習慣を手放す
人は習慣の中に生きています。
たぶん脳の構造もそうなっているんだろうと思います。
何かをする時にいちいち考え直していたり試していては先に進みませんから。
いつもやっている事は、いつもと同じようにやれば、いちいち考えなくても、だいたいは出来るようになっています。
それはとても楽で便利な仕組みだと思います。
でもそれが上手くいかなくなったら、けっこう困ります。
いつものようにやっているのに、上手くいかない。
どうすれば良いか。
いつもと変わらない(はず)なのに、全然上手くいかない。
いつもと同じようにしているのに、結果がいつもと違う。
ということになります。
習慣の中に生きているというのは、まあこういう話のことを言っています。
とても便利なんだけど、とても不便になることがある。
だったらその習慣を手放して、全く初めての時のように試してみれば良いんじゃないか。
確かにそうです。
でも、習慣の中に生きているので、何が習慣なのか、何を自分がやっているのかは、とてもとてもわかりにくい。
猫背の人は自分が猫背にしているとは思っていません。
自然にしていればそう(猫背に)なっている。
自然なんだから、とくに何もしている訳ではない。
だから何を手放せば良いのかが分からない。
そこで猫背ではなく胸を反らそうとしたりします。
そうすると、猫背にしている自分と、胸を反らそうという自分が共存してしまう時があります。
ブレーキ踏みながらアクセル踏んでるみたいになってしまう。
固まります。
疲れます。
困ります。
でも、何もしてないのに猫背になってるんだから、反らすしか方法がない、と思ってしまっている。
じゃなくて、猫背にしてるのをやめれば良いだけなんだけど。
習慣を手放すのは難しいですね。
何が習慣かが分からないんだから。
何かの拍子に気がつくと、簡単に戻ったりします。
何もしていないのに、元にもどって、それこそ猫背じゃなくなったりする。
そうなると良いんですけどね。
そんなことを扱っているのがアレクサンダーテクニークだと思ってます。
なかなか面白いです。
癖と習慣
ちょっと気になって検索してみました。
「癖と習慣の違い」をグーグルで検索すると。
・習慣は「大体が意識して繰り返し行うその人の習わしやしきたり」、癖は「無意識に行う偏った仕草」
・癖は意図しない行為がきっかけになっていますが、習慣は意図した行為がきっかけになっている。
・習慣は「大体が意識して繰り返し行うその人の習わしやしきたり」、癖は「無意識に行う偏った仕草」
と書いてありました。
微妙に違うようでもあり同じようでもありますね。
少なくとも、癖と習慣は別の のだということです。
んなこたぁどおでも良い?
はい、確かにどぉでも良い事なんですけど、ちょっと気になります。
アレクサンダーテクニーク教師という、心身の使い方を教える人をやっているということもあり、いや、本当は単に言葉の違いに興味があるって事でもあります。
ご飯を食べるのは癖ではなくて、ひょとして習慣なのかなと思います。
でも、食べ方には癖があったりするんだろうと思います。
で?って話かもしれませんけど、そんな事を糸口に考えていったりします。
どっちが直りやすいんでしょうか。
というか直さなければいけないって訳でもないのかもしれません。
個人的には癖は直したいイメージですけど、習慣は直さなくても良いものが含まれてる感じです。
上にも書いてあるように、習慣は意図した行為がきっかけになっている、事があるかもしれないので、そうする事が良いと思って始めた可能性があります。
癖は知らないうちに(意図しない行為)始まっているので、それがやりやすくて始めたんでしょうけど、上手く行かなくなっときに、癖が・・・と思ったりするのかと思います。
いや、ちょっと違うか。
癖と習慣。
ちょっと面白いテーマですね。
ぼちぼち考えてみます。
言葉と動作習慣について
腰痛や肩こり、体の動きがギコチナイ時などに、体の使い方が上手く行っていない事が原因になることがあります。
体が知らないうちにやっている習慣。
動きの癖のようなものがソレです。
癖にも幾つか種類があると思っていて、関節や筋肉の動かし方は問題はないけれど、その人独特の動きになる場合。
それは個性というようなもので、体を大きく使う人や小さく使う人、右足が前の人や左足が前の人など。
この個性的な動きだけど、関節や筋肉は間違っていない、その人独特の傾向のある動きというのがあります。
それだと痛みやギコチナサは出てこないと思う。
問題があるのは、本来の関節の位置で動かしていなかったり、本来使うべき筋肉を使っていなかったりと言う場合です。
厳密に言うと、本来の位置で動かしていない、というのは少し違っていて、ある動作をするのに、別の関節や別の筋肉を使っていない、もしくは使わなくても良い関節や筋肉を使っている場合のことです。
これだと腰痛や肩こりや動きのギコチナサにつながる可能性があると思います。
で、その原因について。
これも幾つか原因というか種類があるように思います。
一つは学習した時の教師データのようなものがそうだった場合。
成長過程で一緒に生活を長くしていた相手の動きは、その人の動きに大きく影響します。
それを見て育つ訳だし、同じような環境で生活している訳ですから。
親や兄弟や親戚や学校の友人などが関係して、今の自分の動きの習慣や癖が出来ている可能性があります。
もう一つが視覚や言葉からの影響です。
視覚情報の影響には幾つかあって、一つは上に書いた親兄弟などの長く一緒に生活している人たちの動き。
これが自分の動きに影響している。
視覚情報のもう一つは、体の外見です。
裸の状態を考えてみて下さい。
胴体と腕は明らかに太さが違います。
脚や首や頭、手の平と指もそうです。
太いところから先の細くなっている部分(腕や指)が動くと、普通は思います。
腕と胴体の境目の肩あたりで曲がって動く、指は手の平から先の指の部分が曲がって動く。
でも、実際はそうではなく、腕を動かす筋肉は体幹の中心から繋がっていて、肩甲骨も鎖骨も腕の一部として動きます。
手指の場合は手の平と指の境目ではなく、手の平にある感情線や頭脳線のあたりで曲がります。
この視覚情報からの強い刺激で動きが変わっている可能性がある。
そして言葉の影響についてというのが今日、書きたかった事です。
上にも書いたように、「胴体」と「腕」は肩あたりで別物として名前がついています。
手の平も指も同様に、別物として名前が付いている。
人は言葉でコミュニケーションするし考える事もあります。
腕を動かす。
指を動かす。
そう考えた時に、実際に動く部分よりも「腕と名前がついている」「腕だと思っている」部分を動かすかもしれないし、「指だと名前がついている」「指だと思っている」部分を動かすかもしれない。
それが、誤差のように動きをギコチナクさせるのではないか。
と思っています。
人は名前をつけることでコミュニケーションがスムーズになりました。
物を考えるのにも、それが目の前になくても考える事が出来ます。
でも、言葉があることで、実際とは違う認知・認識をしてしまうことがあるのではないか、と思っています。
また、人によって同じ言葉を違う意味で使っている事があるのも、動きに影響を与えている可能性があります。
とくに動きを学んだり指導したりする時にです。
背筋を伸ばすと言った時の、背筋とはどこなのか。
また実際に伸ばしている部分はどこなのか。
それぞれの人の考えている背筋が違うかもしれないし、動かしているところが背筋ではないかもしれない。
整体師・アレクサンダーテクニーク教師として、動作や動きの習慣を再教育する時に、言葉について考えています。
言葉を使ったり言葉を題材にして習慣的な動きを変える方法について少し考えます。
自分の体は思った通りに動かせているとも限らない、って話
自分の体は自分の思った通りに動かせている。
なんとなくそう思っている人が多いと思います。
でも正確には思った通りに動かせていない事がある。
でなければ、肘をドアにぶっつけたり、殆どない段差でつまずいたりしません。
ぶつけたりつまずいたりしていないだけで、考えているように正確には動かせていない。
ダンスをやっている人なら分かると思います。
思ったようにはなかなか動けない。
思ったように動けたと思って動画を見ると、ぜんぜん違う動きをしていたりする。
習慣。
なんですよね。
癖と言っても良いかもしれません。
自分の筋肉を使った感覚と動いた結果を一緒にして体が覚えているので、それを習慣としていつものようにやっている。
それは悪いことではありません。
その方が効率が良くて、いちいち考えなくてもだいたい同じように出来る事になる。
でも、たまに確認すると良いと思います。
姿勢や歩き方や座り方。
これらの指導をする時にちょっとした障害になるのがここです。
自分の思ったようになっているという勘違い。
真っ直ぐ立っている、真っ直ぐ座っている、という習慣的な感覚というか感じ。
でも実際は猫背だったり反り腰だったりします。
そんな風にやっているつもりはないし、やってる感覚もない。
習慣だから。
癖だからそう思います。
こんな風になっているという風に実際になっていない事がけっこうあります。
立ち姿勢や座っている姿勢の写真を見ると、不思議な感覚になることがあります。
こんなに猫背だっけ?
こんなに後ろ重心だっけ?
歩いているところを動画に撮ると、ウッソだぁと思うことがあります。
こんな風にあるいていない。
何か変だ。
姿勢や体の使い方が気になったら、自分の感覚と実際の形が違うかもしれないと思ってみて下さい。
写真や動画を撮って、嘘みたいだけどきっとこんな風になってるんだと確認して下さい。
自分が出来たと思った時には、こうなっているんだなぁと思って下さい。
ちょっと変な感じかもしれないけど、試してみる価値はありますよね。
そして鏡で見て真っ直ぐな時に、自分がどう感じるかも確認して下さい。
いつも猫背の人は真っ直ぐになると、胸が反っていると感じると思います。
いつも反り腰の人が真っ直ぐになると、背中が丸いと感じると思います。
後ろ重心の人が真ん中重心になると、かなり前に倒れていると感じると思います。
でも、それが真っ直ぐです。
そうやって、自分の感覚をアップデートしてみると良いと思います。
アレクサンダーテクニークで探求する”自分の使い方” @NHK文化センターさいたまアリーナ教室
4月からNHK文化センターさいたまアリーナ教室で講座を始めます。
アレクサンダーテクニークで探求する”自分の使い方”
今回はNHK文化センターさんにお願いして、すぐに出来る◯◯とか、こうすれば簡単に出来るとか楽になるとかにはしませんでした。
自分の使い方を時間をかけて探求する。
何かのやり方とか良くする方法、楽にする方法ではなく、自分がどうなっているのか、ゆっくり考える時間にしたいと思っています。
知らず知らずのうちに習慣になってしまった事から離れてみるために、習慣や癖に気づくこと。
自分はどんなことをやっているのか。
その癖や習慣に気づけるのか。
それをやめてみることは出来るのか。
そんなことを探求して行きたいと思います。
3回コースですが、人数が集まれば継続して行きたいと思います。
月に1回、自分自身と向き合う時間になればと思っています。
さいたまアリーナ教室はさいたま新都心駅から3分くらいの、さいたまアリーナに隣接した施設です。
ちょっとマニアックですが、楽しいレッスンにしたいと思っています。
ぜひ、お越しください。
アレクサンダーテクニークで探求する”自分の使い方”
日時:4月12日、5月10日、6月14日 第二水曜日19:00から20:30
場所:NHK文化センターさいたまアリーナ教室
https://www.nhk-cul.co.jp/school/3300/3300_school_info.html
料金:10,296円
問合:https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1260952.html