体が忘れられ頭だけになった人が増えているように感じる一年でした。
今の人の体は狩猟採集に適応するように進化したまま、そこから先にはまだ行っていないような状態です。
人の体には使っていない機能がたくさんあるように思います。
例えば足の指は5本あり足部の骨は25個近くありますが、すでに何世代かは靴下を履き靴を履いて平らな道を歩いています。
靴下を履き靴を履いているというのは、足部を一つの塊(かたまり)として使っているという事です。
歩く時に足指の付け根で少し曲がりますが、少しです。
足指がないように足の骨が数個しかないように使っています。
しかも平らな道や家の中やビルの中で過ごしています。
足部を一つの塊として使い、平らな地面を歩いていると、足部には使わない関節や使わなくても良い関節が増えます。
また、足部から下腿・大腿。骨盤までの下肢は、使わない筋肉が増えて来ているように思います。
人の体には200の骨と600の筋肉がありますが、その多くを使わなくても良いように文明は”進化”しました。
体を使わなくても日常が送れるように、さまざまなものを開発し使うようになりました。
頭で何でも理解できるような風潮が増えて来ているように思います。
病院では検査結果を元にして治療法が決まり、薬の処方が決まります。
それは大多数の人にとって良い結果となる事で、これだけ増えた人間を病気からなるべく早く救うには重要で大切な事です。
でも、検査結果とは別に、体感というものがありますが、体感はあまり関係ありません。
問診の時に話はしますが、重要なのは検査結果です。
お腹が減ったら食べるのではなく、時間が来たら必要な量を食べるという人が増えているように思います。
こうすれば結果はこうなるという事を、そのままやっている人が多いように思います。
試行錯誤された結果の「こうすれば結果はこうなる」というのは、概ねそうなります。
ただ、自分の頭で考える事が減って来ているように思います。
とくに体のことに関してはその実感があります。
ちょっと上手く言えないんですが、頭でだけ考えて、体のことを横に置いている人が増えたように思います。
たぶん、体のことがわからなくなっているような気がします。
頭では分かる、でも体感はない。
頭で分からないと、分かった気にならない人も増えました。
整体をする時の体の使い方を教えるのに、頭で分かるように解説すると、分かったように感じそう思うようです。
でも体はそうはならず、頭では分かっているけど、実際には出来ないという状態ができてしまいます。
よく考えてみると、頭で分かったところで、実際に出来なければ全く意味はないのに。
頭で分かろうといろいろと考えてしまいます。
体を横において、実際に試してみることなく、頭でだけ考える。
使わない機能が増えたことと、頭でばかり考え分かったつもりになることで、体の感覚もどんどん鈍化していっているようにも思います。
体が緊張しているのか脱力しているのか分からないと言う人が増えて来たように思います。
そんなことある?
と思いますが、あります。
知らないうちに緊張しているというのなら分かりますが、自分の体が緊張しているのかどうかが分からない。
体の感覚が落ちている状態なのかなとおもます。
まずいなぁと思います。
空調が聞き照明があり、湿度や温度も管理された家に住み、平らな道を歩き、車や電車で移動し、パソコンで調べれば瞬時に何でも答えが出てくる。
それ自体は良いことです。
でも、それが少しでも、自分の、今の、体の状態に合わなかったら。
体は対応しずらくなっているんだろうと思います。
気温や湿度や明るさや、地面の凸凹などに、自分の体が対応していれば、そういう機能はキープ出来るかもしれない。
でも使わなくなった機能は、すぐには使えないかもしれない。
来年は体の事を思いだすような企画をやっていこうかなと思います。
1月4日に企画している「座るワークショップ」はその第一弾です。
応募がなくても少なくても、気長に続けていこうと思っています。
たまに自分の体の事を思い出して下さい。
思い出すのが苦手だったら、ワークショップや整体院に来て下さい。
アレクサンダーテクニークは自分を観察することから始まりますから、アレクサンダーテクニークを受けると、少しは思い出しやすくなると思います。
2024年もありがとうございました。
2025年も宜しくお願いします。
1月4日から営業始めます。
自分の頭で考える自分の体で感じ取る
自分の頭で考えるのが本当に難しい時代になりました。
情報が多すぎて何を信じれば良いか分からない、というのは情報のどれかを取捨選択して(自分ではなく)誰かが考えたことを、自分の考えとして取り入れようとしているということでしょう。
それは自分の頭で考えていることにはならない。
情報はただの情報です。
そこから何を考えるかが自分の頭ですることです。
ところがその情報が多すぎる。
以前は新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・口コミくらいのものでしたが、今はこれにインターネットが加わった。
テレビも以前の地上波だけではなく、無数にチャンネルがある時代です。
道にも壁にも字が書いてあります。
同じように自分の体で感じることも難しくなりました。
そもそも動きが少なくなりました。
便利な社会になったのは良いことです。
交通手段も増え誰でも利用出来るようになりました。
通信手段も増えインターネットも普及しました。
外出しても体を使わずに移動しやすくなり、屋内でも体を使わずに仕事や娯楽が出来るようになりました。
目と手ばかりが使われています。
体を使わないことで、感覚入力も減っています。
空調や湿度調節や光(照明)も普及して、いつも一定の環境(温度・湿度・光)の中で生活するようになりました。
自分の体で感じることが難しい。
変化の少ない環境で、体を使わない環境で生きているから。
自分の頭で考え、自分の体で感じる。
たまに思い出したいと思います。
自分に戻る
整体師やアレクサンダーテクニーク教師をしていると、人の体に触れる機会が多くあります。
体に触れていると色々なことを感じます。
最近は自分を感じていない人が多いように感じています。
自分を感じて居ない。
ちょっと不思議な表現かもしれません。
何言っちゃってんの!?と思われる方もいるかもしれません。
でも、そう言うことのように思います。
天気や気温の影響は受けている。
ひょっとしたら感じて居ないかもしれないけど影響は受けている。
同じように人からの影響も受けている。
会社や家庭や外を歩いている時など。
周りからの影響は受けている。
でも自分の体のことや自分の中で起きていることは感じて居ないような。
何かが起きていても分かっていないような。
あるいは自分の中で起きていることを無視しているような。
そんな人が増えているように思います。
自分のことだけは後回し的な。
疲れと言えない程の感覚かもしれませんが蓄積しているモノ。
ストレスであったり筋疲労であったり。
蓄積したなにかが今の動きを制限していたり小さな症状を出していたりします。
ストレッチしたり散歩したりして体を動かすことも大切です。
でもその前に自分に戻ること。
自分を感じること。
自分の体がどうなっているのか。
硬いのか緩んでいるのか。
力が入らないのか知らないうちに入っているのか。
どこが硬いのか。
どこが緩いのか。
動かしたい感じなのか。
動きたい感じなのか。
動きたくはないのか。
休みたいのか。
本当に休みたいのか。
そんなことを感じてみることから始めるのが良いかもしれません。