BDCのお婆さん DNAのお爺さん
題名を見て???ひょっとしてと思った方もいるかもしれません。
そうです。
BDCとはBroadwayDanceCenterのことで、DNAとはDanceNewAmsterdam(現在はGibney)のことです。
ニューヨークにあるダンススタジオで30代と50代にレッスンに行った事があります。
BDCには30代の時に行きました。
仕事半分でしたが平日の夜と日曜がお休みで、自分の時間として使わせてもらいました。
平日夜にはAlvinAileyAmericanDanceTheaterのスタジオに行き、10数名の黒人のダンサーと一緒にレッスンを受けました。
こちらのスタジオはその後に場所を替え、大きなビルになりましたが、そちらには行った事がありません。
で、BDCです。
日曜午後に行ったので、近隣の普通の方々が来ていました。
中に数人日本人のダンサーと思しき人たちも来てましたが、殆どはフツーの人たちでした。
男性が少なかったので、黒人のとてもスタイルの良い筋肉の綺麗な男性の後ろにポジションを取りましたが、彼がとにかく全然踊れないので驚きました。
黒人って何となくみんな踊れるようなイメージを持ってたんですけど、完全に偏見でしたね。
いろいろなヒトがいます。
中に細いお婆さんのような方がいました。
髪はショート(ベリーショートではない)めで白くカールしていて、白っぽいTシャツに短めのダンス(バレエ)用スカートを履いていました。
隣にポニーテールにした少女がいて、一緒に来ているのが分かりました。
先生はプロ中のプロのような方で、素晴らしく踊れるジャズダンサーでした。
クラスを受けているのも、プロのような方から全くの素人まで混ぜこぜに来ていました。
DNAには50代の時にカミさんと一緒に行きました。
ここが良いよと日本でリサーチしていて、カテティ・キングというこれも聞けば知っている人の多い先生のクラスを受けました。
このクラスの時は酷い時差ボケで、全く振りが入らず、前の列で立ち往生していたら、周りにいた近所のおばさんと思しき女性に、後ろに行けと目で強く指示されたのを覚えています。
可哀想に思ってくれたのか、カティティが同じクラスを受けていた日本人男性に、ナオキ!通訳してあげて!と言ってくれました。
通訳してくれても頭が全然覚えられなかったのが、とても残念でした。
ナオキさんという男性とは日本に帰ってから数回会いましたが、現在はミュージカルの舞台で活躍されている方でした。
(DNAで受けたスタジオの写真があったのでhttps://gibneydance.org/spaces/studio-e/)
レッスンが終わって更衣室に行ったら、ツィードのジャケットを羽織ったメガネのお爺さんがいました。
全然、英語なんて話せないくせに、何となく話しかけてしまって、必死で聞いていたら、その日は休みで週に一回レッスンに来ていて、隣の街で大学教授をやっているとのことでした。
BDCでもDNAでも当時の自分から考えると、かなり年配の方が来て一緒にレッスンを受けていました。
たぶんBDCのお婆さんは70代で、DNAのお爺さん教授は60代だったかなと思います。
日本ではあまり見ません。
いつ行ってもだいたい自分が最高齢です。
40代の頃からだから20年間はだいたいそうです。
最近になって大人バレエの世界では、60代70代の方も増えて来ているようです。
もっともっと色々なジャンルに我々の年配でも参加すれば良いのにと思います。
Luiji's Jazz Centreのフロントで(50代でした)
TimesSquare
NY
9年くらい前と25年くらい前にニューヨークに行ったことがある。
25年前はサラリーマン時代。
35歳くらいだったと思う。
会社関係の研修ツアーのようなもので、流通業の視察みたいな名前がついていたと思う。
20人くらいのツアーで同業他社の方々と団体で行った。
18:00過ぎには開放され、途中で日曜も挟んでいたので、自由に行動出来る時間がかなりあった。
とはいえ海外初旅行でしかも当時はあまり治安が良いと言われていなかったニューヨーク。
そんなにいろいろと見て回った訳ではない。
それでもどうしても行きたかったところにだけは何とか行くことが出来た。
夜、開放されてから同行の人たちと二晩、スィートベイジルとビレッジバンガードに行った。
ジャズのライブをやっている所。
メニューも分からなかったのもありで、ウィスキーストレートノーチェイサーとか言って、若気の至り丸出しでありました。
そして金曜夜はアルビンエイリー舞踊団のスタジオにダンスレッスン。
日曜の昼はブロードウェイ・ダンスセンター(BDC)でレッスンを受けた。
アルビンエイリーは現在は西55ストリート9thストリートに大きなビルになっているが、当時はたぶんニシ80だか90だかのアパートの上層階にあって、周りはとにかく真っ暗。
道も分からなかったので、コピーした地図を持ってタクシーで近くまで行き、とぼとぼ夜道を歩いて行った記憶がある。
でかいアパートが沢山ならんだ一角に、小さなドアがあり、中を覗くと黒人のおじさんがエレベーターの前で椅子に座っている。
やだなと思いつつ、エレベーターで上層階に上がって、受付に行くと周りも殆ど全部黒人でした。
元々、アルビンエイリー舞踊団は黒人の舞踊団で、当時も日本人はいたけれど、白人も黄色人種も珍しいほうでした。
受けたクラスは黒人女性13人と黒人の男子1人、白人の女性一人と黄色い荒木が一人でした。
コンガを持った伴奏の人と、杖を持ったおばさん先生が入ってきて、何やら始まったのを覚えています。
今でもひとつだけステップを覚えているけれど、やってみても出来ないだろうな。
日曜はブロードウェイ・ダンスセンター。
当時はブロードウェイのどこかにありましたが、現在は別の場所にあると思います。
日本のBDCと提携しているようでした。
こちらは日曜日ということもあり、街中ということもあってか、おばあさんから少女まで男性も数人いました。
せっかくだからと、綺麗な体をしている男性の後ろで踊ろうと、ポジションを確保しましたが、動き始めると恐ろしいほど踊れない人だと分かりました。
黒人でスタイルが良いので踊れると誤解してしまったんですね。
人は見かけに寄らないものです。
この時はこの2つのスタジオだけでした。
9年くらい前はカミサンと一緒に行きました。
主な目的はダンス。
といっても観光もとは思っていましたが、たしかこの時は4回レッスンに行きました。
ルイジ・スタジオは自分たちのダンスのルーツの場所でした。
ダンスを始めた先生の先生(ジュンキョウヤ先生)が、ルイジと一緒に仕事をしていたと聞いたことがあり、当時はご存命だったのでどうしても一度受けてみたかった。
時間があったので行ってみると、お弟子さんのフランソワーズ(男性)がやって来ました。
ルイジさんは今日はこないらしい。
残念でした。
クラスのステップはやはり似ているものでした。
ブロードウェイで踊っているという人が一人いて、最後に見せてもらいました。
もう一つはステップス。
こちらは日本からジャズなどを受けに行く人は殆どが行ってみるスタジオ。
古くからあるスタジオで雰囲気がとても良いスタジオでした。
ところが、行った時間のクラスが代行になっていて、先生が日本人。
日本人がいやな訳ではなかったですが、せっかくNYに来て日本人のレッスンかと思ってしまいました。
あと2回は同じスタジオに行きました。
DNA(ダンス・ニュー・アムステルダム)は大きなスタジオで、ロビーも広くスタジオも幾つかありました。
そこではカテティ・キングという先生のクラスが良いと聞いていたので、受けてきました。
ちょうど時差ボケが激しくなっていて、途中で頭が全く回らなくなり、隣にいたおばちゃんに後ろに行けと言われたり、通訳してやってと日本人男性が隣に来てくれたりしました。
その日本人男性は在外研修員でNYに来ていた人で、今はバリバリの現役で日本で活躍されています。
もう一日はたしかリモンテクニックのクラスだったかを受けました。
DNAはしばらくして閉鎖されたと聞きましたが、後になってGibneyという名前で再開したのを聞きました。
ちょうど今、患者さんがNYに滞在していて、インスタグラムで毎日のようにNYの様子をアップしてくれています。
Gibneyのスタジオの天井がとても印象的で、DNA当時の同じスタジオを思い出してこの文章を書いています。
また行きたいと思います。
少しは動けるうちに。
GibneyとStepsとルイジに行きたい。