今年はどんな年でした?
12月ですね。
今年はどんな年でしたか?
そろそろ
いろいろとあったなぁと思い浮かべる季節になりました。
個人的に今年一番のトピックは還暦だろうなと思います。
60歳。
自分が60歳になるなんて信じられないことでした。
信じられませんが確実に60歳です。
来年は61歳。
ますます信じられません。
そして整体スクールが15年目になりました。
整体院はもうしばらくで20年になります。
恐ろしいことです。
あはは。
いや、ありがたいことです。(汗)
ありがとうございます。
本当に皆さんのおかげと思っています。
ホントですよ。
これくらいやって来ると、本当のことが分かります。
本当に皆さんのおかげで続けられた。
自分の技倆は普通だと思います。
劣っているとは思っていないし、それほど優れているとも思いません。
普通、整体師ならこれくらいだろうと思います。
それがここまで続けられたんだから、間違いなく来てくれた人のおかげですね。
整体スクールもそうです。
整体スクールについては少し別の感情もあります。
指針整体はやっぱり素晴らしい。
教えている荒木よりも指針整体自体が素晴らしいので、続けてこられたと思います。
そして卒業生がちゃんとやってくれている。
そこもポイントだろうと思います。
悪い噂とか変な話がないこともあったかと思います。
安全ですから。
そして安心。
やってて安心、受けて安心というのはやっぱり良いですね。
強押しが悪いとは思いません。
でも経験が少ないと危険なこともあります。
でも指針整体にはそれがない。
トントンと軽くリズミカルに刺激するだけですから。
だけですって所は強調しますけど、逆にそのだけですってのがポイントでもありますね。
今年は男の厄年でした。
厄年っていうのはそれなりにありますね。
体の変化と社会的な位置というか役割の変化がある年齢なんだろうと思います。
思い当たるフシがあります。
体調や考え方が少し変わって来ます。
でも来年はそれが開けます。
落ち着くってことでしょうか。
馴染む感じなんでしょうか。
新しいステージに立つことになるんだろうと思います。
そう思って楽しみにしています。
今年はどんな年でしたか?
来年からはどんな年にしますか?
12月はそんなことを考えたいと思います。
「グレイヘアの美しい人」と脳の性質
友人が『グレイヘアの美しい人』という雑誌に写真など掲載されたらしい。
まだ見ていないので確認はできてませんが、確かに美しい人です。(笑)
その友人と話をしていて驚いたことがあります。
50代の友人は髪の色で60代に見られることがあるようです「。
友人は殆ど真っ白な髪ですが、年齢よりも間違いなく若く見えます。
患者さんにも70代の白髪の女性がいますが、実年齢よりも若く見えると思います。
グレイヘアや白髪は若く見えるものだと思っていましたが、一般的にはそうでもないらしい。
たぶん習慣的な思考というレッテルで見てしまうのではないかと思います。
グレイヘアや白髪を見ると、お爺さんお婆さんというイメージがあるんでしょう。
実際に見えているもの以上に年配に見てしまう人がいるのではないかと思います。
習慣的な見方は判断を素早くするために、悪いことではないこともあると思います。
ただ、習慣的な見方や思考ばかりになると、そのもの自体を見ないことにもなりかねません。
着ているものや話し方を見聞きしてその人を判断するようなものです。
人の脳には整合性を取ろうとする習性があると脳科学の本で何度も読みました。
辻褄を合わせるんですね。
以前も書きましたが、65歳以上の人を集めてした実験があります。
10の単語を書いた紙を渡して、1時間後にどれだけ記憶しているか聞くというだけの実験です。
全員、65歳以上の人を幾つかのグループに分けて、あるグループには「記憶力のテストです。」と行って紙を渡し、別のグループには「心理学のテストです。」と言って渡します。
結果は「記憶力のテストです。」と言って渡したグループの方が、平均点が悪い。
覚えられないんです。
これは、歳を取ると記憶力が悪くなるという一般的に信じられている事が原因のようで、記憶力が悪くなるはずだという考えに脳が辻褄を合わせてしまう、整合性を取ってしまうようです。
白髪やグレイヘアは年配のイメージなので、それに辻褄を合わせてそう見えてしまう。
そう言う事なのかもしれません。
錯視というのもそう言う感じなのかもしれません。
自分の感じ方や見方は何かに辻褄を合わせた結果ではないのか。
何かに整合性を取ろうとしていないか。
グレイヘアの美しい人から考えてしまいました。
メンクイ
メンクイです。
面食い。
ではなく。
麺食い。
今日、地元、大泉学園に丸亀製麺が出来たので食べて来ました。
一応ね。
食べとかないとと思いまして。
はい。
美味しかったです。
かけうどん(並)にかきあげです。
確かに讃岐の味。
お粉が讃岐だと思います。
うどんは粉ですから。
丸亀製麺とは言え丸亀にはないようです。
そこんところはどうなんだろうと思いますけどね。
思いますけど、それほど気にはならないと。
ま、名前ですから。
それにしても、かきあげがでかい。
最近のかきあげはでかくなっているようですが、それにしてもでかい。
半分くらいでも大丈夫です。
おじさん的には油がね。
あと、(並)があるんなら(小)もあっても良いかなと思います。
おやつに食べられますから。
ではここが個人的ナンバーワンかと言うとそうではありません。
個人的ナンバーワンは「かるかや」さんです。
こちらは西武池袋店屋上にあります。
屋上庭園がお洒落にリニューアルした時に生き残りました。
そりゃそうです。
旨いんですから。
先日食べたのは、たぬきにキツネをトッピングです。
キツネにたぬきトッピングではありません。
そこんところ重要ですね。
そして並こちらもです。
(小)はなくてよろしい。
だって小だと物足りなくなるから。
こちらは地下の売り場で手打ちをした麺を屋上店舗で販売しています。
だから食べるのは外。
屋根はあったりしますけど、基本的に外です。
それにしても旨い。
うどんは粉だと思ってまして。
あっさっきも書いたか。
粉の味が本当に旨い。
打ち方も何かあるんでしょうが、微妙に軽いコシがも良いし、太さが不揃いで噛みごたえがあるのも良い。
ま坊主憎けりゃ袈裟までの逆で、旨いんだから何でもOKと思えてしまいます。
旨いですよ。
是非一度。
ドラフト会議
ドラフト会議と言うのがありますね、プロ野球の。
あれがどうしても嫌いです。
昔、子供の頃の見た西部劇の一場面を思い出す。
西部劇と言うのはアメリカの昔を扱ったTVや映画の番組で、日本でいう時代劇みたいな感覚でしょう。
馬に乗ったカウボーイがアメリカの東海岸から西海岸へ、どんどん開拓という名の侵略をしていく。
インディアンと当時呼ばれていたネイティヴアメリカンを駆逐して行く。
そんな中で奴隷(主に黒人)の売買をする場面がありました。
丸テーブルに三四人の白人が座っています。
壁には売買される(⁉︎)奴隷が順に並んでいます。
気に入った奴隷に値段をつけて買っていく。
そんな場面です。
ドラフト会議がそれに見えて仕方がない。
年端もいかない子供を大人が寄ってたかって、どこが話をするか決める。
本人がどこに行きたいかは、表明は出来るけれども決定権はない。
拒否すると一定期間はどこにも入る事は出来ない。
憲法にある職業選択の自由や独占禁止法や談合など、考えれば考えるほど可哀想になってくる。
自分の志望する先から拒否されて行けないのなら仕方がない。
でも自分の志望しない先に対しては、拒否すると他に行けなくなってしまう。
こんなのアリ!?
大金もらって好きな野球が出来るんだからイイじゃないか。
そんな風に言う人もいます。
本人達もドラフト制度の中に生まれ育っているので、最近は違和感はないように見えます。
ソウイウモノダ。
世の中はそういう風に動いている。
野球界では自分は"与えられた中"で頑張る事が大切だ。
これってよくよく考えると変でしょう。
自分の行く先は自分で選ぶものだし自分で決めるものです。
相手から拒否されたら諦めるかまた頑張るか。
そう言うものでしょう。
考えているとどんどん苛立ちます。
だからドラフトが嫌いです。
何故男は二日酔いになるまで飲んでしまうのか。
先週末、大阪のセミナーから京都に移動。
アレクサンダー・テクニークの国際組織の総会に出席するためでした。
総会の様子は別に書くことにします。
それよりも総会を3日で失礼して京都で一泊。
こっちの話を書いておきます。
総会は日曜日までで、翌月曜日は軽く京都散策をして名古屋方面に移動の予定でした。
宿は五条ゲストハウス。
何度か泊まったことのある町屋を改装したゲストハウスです。
日本人は殆ど泊まっておらず、海外からのバクパッカーのような人たちが殆どの宿です。
畳の部屋に雑魚寝のスタイル。
仕切りは天井から薄いカーテンのようなものが掛かっているだけ。
一階は昼間はカフェになっていて、キョート〜って感じです。
とにかく安くて雰囲気が良いので気に入っています。
総会のあった嵐山から五条に移動。
途中でラーメンを一杯食べて宿に向かいました。
ひと段落して銭湯に行きます。
ゲストハウスにはシャワーはあるけど風呂はない。
近くに銭湯が何軒かあるけどので、以前もそこを利用しました。
京都の銭湯は熱いイメージだったんですが、今回はそうでもなかった。
旭湯で汗を流した後、五条の橋のたもとにある efish って店でギネスを頂きました。
ここで宿に帰れば平和でした。
外に出たらまだ10時を少し過ぎたばかり。
そう言えば 寺町のサンボアまで歩いて行ける。
一度は行ってみたいなと思っていたバーです。
こんな機会はないしな。
行ってみるか。
鴨川へりを歩いて15分ほどで到着。
入ると先客が3人。
旅行者のような男女はすぐに出てしまい、ショートカットで着物を男風に着ている女性が一人。
男風にとは細い男の角帯を貝の口に結んでいたと言うことです。
取り敢えずウォッカトニックを飲んだところで帰れば良かったんだろうけど、ちょっときついのが飲みたくなった。
そこで竹鶴ストレートをお願いしたら、どうも酔っ払っている様子のマスターがトリプルくらいも注いでくれてチェイサーなし。
ちょっと試されたのかもしれない。
そろそろ帰ろうかと思うがタイミングが悪い。
お客さんが一人になっちゃうからね。
しょうがないので竹鶴ロックを注文してぼんやりしてたら、また別の二人づれが登場。
ここでサンボアを後にしました。
マスター、エエ感じのおっちゃんやったなぁとか思いつつ、今度は花見小路を歩いて戻りました。
夜の花見小路はこれもまたちょっとエエ感じ。
せっかくだから薄い酒を一杯飲んで寝ようと、角ハイボールを買って宿に戻りました。
五条ゲストハウスの一階は営業中はカフェになっていて、夜は自由に使えるんです。
ガラガラと引き戸を開けると、外国人が3人静かに飲んでいる。
ここで何故か声をかけてしまった。
どうしてなんだろう普段なら絶対にしない行動です。
メアイジョイン?
オフコース!
いろいろな話をしました。
途中で女性が部屋に戻った後からペースが上がったような気がします。
名前は何だと聞かれ「あらき」と言うと、「何!ハラキリ! 何でハラキリなんて名前なんだ!」って話になり。
いろいろ聞いていたらフランス語は「H」を発音しないので、「HARAKIRI(ハラキリ)」は「アラキリ」と発音すると分かり納得したり。
日本のアニメを聞かれて全然知らず、どうしてなんだ!と騒がれ。
宮崎駿さんの作品で好きなのは何だと聞かれ、「紅の豚」をネット検索で見せるとイェーイ!!!と抱きつかれ。
とにかくアニメ好きのフランス男二人でした。
それにしてもよくコミュニケーション出来たなと思います。
英語は全然出来る方じゃないんです。
本当に。
いやホントウニ本当に。
気がつくと3時を過ぎてボトルが一本空いていたのでお開きに。
ハバナクラブと言うウィスキーを3人で空けてしまいました。
水も氷もなくです。
でまあ翌日は全く使い物にならず。
酷い二日酔いですな。
ウィスキーストレートでボトル半分以上飲んだ勘定になります。
昼過ぎまでトイレに行ったり来たりで、そのまま名古屋方面に戻って来ました。
彼らとの写真もありますが、確認していないので載せられません。
30代後半の男性二人はマックスとマリオン。
坊主頭にヒゲぼうぼう。
結構イイ体格のお兄ちゃんでした。
こんな経験は初めてでした。
いや本当に楽しい経験でした。
それにしてもそこまで飲まなくてもと思います。
イイ歳してなかなか大人にはなれまへん。
でもたまにはイイもんです。
二日酔い以外はね。
最近はどうですか?
先週末の踊りの筋肉痛が出ているにも関わらず、昨夜は久しぶりに神楽坂セッションハウスの松本クラスに行きました。
諸事情あって3ヶ月ぶりのクラスはやっぱりきつかった。
一つは振りが覚えられない。
全然てことはないんだけど、なかなか入ってこない。
始めてもらう振りは、体に入れるのに時間がかかります。
昨夜は順番だけは何とかなりましたけど、まだ体を使うとか表現するとかそこまでは行きませんでした。
体を使って表現しようとはしてましたけど、端の端までは使えてないし、表現までは程遠い状態でした。
人の動きを見ていて全然違うなぁ自分とと、凄いなと思ってみていました。
そして筋肉痛。
やってる途中から出てきました。
これはもう筋疲労ではなくてちょっとした損傷をしている感じがしました。
なんだかササクレだっている感じ。
でもまあいっか。(笑)
久しぶりなんだし、そういうもんだし。
筋肉痛は嫌いではありません。
筋肉痛になれるって言うのは悪いことではないと思っています。
筋肉痛じゃなくて体が重い動きにくいってのは嫌ですけど、筋肉痛で動くたびにギクシャクするってのは面白いし、動いていると必ず戻るし、自分の筋肉を感じることは自分を感じ確認するような感じもあります。
ま、変態です。。。
明日から関西方面に出張です。
毎月一回は名古屋に行っているんですが、今回はその名古屋の前に大阪と京都に行きます。
大阪はセミナーをやりに行きます。
京都はアレクサンダー・テクニークの集まりにお手伝いに行ってきます。
大阪セミナーは約半年ぶり。
関西に行くついでと言ってはなんですが、たまに時間を作って行っています。
整体スクールの名古屋教室を卒業した人が大阪でピラティススタジオをやっていて、私のセミナーや話を面白がってくれて、いつも場所の確保やお手伝いをしてくれます。
ありがたい。
全国どこでも行くんですけど、一緒に面白がってくれる人がいると、どんどん行きたくなります。
そして京都は3年ぶりだったかと思います。
3年前もアレクサンダー・テクニークの集まりでした。
暑い時期で時間があまりなかったんですけど、錦市場と鴨川っぺりを歩いて下鴨神社に行ってキャラブキを買って帰ってきました。
しかし暑かった。
錦市場で下鴨神社までどれくらいかナビを見てみたら、15分と出ていたので歩き出しましたけど、20分経っても30分経ってもつきません。
どうなってんだと思ってナビを見たら、車で15分と言う距離でした。
なんとなく地図が頭にあって、なんとなく15分でもつくのかなぁと思ったのが間違い。
で結局1時間以上歩いて汗だくでついた記憶があります。
今回はどこに行くか。
フェイスブックで友人に聞いてみたら、いろいろと紹介してもらえました。
詩仙堂を何人かが押していて、行ったことがないので行ってみようかと思っています。
そのあと来週は名古屋です。
名古屋では整体スクールの授業。
夕方からは時間があるので、ちょっと名古屋でもダンスクラスに行こうかと探してます。
コンテンポラリー・ダンスがあまり見つけられないんですが、最近になって以前のセミナーに参加してくれたたダンサーのインスタグラムから一つスタジオを見つけました。
清洲MDA。
どうなんでしょう。
動画を見ていると明らかに息子と同年代かそれ以下の人たちが踊っています。
ま、当たり前ですけど、同年代が踊っているスタジオはかなり限られているので気にはしないんですけど。
そこまで体力が持つかと言う問題もあります。
でもまあ筋肉痛は楽しいですからねぇ。
体が重たくなっていないことを祈ります。
ちょっと長くなって来ましたね。
でも暫くブログを更新出来なさそうなので続けます。
今月のスケジュールは何だか凄いです。
8日にクラニオのセミナーをやって、13日にスタジオパフォーマンスで踊り、14日にはNHK文化センターでアレクサンダー・テクニークの講座、18日には大阪でセミナーやって、19日から21日は京都でアレクサンダー・テクニークの会合、23日から26日まで名古屋で整体スクールの授業、28日には新宿でバレエ大学の講座第一回が始まります。
毎週土日月と整体スクールの授業もあって、整体の患者さんもやってます。
ちょっと詰めすぎた感じです。
儲かっててイイじゃない!?なんて言われますけど、正真正銘儲かってません!(笑)
いや本当は儲けなきゃいけないんですけど、それほど甘くないですね。
半分は好きで受けた仕事で、カツカツで続けています。
スクール入学生受け付けてます!
どんどん入ってきて下さい。
患者さんもセミナーもどんどん来て下さいね。
そうやって自転車状態で続けていきます。
まだまだ荒木からは聞き出せることが沢山ありますよ。
ダンスやバレエ関係の人はぜひお見知りおきを。
最近、時代と自分のギャップと言うかズレについて考えます。
以前、整体スクールの問い合わせが減っていると言う話を書きました。
てあて整体スクールのドメインの問題や検索エンジンの問題もあります。
でも自分が世の中とズレているんじゃないかと言うことについては色々考えます。
自分の整体の技術や知識がズレている感じはしません。
人間は同じだし積み上げたものがありますから。
ただ、今のこの自分の年齢は全く始めての経験です。
変な書き方ですね。
例えば50歳も40歳も経験していますけど、今日のこの日の年齢は始めての経験です。
そういう意味で自分がどんななのか、どんな風に見えるのか、どんな風に扱われているのか思われているのか、それが分かりません。
いやある程度は分かります。
でも、ネットを見ている人が、整体スクールや整体学校やセラピーの指導場を探している人が、荒木をどんな風に見ているのか見えるのか、ちょっとズレてるんじゃないかと思ったりします。
表現方法もです。
以前はテクニックや技術や知識の内容を紹介することで、そこに興味を持って来てくれる人が多かった。
でも今は技術や知識の紹介では人は集まりにくいようです。
どんな人になるかどんな世界が待っているのか。
そんなことを打ち出している方が伝わっているのかと思ったりします。
でもそこは定かではない。
そのあたりが少しズレているんじゃないかと思ったりしています。
でもね。
何だかもう少しでズレが解消するような気がしているんです。
意味はありません。
理由もない。
なんとなくです。
あえて言うなら、自分の年齢に自分が馴染み始めている感じがする。
厄年ってよく言ったもんですよね。
ある年齢は気をつけた方が良い。
それは体力的な問題だけでなく、実は精神的な問題や、自分と社会のズレの問題などを言っているんじゃないかと思うんです。
今年は本厄です。
来年は後厄。
再来年は明けます。
そういう年回りなんだろうと思います。
明日からの準備は済んでます。
大阪京都が長いので少し大きめの荷物になります。
重たいだろうなぁ。
まあでも京都を散歩出来るしイイカと。
そう言えば、あ、いや、ああ、続けようと思ったけど、ちょっと本当に長くなりましたね。
でもまあもう一つだけ。
清水寺でおみくじをずっと引いているんですが、ここ30年近く「大凶」「大凶」「大凶」「凶」と4回連続で「凶」の字を見ています。
こうなると「吉」の字が出てくるとちょっと心配になりますね。
どうしよう。
おみくじ引くかな。
ちょっと考えてます。
そう言えば詩仙堂って書きましたけど、建仁寺と無鄰菴も行きたいなと思ったりしてます。
あと仏光寺にあるカフェマーブル。
女子か!?って感じですけど、楽しめるところは楽しまないとと思ってます。
出張中にあまり更新出来ないので長々と書きました。
名古屋までたどり着いたらかけるかなぁと思ったりしてますが分かりません。
それでは。
踊りました。
一昨日の土曜日に踊りました。
Dance Experiment play four
今回はソロではなく4人組の踊りです。
もう30年以上前からの知り合い夫婦とうちのカミサンと自分の4人。
同じスタジオで一緒にレッスンをしたと言うことは殆どありませんが、同じスタジオですれ違っていたり、二人ずつが同じスタジオでレッスンしていたり。
中心となるスタジオは同じで、その周りにいつもいる仲間。
カミサン同士は後から分かったことですが、同じ大学の同級生で学部違いだったり。
4人とも同い年で今年還暦だったり。
住んでいるのも隣の駅で、子供達も年齢が近かったり。
そんな関係でダンスの先生をしているもうひと組の奥さんのクラスの発表会に客演させてもらったり、結婚式の披露宴的な会の進行を手伝ったり。
30代40代は劇場を借りて、ダンス公演的なことを一緒にやったり。
(これは4人じゃ無理なので沢山の方々に出てもらったりしたけど。)
そんな4人の作品で踊らせてもらいました。
テーマは還暦。
個人的には時代が呼んだ作品だなぁと思います。
還暦のダンスや還暦で何かを表現したり発表したりと言う人は沢山います。
でも見ていると今はまだ二極化しているようなきがする。
年寄りなのに頑張って踊っている、と言うのか、若々しい踊りを踊っている。
でも、今回のはそうではありませんでした。
年相応。
実は還暦くらいの年齢は体力や動き的には、意外に動けます。
その動きやダンスを若く作るのか頑張って作るのかが多い中、還暦同窓会のような、中高年アルアルのようなことを、そのまま表現しているように見せる。
自分で言うのも何だけど、良い作品だったと思います。
あまりに気に入ってしまったので、作者に進言して来年また踊ることにしました。
神楽坂セッションハウスの21フェスです。
1月19日予定。
しばらく休んだらリハーサル再開です。
今回は3回公演で3回とも違うことやったので、完璧にしたいなぁと思っております。
来場頂いた皆さん
ありがとうございました。
明後日踊ります。
明後日、10月13日にTOKYOZAというスタジオで、ダンスを踊ります。
【 Dance Experiment play four 】
今回は自分の振付作品ではなく、昔からの友人が振付をした作品で踊らせて頂きます。
男女4人。
”この”年代の悲喜交々。
見ていて楽しい作品になったと思います。
どうして踊るんでしょうねぇ。
余裕がある訳でもなく、儲かる訳でもなく。
体力があるとか、踊りが上手いとか、そう言う訳でもなく。
なのに50歳を超えてからは毎年のように人前で踊っています。
昔からの仲間のスタジオや、呼ばれて踊るなんてことだけでなく。
飛び込みで申し込みをして、自分以外の参加者は全員初対面という舞台にも出たりします。
自分が習っている先生のスタジオの発表会だったり、友人の振り付けだったりで踊ることはありましたけど。
50歳を超えてからは自分で振付をして、知らないところに飛び込んでいく。
そんなことが増えました。
ライフワークバランスってあるでしょ。
あるでしょって書いておいてなんですが、僕はそんなものないと思っています。
ライフとワークを同列にしちゃいけない。
ライフとワークをバランスするなんて、言葉を作ってしまうと、そう言うことがあるのかと勘違いしてしまいます。
敢えて言うならプライベートとオフィシャルのバランスなら、ありかと思えなくもないですけど。
ライフはライフです。
人生は人生。
ワークは人生の一部。
全部人生だと思って考える方が良いだろうと思っています。
それにしてもどうして踊るんですかね。
敢えて意味を考えれば、ライフの一面なんでしょう。
整体師として生きている。
整体スクールの先生として生きている。
セミナー講師として生きている。
ダンスを踊る人として生きている。
映画を観る人として生きている。
本を読む人として生きている。
カミサンと一緒に生きている。
どこか旅行に行きながら生きている。
酒を飲みながら生きている。
音楽を聞きながら生きている。
散歩しながら生きている。
明後日のチケットは完売しました。
ありがとうございます。
怪我をしないように踊ります。笑
辛いなぁと思ったら来て下さい。
いつも色々と大変でしょう。
たまには自分をいたわって。
少しはお休みを上げて下さい。
暑い夏が終わって。
少し涼しさがやって来ました。
疲れた体が声を上げ始めています。
がんばってがんばって。
頑張って頑張って。
ガンバッテガンバッテ
まあたまには休みを上げて下さい。
体の声を。
身体の声を。
カラダの声を聞いて下さい。
辛いなぁと思ったら。
来ればイイんです。
本気で治そうなんて思わなくても。
ちょっと寄ってくれれば大丈夫。
一息つけるように。
帰りのお茶が美味しくなるように。
年を重ねて分かることは
子曰
吾十有五而志于学
三十而立
四十而不惑
五十而知天命
六十而耳順
七十而従心所欲 不踰矩
論語です。
当然調べました。
たまに思い出したように調べては読んでみています。
50にして天命を知るとあります。
40にして惑わずとあります。
ホンマかいなと思ったりします。
そして60です。
60にして耳順う。(みみしたがう)
調べると(とにかく調べるね。笑)、他人の意見に素直に耳を傾けられるようになる、とあります。
ああそうだったのかと思います。
実は大胆に誤解していました。
自分の話すこと意見に従うようになる、んだとと思っていました。
それだと言葉の意味がおかしいということには気づきませんでした。
どうしてなんでしょうね。
自分の考えに従っていなかったってことなんでしょうか。
年を重ねて良かったと思うことは、経験が増えたこと。
年を重ねて良くなかったと思うことは、経験が増えたこと。
ま、どんなことにも表と裏があり光と影がありメリットデメリットがあるということです。
それをどう使うかということです。
経験で様々なことが既知のこととなります。
だから大きな失敗はなくなる可能性がある。
失敗の経験もありますから、それを回避する。
でも、様々なことを既知のこととして対処していると、実は全く別の結果に向かう道を閉ざしていることにもなります。
それに面白味がない。
だって、それも知ってるあれも知ってるこれも知ってるじゃあ。
ね。
とは言え、経験の少ない時代と同じように、全てのことを未知のこと初めてのこととして経験しなおすこともまた難しいことです。
既知の中にも未知があり。
未知の中にも既知がある。
とまあなんだか分かったような分からないようなことを言うのは年を取った証拠です。
実は全てのことは未知。
全ては初めての経験。
今こここの瞬間は全て一回きりの瞬間です。
社会生活をする上では、既に知っていることの延長上にある傾向を知っていると言うことが”経験”で、でも傾向は傾向というだけで既知ではないと知っておけるようになったのは、年取って良かったかなと思います。
知ってるだけで、なかなか使えないけどね。