自分に気がついているという話 再び
先日、自分に気がついているだけで良いんじゃないかというような話を書いた。
自分に気が付く。
自分が今どんな状態なのか、分かっている、知っている、意識のどこかにある、というような事を言っています。
それがなかなか分かりずらいと言われます。
自分に気が付くという感覚が分かりずらいみたいです。
説明が下手なんです。
申し訳ない。
例えば今、この文章を読んでいる時、立っている人なら足の裏、座っている人ならお尻の下を感じてみて下さい。
冷たいとか暖かいとか、硬いとか柔らかいとか、凸凹だとかクッションがあるとか。
そんな感じを感じられると思います。
その感じを頭のどこかに置いたまま、何かを見たり話をしたりしてみます。
見たり話したり出来たら、その時の頭のどこかにある足の裏やお尻の下の感じ、が、自分に気がついているという感じだろうと思います。
共存させるようなイメージかなと思います。
自分の意識と肌感覚や触感や体の中の感覚を共存させ、全部一緒にそこにあるようにしておく。
それが出来たら、勝手に体は調整をしてくれる部分があると思います。
何かをしよう、楽にしよう、正しくしようとしなくても、勝手にフィードバックされる部分があると思います。
フィードバックされれば勝手に楽になっていく部分があると思っています。
脱力について
写真に写っているのはテンセグリティと言う構造体です。(これ自体は玩具として売っています。)
テンセグリティというのはテンションとインテグリティを合わせた言葉で、tension(張力)と integrity(統合)とを合成した造語です。
もともとは彫刻の一つとして、硬いモノ同士を引張材で繋いで形(構造物)にしたものです。
脱力がなかなか出来ないという人がいます。
知らないうちに力が入っている。
脱力をすると立っていられないとか、座っていられないとか。
そんな風に感じる人もいます。
立っている時や座っている時は、体に力が入っていて、そこから脱力してしまうと形が崩れて立ったり座ったりしていられない。
そう言う体の使い方をしていると、それが習慣的になってしまい、つい、ただ立っているだけ座っているだけなのに、それ以上に力を入れてしまっている。
脱力しようと力を抜くと、形が崩れてしまう。
そんな感じです。
上の写真の右側が脱力で、左側が立ったり座ったりして力が入っている状態、と思っている人がいます。
荒木は左側の状態が脱力している状態と考えています。
右側も脱力していますが、右側は完全脱力で床に横になって寝ていたり、リクライニングチェアーに身を任せている状態です。
では左はというと、無駄な力や過剰な力が抜けている状態。
必要最小限の力だけで立っている状態です。
具体的にはこんな感じかもしれません。
まだ1歳になる前だと思います。
無駄な力を入れることもなく、無理な姿勢にもならず。
必要最小限の力で、全体が調和して立っている。
普段、立つ時や座る時の脱力は、電源が繋がっている電化製品です。
コンセントがつながっているテレビ、でもスイッチは入っていなくて番組はやっていない状態。
完全脱力はコンセントを抜いてしまった状態で、何も出来ない。
スマホだったら充電の残量がある状態で、アプリが立ち上がっていない状態。
スマホの完全脱力は充電の残量が0%になってしまった状態。
なんとなくそんな事をイメージして立ったり座ったりするだけでも変わるかもしれません。
テンセグリティ状態を立ったり座ったりの状態で作るのは、普段やっていないという意味で難しいかもしれません。
でもどこかに力を入れいる訳ではないので、出来ないと言うことはありません。
無駄な力が抜けているだけですから。
体は内部からサポートするような力というか勢(いきおい)のようなものがあります。
それを感じるというか、うっすら気が付くことが出来れば良いなと思います。
ゆっくり呼吸が出来て、どこかに力が入っている感覚がなくて、体が広がって行くような感覚。
ゆっくり脱力出来ると良いですね。