理解する事と知る事の間
理解する事と、知る事の間には大きな差があります。
差というと「理解」と「知る」がグラデーションしていて、どちらかの延長にどちらかがあるように思われるかも知れないので書き方を変えると、理解する事と知る事は大きな違いがあり、全く違う事だと思います。
ちょっと定義してみます。
個人的な定義なので、語義と違っていたらすみません。
ここではそう思っていると言うだけの意味です。
理解するとは、物事の因果、原因と結果がどうしてそうなるのかが分かると言う事として、捉えています。
知るとは、物事がそうなんだと言うことが腑に落ちる、身になる、体感としてそう思える、因果や原因結果ではなく、それはそうなっていることが自明のように感じられると言う事として、捉えています。
理解とは頭で分かった事、知るとはそれが体に落ちていると言うこと。
これは全く違う事です。
理解したからと言って知っている訳ではない。
整体やアレクサンダーテクニークを教えています。
ああ、分かった。
と、ぱっと顔が晴れてニコニコする生徒さんがいます。
でも、大体は理解しただけで、まだ知っている訳ではありません。
そこでどんな風に話をするのか。
いつもちょっと困ります。
それはまだ本当に分かった訳じゃなくて、頭で理解出来ただけだ。
とか、そんな風に言うのは、とても不遜だし、自分は知っていてあなたは知らない、みたいな見下したように聞こえるかも知れない。
理解と知るは全く別の事だと言うことを伝えたいだけだったりします。
理解する事も大切だし、知る事も大切。
理解だけで止まって欲しくないと言う気持ちがあるんだろうと思います。
知ってもらいたい。
体感してもらいたい。
腑に落ちてもらいたい。
そう思います。