称つけて呼べない)「春夏秋冬」の後ろに加藤さんが居たのは聞いたことがありましたが、そのほかの歌も後ろにいたとは知りませんでした。
結局、加藤さんの世界が好きだったんだと思います。
そしてサディスティックミカバンド最高です。
・トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代
https://www.tonoban-movie.jp/#modal
メイドインジャパンがまだ粗悪品の代名詞のように言われていた時代、1ドル300円の時代にUKツアーを成功させた加藤さん。
当時のUK音楽番組での映像が恐ろしく格好良いので、貼っておきます。
久しぶりに最近の話など
4月24日で整体スクールの名古屋教室を閉めました。
翌々日の26日、部屋を引き渡しました。
名古屋教室の最初の授業は2008年だったので、16年間は通っていた事になります。
最初は父が他界して一人になった母のところに、月に一回くらいは顔を出すもんだと思って名古屋に仕事を作ろうと始めました。
始めてみると名古屋の生徒さんは東京とは少し違う印象がありました。
月に一回だけ集中してという授業の受け方も影響しているのか、それとも地域性なのか分かりません。
開業率で言えば東京の倍近い開業率だと思います。
整体院だけではないですけど、ピラティスインストラクターやパーソナルトレーナーなどのスキルとしても使ってもらっています。
いや、今日はそういう話じゃなかった。
寂しいかなと思ってましたけど、そんなにすごく寂しくはありませんでした。
部屋を引き払っても、来月以降も継続して名古屋にいくからかもしれません。
それとも元々、感情があんまり昂らない性格なのかもしれません。
部屋の片付けも淡々とやってました。
卒業生が毎日来てくれて、掃除や中のものを引き取ってくれたり、お土産まで頂いたりして、助かりました。
ありがたい。
石川県から日帰りで来てくれた人までいて。
いや、今日はそういう話じゃなかった。
2月3月とかなり大きな事件というか事が起こっていて、母の入退院の後に、埼玉に引っ越しをして一緒に暮らすようになり、名古屋教室を引き払いました。
思い出してもどんな風にやってたんだか、いつ決断したんだか良く分かりませんが、いろいろと決断して行動していたようです。
どうも人ごとみたいな感覚がありますが、それは気持ちが膨張して手に余る事がないように、そんな風に頭が対応しているのかもしれません。
人の頭は面白いもので、大きな怪我をしたら痛みを感じない事があったり、嫌なことは積極的に忘れるようになっていたり。
私の場合は感情の起伏を少なくするような何かが働いている気がします。
幼稚園の頃から落ち着いた子供だったみたいなところがあります。
ただ良くないなと思う部分もあります。
感情の起伏が少ないためか、実感が伴いません。
最近は特に実感が伴わないので、時間を作って実感する時間を作ったりしています。
ちょっと間を置いて、音を聴いたり、体を感じたり、歩いてみたり。
つい、日々のタスクをこなす事を優先して、考えるのをやめて体を動かす時間が多くなりがちです。
連休が始まります。
連休は予約があまりありません。
時間があるので、溜まった経理仕事をしようと思っています。
それと、来月以降に始まる事になった、インストラクター向けの解剖学講座の内容を考える。
解剖学は解剖学なんだけど、インストラクターの方々に必要で聞きたいであろう事を交えたいので、何を取り上げるか考えておきます。
こういうのは楽しい作業です。
それと、散歩。
久しくゆっくり散歩が出来ていないので、時間をとってどこかに行きたいと思っています。
でも混んでるから連休が明けてからかな。
動画も撮らないと、というか編集しないと。
1年以上毎日上げていたので、ちょっとネタ切れな部分もあります。
もう少し軽い内容の話を毎日上げられればと思うんですけど、つい考えてしまいますね。
それと体を感じる講座を企画したい。
ダンス忘れてた。
セッションハウスのダンス学校で平原さんのクラスを受けます。
これは楽しみ。
ちょっと落ち着いた。
少しずつ落ち着いて行きます。
よろしくお願いします。
” processing and tuning “
" processing and tuning "を観てきた。
ダンサー 仁田晶凱(にたあきよし)さん
ジャグラー 目黒陽介さん
小説家・デザイナー 山本浩貴さん
三人による公演でした。
素敵な作品でした。
仁田さんのダンスは以前”シシオドシ組曲”を観たが、その時の印象とは違い新鮮で不思議で安心で納得の時間空間でした。
シシオドシの時の仁田さんは洗練された体が作り出す美しく儚く力強い動きを全面的にコントロールしながら、現代音楽の生演奏で動いていました。
今回はダンス作品というジャンルからはみ出て、試みの世界観を見せてくれました。
仁田さんには演出意図があり、それが具体化されたんだろうと思う。
リハーサルは打ち合わせの時間が多く取られ、話し合いの中で少しずつピースが出来てきたような事をおっしゃっていました。
だから、三人三様の仕方で、それぞれの共通する今回の世界観や雰囲気や意図や方向に向かっていたように思います。
それとは別に私が感じたのは、今回の公演は、今の時代・現代を表象しているように感じました。
創ろうとして出来たのではないと思いますが、今までのダンスや劇やジャグリングや芝居や公演や作品を、意図的に分解し解体して、再構築していっているような印象を受けました。
それが端的に現れている部分もあり、また全体がそうなっているような気がしました。
似たようなアプローチの作品の”部分”は観た事がありましたが、全体を眺めてそれが思われる作品に出会ったのは始めてでした。
このスタイルとかこの演出とかこの構造と言えませんが、そういうアプローチが今の時代を見ているようでもありました。
完成されていると思われていたものが、実はそうでなくても成立する可能性がある。
今までとは違う組み合わせや取り合わせもあるみたいな事で、新しい業態や方法や制度が試行錯誤されている。
processing and tuning という題名がそれを表しているんだろうかと、終わってからグーグル翻訳で意味を知って思いました。
なんちゃって。
帰り道にいろいろ考えました。
考えながらニヤニヤ出来るのは、好きな作品で良い作品だなと思います。
仁田さんのダンスはやっぱり洗練されていてクリアで雑味がない。
格好良いなぁと思います。
目黒さんは声が素敵でした。
ジャグリングが本業との事でしたが、声の仕事もやってるのかと。
山本さんの紡ぎ出す言葉は、言葉の持っている意味だけでない世界を見せてくれました。
テキストが生身の人間と対峙していました。
4月14日までやっているそうです。
三鷹の駅から3分のSCOOLという場所です。
時間がある人は観ると良いですよ。
・processing and tuning >>> https://scool.jp/event/20240409/

船越桂
ふなこしかつら
彫刻家
昨日、3月29日に72歳で亡くなられたらしい。
ご冥福をお祈りいたします。
船越さんの作品を見たのはもう、20年近く前になります。
確か清澄白河にある東京都現代美術館でだったと思う。
初期からの作品が並んでいる中を、ゆっくり歩いて見ていくと、ちょっと振り返りたくなる事があった。
「 おいっ。 」
???
声をかけられるような不思議な感覚のある彫刻たちだった。
椅子に座ってピアノを弾いている人や、マフラーをした女性の胸像など。
初期の奥様を彫ったものも良かった。
途中から最近の作品につながるような、肩に小さな家が乗っている作品などもあり。
微妙な違和感が良い印象だった。
10年近く前になって松濤美術館でも見た。
その時は他の作家さんたちも作品を出していて、三沢厚彦さんなども出ていたと思う。
ここではスフィンクスのシリーズがあって、これは個人的にはあまり・・・という印象。
その少し前に練馬区美術館でお父様の船越保武さんの展覧会を見たことがあり、桂さんの作品に保武さんの影響があるんだろうと思ってしまいました。
それにしても72歳は若い。
スフィンクスの次の展開を見て見たいと思っていました。

志ぐれは蛤ではなくアサリ派です。
三重県四日市の出身です。
でも高校は桑名高校に行っていました。
「その手は桑名(の焼き蛤)」の桑名です。
志ぐれ=時雨煮という食べ物がありまして、佃煮的なもので、ひょっとして同じなのかもしれませんが、東京の佃煮とは全く違う、と個人的には思っています。
中でもアサリ志ぐれが好きです。
でも実はもっと好きなのがありまして。
しばくら
です。
しば+くら=しばくら
しば漬け+キクラゲだと思います。
これが好きですね。
そして、伽羅蕗(きゃらぶき)も好きです。
最近は塩分を気にして、食べる量が気になりますが、好きです。
高校生の頃はご飯を何杯も食べていましたので、最後の方はおかずがなく、伽羅蕗や志ぐれでお茶漬けってのが多かったです。
毎月、実家のある四日市に帰ると、貝新さんで志ぐれを買います。
新左衛門さん。
貝新さんは幾つかあるようで、先代だか先先代だかは同じだっものが分かれたようです。
東京でも買えますが、若干味が違うような気がしています。
佃煮に似せているんだろうかと思いますが、私は三重に売っている貝新の志ぐれが好きです。
名古屋に来ています。
正確には三重県四日市に来て名古屋に来ています。
四日市は実家です。
昨夜、実家につきました。
帰ってきたと言うんでしょうか。
最寄駅から実家に向かう道すがら、不思議な感覚になりました。
2月末に実家から母を埼玉の自宅に連れてきました。
なので実家には今は誰もいません。
誰もいなくなった実家に最寄駅から向かっていると、実家に”帰って”来たのか、実家に”行く”のか分からなくなりました。
いや、同じ事でしょう。
帰るも行くも。
でも帰るだと、誰かがいるような感じがします。
今は誰もいない。
誰もいない家に行くのは、帰るのか行くのか。
ま、どってことないですね。
そんなこと。
でも、意外に気になります。
気になって、なんだかなと思います。
なんだかなは、特に悲観的でも楽観的でもない感覚です。
なんだかなです。
今日から名古屋で整体スクールと整体院の仕事です。
これもまた不思議な感覚です。
母と暮らして10日間 老化と病気について考える
母と暮らして10日間
老化と病気について考える。
ちょっと長いです。
47年ぶりに母と同居を始めて10日が経過した、
47年前は父と弟と妹がいて母と5人で暮らしていたが、今回は場所も三重県から埼玉に変わり家も若干狭くなり、妻と母と3人で暮らしている。
何よりも40代だった母は90代になり、10代だった自分は60代になった。
2月に母が三重県の病院に緊急入院して2週間で退院し、10日経って埼玉に引っ越してきた。
実家はまだそのまま、だけど母とは同居が始まることになった。
三重で担当してもらった医師も、埼玉に来て担当してもらっている医師も同じような話ぶりで、同じような内容の事を言う。
データが同じなんだからそう言うことになるんだろう。
このところの母の様子。
朝、7時過ぎに部屋に入ると、布団からチラとこちらを見て微笑む。
もう着替えとるんやで。
ちょっと寒いからな。
どこかにつかまりながら、のそのそろ起き出して、テーブルの上の水を少し含むとトイレに行く。
長いなぁと思う頃に出てきて椅子に座る。
今日はなぁ2時と4時と6時に起きて、よう寝たわ。
ああ、幸せ。
と言いながら、ぼんやりする。
認知症の症状は全然ない。
普通に話が出来て、普通に記憶も正しい。
少し耳が遠い印象があるが、それも声を少し大きくすると伝わる。
引っ越しをして来てから、役所に行ったり病院に行ったりで、午前中は外出する事が何度かあった。
帰ってくると、ちょっと疲れたと言って横になる。
すぐグウグウ小さなイビキをしながら寝る。
30分前後横になっていたと思うと、目を開けて、よう寝た、という。
起きて椅子に座り、数独やナンプレなどの書き込むクイズをやっている。
ボケたら面白ないからな。
施設とか入るの嫌やし。
引っ越しの前もこちらに来てからも、来訪者が多い。
周りの人に愛されて来たのが本当によくわかる。
誰かが来るとひとしきり話をする。
少しずつ調子が乗って来て、10年ほど若くなったような話ぶりになる。
終わって帰ると、ちょっと疲れたと言ってまた横になる。
すぐまたグウグウ軽くいびきをかいたりしながら、20分30分寝ている。
目を覚まして、水を飲みトイレに行って低い椅子に座る。
人が来たり、どこかに出かけたりすると、1時間に対して1時間は横になって休む。
バランスをとっているのか、それが今の体の自然なのかと思う。
食事は3食きちんと食べる。
少し量は減っているが、ダイエットをしている20代よりはよっぽど食べている。
おかずを箸で小さく刻んで口に入れる。
パンはちょっと硬いなと言いながら、紅茶に浸して美味しそうに食べる。
ああ幸せ。
私、本当に幸せやわ。
お嫁さんと暮らすと大変やって聞いてたけど、全然優しくてよかった。
血圧を測り体重を測り、塩分に気をつけて調味料を減らしている。
三重の医師も埼玉の医師も同じような内容を話す。
心不全の症状は薬で良くなっているが、いつまた何が起きるかわからない。
心臓の器質的な問題は悪くなる事はあっても良くなる事はない。
三重の医師に入院1週間目に母と最初に説明を聞いた時は、5年生存率の話が最初で、この病気は悪化をしていって入退院を繰り返すという話が最初で、でも手術や様子を見ながらという人もいるというような話をされた。
埼玉の医師も似たような内容で、心臓の気質的な問題はかなり重篤で重症に分類される。
開胸手術は年齢的に危ないので、カテーテルの可能性はある。
手術しない場合は?と聞くと、ピンピンコロリで突然死、あるいは突然意識がなくなるとか突然苦しくなるとか、または入退院を繰り返すことになるというような話を、母の目の前で開口一番に話をしていた。
さすがに動揺した母が涙すると、少し話ぶりが変わって、手術しない場合はかかりつけ医を見つけていくのか、入院が可能な総合病院を探すのか、訪問医療を考えていくのか、いずれにしても自分が責任を持って一緒に考えますという話になって来た。
老化と病気について考えた。
母は病気なんだろうか。
確かに心臓の器質的問題は、問題としてはかなり重篤だろうと思う。
しかし、とも思う。
人は年を取ればシワになる。
シワが深い人が病気だとはあまり思わない。
骨が変形する人もいる、というか高齢になれば全員が骨は変形している。
では、骨の変形は病気なのか。
確かに膝に痛みがあって歩けなくなったりした場合、骨の変形が原因なら、それを病気として人工膝関節に置換する事はある。
心臓についてもそうなんだろう。
器質的な問題があれば、それを病気として置換する何かを入れる。
難しい問題のような気がする。
年齢を受け入れて、そのままにする判断はあるんだろうと思う。
今の母の生活ぶりを見ていると、今の自分の心臓で生きていけるような生活のように見える。
いやいや突然なにが起こるか分かりません、という医師の声も分かる。
でも今の生活が今の彼女の体に合っているような気もする。
生きるってどういうことなんでしょう。
*****************************
この文章はSNSに書いたものです。
医師が気に入らないとは全く言っていません。
きっと正しいと思います。
それは分かった上で、話ぶりに忸怩たる思いが湧きます。
それもまた仕方がないと思います。
母は病気なんでしょうか。
老化は病気なんだろうか。
でも、少しでも良くなるんだったら、文明を利用しない手はないとも思う。
実家案件 顛末
2週間ほど前に書きました。
実家の母が入院し退院しました。
その顛末について。
母の病名は心不全。
肺に水が溜まった状態でした。
その状態はなくなり、今は埼玉の私の自宅で一緒に生活を始めました。
47年ぶりの母との同居です。
47年前は40代だった母も、今は90代になりました。
こちらも20歳前だったのが60代になっています。
入院から退院までが2週間。
この間に退院後には実家のある三重県から、埼玉に移動(引越し)をして一緒に暮らす事を決めました。
2月は日帰り1回と車往復1回を含めて、5回三重県と埼玉を行ったり来たりしました。
退院の手続き、転入転出の手続き、ご近所さんや親戚一同に報告と挨拶をしました。
妹とカミさんを大いに頼りながら、やる事をやって来た感じです。
転入が済み、これからはこちらでの病院を決め、介護や看護の手続きなど始まります。
これも妹やカミさんの手を借りて行う事になります。
優先順位を考えました。
整体スクールの授業を何度かお休みにさせてもらいました。
患者さんの予約調整も数回お願いしました。
大変申し訳ないと思っています。
でも、これが出来るために自分で仕事を始めた部分もあります。
たぶん会社員だったらここまで我が儘は出来なかったん ゃないかと思います。
申し訳ないなと思いながら、母の事を優先させて頂きました。
スクールや患者さんの優先順位が低いという訳ではないんです。
ただ、こんな時に自分の時間を自由に出来なければ、自分で仕事をしている意味がないとも思いました。
今日から3月です。
母は近くにいます。
迷惑をかけた整体スクールと患者さんに恩返しを始めます。
てあて整体スクールでは生徒さんを募集しています。
90代の母にも出来る整体です。
安心の手技で整体師になって下さい。
【ダンス専科】への道 荒木靖博65歳 〜断念〜
暫くぶりです。
別の投稿でも書いて居るので気づいて居る人もいると思います。
4月6日の【ダンス専科】への参加やめます。
本当に残念で申し訳ない。
残念なのは自分。
申し訳ないのは振付や作品作りをしていただいて居る松本大樹さん。
そしてセッションハウスやその関係者のみなさん。
と、一緒に踊るはずだった仲間です。
申し訳ない。
2月3日に母が倒れ緊急入院しました。
17日に退院できて状態は良いんですが、92歳と言う年齢もありで、今月末から一緒に暮らすことになりました。
母は三重県、荒木は埼玉県。
転居や移動や手続きで仕事もきつきつの状況です。
ダンスなんかしてられないとは思いませんが、時間が取れないのと予定が組めない。
と言うことで断念しました。
これも65歳と言う年齢で踊って居る者につきものなのかもしれません。
介護や看護や両親や家族の諸々ことが襲ってくる。
仕方がありません。
今は母のことを考えて、落ち着いたらまた復帰することにします。
セッションハウスの伊藤さんに出られなくなる事を伝えたメールで、また行きます、ダンスがないと生きていけないのでと書きました。
大袈裟ではなく、そういうものってあるんじゃないかと思っています。
65代のダンス。
楽しみにしてた人がいたらすみません。
でも次は必ずあります。




