思い出横丁の立喰うどん
今日はちょっと用事があって新宿まで出かけました。
新宿に行くのは久しぶりです。
25年くらいまえ某整体学校の事務局にいた頃は毎日通っていたし、40年近く前は会社員として通っていたので、なんとなく懐かしく地元感とまでは言わないが馴染みのある場所です。
特に西口。
西口と言えば思い出横丁、通称しょんべん横丁です。
そんな呼び方する人はずいぶん減ってしまったみたいですけど、どうも思い出横丁と言うよりは「しょん横」と言う方が馴染みがある。
ちょうど真ん中あたりに立喰うどんがあります。
立喰うどんといってもカウンターで座って食べるんですけど。
ま、立喰ですね。
そこはかき揚げを目の前で揚げてくれる。
揚げたての天ぷら(かき揚げ)なんて、独身時代はあんまり口に出来なかったので、飲んだ日の帰りだとか翌日だとかにたまに食べていました。
記憶としてはかき揚げの油が独特の匂いがしていて、ちょっと気になった記憶。
と麺がちょっと太めだったんじゃないかと思うんだけど、でも、考えてみたら少し細めだったかもしれない。
汁は関東の真っ黒けで、でも甘い出汁だったような記憶があります。
今日ちょっと気になって時間がちょうど合ったので、食べてきました。
かき揚げの油は良くなっていたのか匂いがなくて、麺はちょっと細めでした。
そしてちょっと塩っ辛い。
ま、立喰ですから。
はふはふ言いながら、掻っ込むように食べました。
懐かしい。
ご馳走さまでした。
ちょっと動画にしてみました。
ショート動画です。
どぞ。
https://youtube.com/shorts/GY-rkHUHDRo?si=-CA8QHqLfwJpuFuy
パソコンがまた壊れました。
7月中旬に電源を入れても薄暗いばかりで立ち上がらなくなったパソコン。
色々あって修理に出して、戻ってきたのが8月中旬。
名古屋に行ったりしていたので、戻ってデータ入力など始めたのが数日前。
朝は大丈夫だったんです。
ところが午後になってインターネットに繋がらなくなった。
ナンデダロウ。
と考えていてもしょうがないので、いろいろと試しました。
Wi-Fiは認識しているみたいなんです。
でも、繋がらない。
仕方がないのでNEC(のパソコンだったんです)に電話して色々と試しました。
最近は電話も事前予約なんですね。
ちょっとびっくり。
そこでNECの方がいろいろと懇切丁寧に試してくれて。
結果、故障ですということになりました。
故障です。
分かってるんですけどね。
たぶん故障なんだから繋がらない。
NECの人が試して繋がれば故障じゃないって事なんでしょうね。
でも、知らないうちに繋がらなくなったんだから、何らかの不具合があるんじゃないかと思ったりしますけど。
まあそんなこと担当の方に言っても詮ない事なので、ありがたく故障を受け入れました。
保証期間なら電機やさんに持っていって初期化してもらう事になるかもとの話。
でも電機やさんにはあまりいろいろと言わず、NECでいろいろ試した結果故障だったと伝えて下さいとのことでした。
で、昨日、再度修理に出しました。
7月中旬に故障して修理に出して8月に戻ってきて、でまた再修理です。
さすがにちょっとやんなっちゃいます。
でもやんなっちゃったところで故障は治りません。
今回は巷間言われている事が原因かと思ったりしました。
ウィンドウズ10のアップグレードです。
11にすると云々と聞きました。
確かに最初の修理から戻った後に、何も気にせずアップグレードしたら、プリンターを読み込まなくなりました。
プリンターが11に対応していなかったようなんですが、対応している部分もあるというグレーな機種だったみたいで、1日いろいろ試していたらつながるようになりました。
以前、開催したセミナーのテキストや認定証を印刷して送りたかったので、すぐに印刷。
すぐに郵送しました。
そこまでは良かったんですけどね。
それから数日してネットに繋がらなくなった。
繋がらないだけウィンドウズは立ち上がるし、ワードやエクセルも使えるみたいなんですけど、そのままじゃ仕事にならないので、結果、こうなっているということです。
今年はいろいろと色々な事が起きます。
家電がどんどん壊れたり、夏休みは台風で帰りが2日も遅れたり。
パソコンは2回も故障するし。
そう言えばパソコンが最初に壊れた時に、データのバックアップをしたんですが、これだけは必要と思っている2・3のデータだけが壊れていました。
他のデータは何とかなるんですが、それだけは何ともならん。
ということで現在、新たにデータを作っているところです。
ま、いろいろな事が起きますが、それぞれ何とか対処して乗り切ってる感じです。
今のところ夏バテる事もなく、秋を迎えられそうなので、まあヨシとしようかと思います。
それにしてもまだ暑い。
秋はも少し後ですかね。
でも、朝夕は少しだけ涼しい風も吹きます。
ぼちぼち頑張って行きましょう。
君たちはどう生きるか
先日観た映画の話。
君たちはどう生きるか
リバー、流れないでよ
最近は観たい!と思う映画が少なく、これならと思う映画とも時間が合わない事が多くなって来た。
アニメ映画は基本的に観ないんだけど、ジブリだし宮崎さんのだしと思って観たのが「君たちはどう生きるか」だった。
正直言って期待はしていなかった。
「紅の豚」はとても好きだけど、最近のものは何となく考えさせられるものがあって、映画を観てあんまり考えたくはないと言う気分があるので、ちょっと敬遠してしまう所があった。
でも、割に良かった。
きっと賛否両論あるんだろうと思う。
あの⚪︎⚪︎は何の象徴なんだとか、あそこのアレは何なんだとか。
自分としてはそう言うことはあまり考えず、流れに乗って見る事が出来て良かったと思う。
ただまあ、戦争の時代については、自分でもそれほど実感に乏しく想像でしかないので、今の人たちにどんな風に受け止められるんだろうと、老婆心ながら思ってしまった。
全く関係ないんだけど、観た事もない黒澤映画の「夢」を思い起こしていた。
観た事ない映画を想起するってのは、本当に余計なお世話だなと思う。
「リバー、流れないでよ」は軽快で見やすい映画でした。
時間が行ったり来たりする設定で荒唐無稽なんだけど、途中から何となくストーリーに入り込める構成はうまく出来てるなと思った。
以前、同じように時間が行ったり来たりする設定のものを見たが、整合性をどこまで取ろうとするのか(実際には整合性は取れないけど)が、こちらの方がハマっていたように思う。
こちらは「宇宙人のあいつ」を思い出した。
荒唐無稽な設定という以外に似たところはないと思うが、軽快な芝居とテンポの良さで思い起こしたのかもしれない。
どちらも主人公の演技が全体を引っ張っている感じがした。
映画は好きで時間があれば観に行くようにしているが、最近は本当に観たい!という映画が減って来ている。
ハリソンやトムの映画も良いとは思うんだけど、ちょっと大袈裟というか大掛かりで敬遠してしまっている。
秋の北野映画が楽しみだけど、それまでに何を観るか。
考え中。
パソコン内のデータが。。。
数日前、パソコンの電源が入らなくなり、画面が薄暗い状態のまま止まってしまいました。
予兆はあった。
数日前から動きが悪くラップトップを開けても立ち上がらないので、何度か電源を切って入れ直していました。
それが、もううんともすんとも言わなくなってしまった。
で、修理に出しました。
今日、連絡があって修理をするのにデータを消去して初期状態にしなければ行けないとのこと。
ドユコト。
そんなに簡単に初期化するの?
と思いましたね。
でもそうなんだろうかなとも思います。
実は立ち上がらなくなる前日にちょっと気になって、いくつかのデータをバックアップしていました。
ところが、修理に出した後にバックアップしたデータを見たら、一番必要なのがバックアップされていなかった。
なぜだかデスクトップに置いてあった幾つかのバックアップを忘れていたんです。
そこには開業22年の売り上げ日々のデータだとか患者さんの情報だとか。
セミナーの情報だとか。
スクールの入学生から卒業までの履歴の情報も入っていました。
ナントカナランカナ。
と言うのが正直なところです。
でもきっと無理なんだろう。
とは思います。
ダメ元でデスクトップのデータだけ取り出せないか聞いてみますけど。
昨年から何故だかいろいろとぶっ壊れます。
自宅のキッチンの床だとか、冷蔵庫、洗濯機、先日はトイレの下水管。
そしてパソコンまでです。
そう言えば最近、メーラーでメールを沢山の宛先に一斉送信しようとすると、アドレスの形式が違うとかなんだとかで全然送れません。
なんかこう色々とアレです。
どっかで厄払いでもしたくなりますね。
でもまあ、何かのタイミングなのかもしれない。
今までの事は忘れて新しく何かを始めろって啓示なのかも。
とか思うようにしようかなと思ってます。
今日は待乳山聖天さまにお参りにいったついでに、生徒さんの卒業記念品を買いに原宿かまわぬに行きました。
そしたら休み。
いつもは月曜定休なのに昨日が祝日だったからですかね。
そして調べもせずにその足で代官山かまわぬに行ったら、そっちも休み。
データ消去のメールはその途中で来ました。
こう言う日は早めに帰るに限ります。
そして明日からまた頑張る!
待乳山聖天でおさがりの大根を頂いてこの顔だったのに。。。
原宿経由で代官山かまわぬの休みを確認したら、こうもなります。
今日は休日
今日は休み。
池袋の南口公園に来ています。
さっきまで映画を観ていました。
「リバー、流れないでよ」という映画でした。
休みになると外に出ます。
家にこもっていると言うことはあまりありません。
映画が多いですが、散歩に行ったりもします。
吉祥寺、池袋、渋谷あたりの映画館に出没します。
以前は渋谷にあったアップリンクという映画館が好きで、その周りの環境もなんとなく好きで、渋谷に行くことが多かったんですが、最近になって渋谷アップリンクは閉館してしまったので、吉祥寺に新しく出来たアップリンクに行くようになりました。
新しくて綺麗になってちょっとだけ映画の選び方も変わったような気がします。
これがいわゆる一つの時代の流れというやつなんでしょうか。
今日の映画は何と言う事もない映画でしたが、荒唐無稽な設定のわりにしみじみとして良い映画だなぁと思いました。
先日見た「宇宙人のあいつ」みたいな読後感のある感じです。
映画らしい映画と言えばそうなんかなとも思いました。
主人公(的)な女優さんが可愛くて良かったと。
池袋ではシネマロサによく行きます。
ここの映画の選び方がちょっと好きです。
それにしても最近は小さな映画館がどんどん閉まってしまい、寂しいなと思います。
月に2・3本しか見に行かないので、偉そうなことは言えませんが、小さな映画館が生き残る道はないものかと思ったりします。
名古屋なんてキノシタホールも名演小劇場も、今月末にはシネマテークもなくなってしまいます。
おじさんはどこに行けば良いのやら。
ハリウッド映画的な映画ばかりが映画じゃないんだけどなと思ったりします。
休みの散歩は特に何もなく散歩だけすることがあります。
渋谷から下北沢とか、渋谷から原宿・青山・外苑前とか、原宿から乃木坂・六本木とか。
これもいわゆるひとつのミーハーです。
今日はどこかで時間があったらブログくらい書いてみようかと、パソコンを持って来ました。
最近は本当に便利です。
今日は休みです。
でも、池袋から大泉に戻ったらちょっと仕事します。
こう言うのは休みと言うんだろうか。
まあ別にどっちでも良いんです。
それにしてもこの公園は綺麗になりました。
以前はぜんぜん整備されていなくて、近所の子供連れのお母さんが数組いるだけでしたけど、今はおしゃれなカフェ的な店もあり芝生もあって遊具もありベンチも椅子も沢山あるので、時間を過ごすのに良いです。
空も広いし。
風も通ります。
コンビニでビールでも買って飲もうかと思いましたが、昼間の酒はやらないのを思い出しました。
そんな休日です。
体の使い方は教えられるけど、体の感覚は本人にしか分からない。
体の使い方の方法だとか手順だとかを教えている時に、どうも気になると言うか引っかかる事があります。
体の使い方は教えられるんだけれど、その感覚は教えられないという事です。
何かのやり方というのがあって、ソレを誰でも出来るようにマニュアルのようにして、手順だとかを決めて。
ソレを教える事は出来ます。
でも、ソレが出来た時、厳密に言うと、他の人とは違う事をやっています。
いや、そのソレは出来ているんです。
でも、その人がやっているのは別の事なんです。
つまり、ソレが出来ていると言う事実は一つなんだけど、人それぞれにソレの出来方と言うのがあって、厳密には別の事をしてソレが出来ると言うことなんです。
ダーツで真ん中に矢を刺す事をソレだとしたら、ソレが出来た時、それぞれの人は別のことをやっている。
別の筋肉を使って別の力の入れ方をしてやっている。
でも、同じようにやっているように見えることが多いし、同じようにやろうとしてやっている事が多い。
マニュアル化して同じように手順だけ決めて、武術で言えば「型」を作ってやってみる。
型の練習をしていると、その型をやっていく中で、真髄が身についたりします。
型には全てが詰まっている。
何かちょっとややこしい話なんですけど。
でも実際はややこしくないかもしれない話です。
整体の指導をしていると、本当に難しい時があります。
指針整体というのはとにかく独特で他の手技とは違います。
受ける感覚も違うし、やっている感覚も違います。
これを言葉で伝える事は出来ます。
こうやってこうすると出来ます。
でも、それがとにかく独特なために、それぞれの人はそれぞれに解釈してしまって、自分なりにやります。
自分なりというのは、荒木が言ったことと違うことをするというのではなく、荒木が言ったようにしようとして、別のことをしてしまう。
普通こうだからと体が反応して自分なりになってしまう。
それを今度は感覚で話をしたりします。
体の感覚の話をする。
でも体の感覚は厳密には伝わりません。
暑いと言った時の感じ方は人それぞれです。
押すと言うのも引くというのも、何もやってない感じも、力を使わない感じも。
それぞれが違う。
だから色々な言葉を駆使して、体の使い方とは違う表現を探したりします。
ナンノハナシだっけ?
ちょっとややこしいですね。笑
まあ、体の事は面白いと言う話です。
伝えると言うことも、伝わると言うことも。
出来ると言うことも出来ないと言うことも。
殆ど出来ているというのは、出来てはいないと言うことです。
実は全く違う事なのかもしれないと言う事です。
武蔵野八幡宮
1981年に新卒で入った会社は紳士服のタカキューでした。
新入社員は全員が店舗に配属になり、荒木は吉祥寺にあった3階建ての路面店に入りました。
1年くらいで吉祥寺パルコ2階にあったアレクサンダー・ジュリアンの専門店に転勤。
半年くらいで本社に異動になりました。
武蔵野八幡宮は1982年元旦に初詣に行きました。
当時は初売りが1月2日で、午後から営業だったので、午前中に店のみんなで集まって歩いて行った記憶があります。
最近の初売りは元旦で賑やかなお正月になりましたが、以前は正月と言えば静かな時間が流れていた記憶があります。
みたいなことを思い出しながら、休みの日に行って来ました。
今どきマニキュアの出来ないアルバイトって何?
今年20歳になる人と話をしていて驚いたことがあった。
マニキュアはアルバイトでダメだと言われているからしていません。
何!
ナニっ!
なになになになになにっ!!!
ドユコト?と思って色々聞いていたら、そんなの普通だとのこと。
某世界的コーヒーチェーン店でも髪色を明るくして良くなったのは最近の事だとか。
マニキュアについては飲食店のアルバイトの多くはそうなっているらしい。
どうしてそうなるのか。
何故、そんな規則を作るのか。
今時、マニキュアに何か悪い印象でもあるのか。
マニキュアが食べ物につくとか思っているのか。
それとも、マニキュアで食べ物が不味く感じるというんだろうか。
なぜなぜ何故何故何故ナゼナゼ!
と分からなくなる。
ひょっとして、と勘繰ってみる。
意地悪く考えてみる。
マニキュアや髪色を制限されても文句ひとつ言わずに従順に従うようなアルバイトを雇っています、自分の意見を述べるようなアルバイトではありません。という客へのアピールをしているのか?
それとも、うちはアルバイトを”きちんと”規則で縛っているというアピールなのか?
または、うちの子達は昔ながらの控えめで静かでお客様にも優しい対応をする子達ですってアピールなのか?
信じられん。
と思いました。
理由があるなら分かります。
例えば、整体院などではお化粧は患者さんにファンデーションなどがつく可能性があるならやめる。
香水やコロンなど匂いが移る可能性のあるのでやめる。
アクセサリーは患者さんの衣服や肌を傷つける可能性があるものはやめる。
など。
男女関係なくそうです。
でもねぇ。
マニキュアは別にゴテゴテしたものでなければ、綺麗にしているのは良いのではと思ったりします。
そう言うこと、まだまだあるのかもしれません。
”普通”って何でしょう。
学生時代、学校を卒業したら”普通に”就職して、会社員になって仕事をする。
と思っていた。
会社で会社員として働いている人は、”普通は”大小のビルの中でスーツを着てネクタイをして、机に向かって仕事をしている。
と思っていた。
小説を書いたりする人や絵を描いたりする人や、音楽や芝居をやっている人は、”普通ではない”人だと思っていた。
うどん屋さんや寿司屋さんや菓子屋さんは、家が代々そうだからやるんだろうと思っていた。
だから、自分が洋服を売る会社(流通小売業)に勤めた時には、実は少し違和感があった。
洋服屋さんは”普通の”会社員とは違うイメージがあったからだった。
普通って何でしょう。
俗にいうサラリーマン・会社員が普通の社会人だと思っていた自分には、そうではない職業の人たちは普通ではない人たちだと思っていた。
それが、だ。
最近は自分が昔思っていた”普通”というのは、単に当時、そう見えている人たちが多かったというだけだという事が分かってきた。
単に世間知らずだったというだけだろうとは思うが、自分としてはちょっとまあ不思議な感じがします。
35歳を超えた時、自分の力で仕事をして、というか自分の力で金を稼いで生きていけるのか試したくなった。
”普通”ではない生き方だと思った。
大変な事だと思った。
でもやっぱり、それはやってみたい事で。
試してみてもしダメだったとしても、命までは取られないだろうと思っていた。
もちろん、起業が失敗したところで命までは取られない。
せいぜいが失業とか自己破産とか。
ま、いざとなったら実家に帰ってアルバイトでもすれば良いかと思った。
とは言えそれらの不測の事態は”普通”ではなかったけれど。
起業は今のところ上手く行っている。
儲かっている訳ではないが、まがりなりにも起業して22年目に入った。
今の所、たぶん自分の力で稼いで生きている状態がつづいている。
会社員時代は自分の力は勤めていた会社と比べると相対的に圧倒的に小さかった。
ま、仕方がないわな、そんなこと。
会社とはそういうものだ。
逆に言えば、会社という力や規模を利用して、自分の力をより大きく支えるようにする場でもあったと思う。
それが何となく分かった時期に、辞めた。
それよりも、自分の力で試してみる事をしてみたかったからだ。
普通って何だろう。
今は小学生でも中学生でも起業する。
学生でもネットを利用して稼ぐことが出来る。
音楽や芸術で生きていく道も、インターネットを使って以前よりはやりやすくなった。(かもしれない)
副業をすることは奨励されている会社もある。
普通の人は、どんなことをして生きていくんだろう。
たぶん、自分の学生時代と比べれば、普通の幅は大きく広がったんだろうと思う。
海外で仕事をするのも、さほど変な事ではなくなった。と思う。
リモートでオンラインで、ワーケーションしながら仕事をするのも、変な感じではなくなった。
家庭と仕事と男女のことを考えても、以前の普通が普通ではなくなって、普通ではないことが普通になったり、普通が普通のままだったりしている。
考えてみると、ずいぶん楽になったと思う。
楽になった分、大変になったこともあると思う。
でも、大変でも楽になっているように思う。
普通って何でしょう。
体力とか毛量とか
髪を短くして4年近く経ちます。
荒木は短髪(坊主)だと最近は思われていると思います。
確かに坊主です。
もう昔から坊主だったような顔をして生活しています。
でも、坊主にしたのはほんの数年前です。
それまでも短髪ではありました。
大して長い訳ではなく、短い髪のおじさんでした。
でも、昔は違います。
大学生時代などはフッサフッサして、髪をかきあげたりもしていました。
それが今や。
坊主です。
髪が薄くなって来たんですよね。
60の手前くらいから。
いや正直言うともっと以前から嫌な予感はしていました。
なんとなく頭のテッペンに手をやると、ピシャって感じで手が当たる。
ピシャってのは直接地肌に手が当たるような感覚です。
その時は直接ではなかったですけどね。
それが60前後になると、見た目にも確認出来るようになって来た。
短髪から少しでも髪が伸びると、鏡の前の顔の上に”盆地”が出来る。
たぶん5センチくらいの長さになると盆地が現れます。
盆地が嫌で切りました。
坊主にしてからは自分で刈っています。
もうこうなると髪を切るというより、髪を刈るという感じです。
さっぱりはしますけど。
体力の衰えを感じます。
突然ですね。
体力の衰えは30代中盤くらいから感じ始めました。
実際にはそれほどでもなかったんでしょうが、感じ始めてはいました。
ところが同年輩や若干年上の方でも、衰えはまだ感じていないという人がいました。
40くらいでもまだまだ全然なんて言っていました。
日常的に体を動かしている程、衰えを感じやすいようです。
体を動かしていない人は、衰えを感じるほど動きませんから。
歩いたりしているくらいでは感じない。
別にドッテコトナイということです。
実際には体を動かしていない人の方が、衰えは激しいはずです。
動かしていませんから。
動かしている人の方が衰えていないにも関わらず、衰えを感じる。
面白いですね。
坊主にした当初は見られるのが少し気になりました。
なんせ坊主ですから。
見慣れない髪型です。
でも、実際は全く見られていません。
他人の髪型なんて3%くらいしか気にしていないでしょう。
その人はその人です。
3%の中身が少し変わったからと言って、全体の印象は変わりません。
だから、そもそも見られているのが気になる程、見られてはいません。
面白いですね。
体力も髪型も衰えているのか単に変化しているのか。
いずれにしても人様からはあまり関係のない話です。
今日は髪を刈ります。